天一国文化はお父様によって既に開かれており後は私たち祝福家庭が覚醒するだけなのです! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

つまり、形状が性相に対して絶対服従性を備えているがゆえに、絶対虚無の存在であったその形状から、包容感を実体感したことが、真の愛の起源となり、宇宙の根本となったのです。

 

絶対的主体となる神様自身は、すでに性相と形状の三位一体の形態で存在しているのです。その神様を包み込んで来た存在こそ、絶対的対象の形状でした。ですから、神様を包み込んで来た形こそ、対象世界の構想において、真っ先に思い描かれた事なのです。神様は構想しなくても、すでに存在しているのです。

 

その神様を360度から包み込んでくる、性相と形状の三位一体システムの形態で、女性が構想されるのです。そこから発展して、神様と真の父となるアダムを、360度から包み込んでくる天宙が構想されました。それはマクロの視点から包み込んでくる天宙ですが、ミクロの視点からは球形運動で具現化する原子分子によって創造されるようになるのです。

 

その天宙が構想され創造が始まります。人類始祖の愛の教材となる被造世界が完成すると、そこに人類始祖は誕生し、四大心情圏を実体験しながら愛の人格を築いていきます。そして、アダムとエバが神様から祝福を受け、初夜を迎えます。互いの生殖器が一体となると同時に、全天宙の被造物を巡って来た神様の愛が、アダムの生殖器を共有している神様のもとに136億年の期間を凝縮して帰ってくるのです。

 

絶対主体の神様とアダムが、絶対対象のエバと被造世界とが、絶対的相対基準のもとに授受作用し、真の愛はそこで結実するのです。神様は四大心情圏を成就し、全天宙を真の愛で包括できるようになるのです。

 

それでは、アダムの個性真理体を形成する性相と形状の三位一体システムと、エバの性相と形状の三位一体システムには、どのような違いがあるのだろうか、ということになります。

 

そのことについて、真のお父様はみ言で語っていたのです。次回記事で・・・。

 

  *****

 

人類始祖のアダムとエバは、神様の創造前の三位一体システムの存在基台を基にして造られました。神様は自己愛の神様から心情の神様として、愛によって生まれました。ですから、創造前の自己愛の目的を中心とする三位一体システムから、心情を中心とする三位一体システムとなられたので、その形の様相でアダムもエバも構想されることになります。

 

つまり、心情を中心とする心と体の合成一体によって顕現する「形象的個性真理体」ということになります。

 

 

男性アダムは、神様の性相の性質や機能をそのままに顕現させた実体としての、形象的個性真理体となります。女性エバは、包容する性質を潜めていた形状の性質と機能を、前面に出して顕現させた形象的個性真理体となるのです。

 

では、それがどのようにして構想されたのかを、「本然世界に展開する真の父母様の本体論」入門編から抜粋引用します。

 

  **引用開始**

 

2.夜の神様が男性と女性を構想する少年から青年期(長成期)

 

 神様本体にある本形状は、本性相の核心である心情に即応して、まるで心情の働きそのものとなって展開したエナジーの働きです。しかし、夜の神様の心情を通して、「真の愛に絶対服従して生きる姿」となって捉えられました。そして夜の神様もまた、真の愛に絶対服従して生きたいと願ったのです。

 

 まず夜の神様は自分の喜びを得たいという衝動を捨てて、創り出そうとしている対象の存在が、「真の愛」に絶対服従して生きる実体そのものとして作り出すことに、心情の全てを注いで構想するのです。そこで、本性相の知情意と原理法則数理の働きにおいて、真の愛に絶対服従したいと願った性質や要素を抜き出して、これを形象的実体女性分野として新しい生命体、対象に立つ形象的個性真理体として構想するのです。

 

 自分の喜びへの願望を捨て、対象の喜びと幸福のために全身全霊を投じたことから、夜の神様を愛の奇蹟が導くようになります。その奇蹟の結果を、見事に表現した真のお父様のみ言があります。

 

  *****

 

第45回『真の子女の日』のみ言「ファミリー」2005.1月号P.22

 

 神様はお父様であり、その次には何ですか? 神様はお兄様でしょう。お兄様です。縱的なお兄様なのです。分かりますか?「お父様」という言葉は、横的な面でお父様なのであって、縱的に見れば、兄弟関係です。

 

 それで、キリスト教では、千年前のおじいさんたちも「天のお父様」と言い、万年後の子孫たちも「天の」何と言うのですか?(「お父様です。」)お父様です。それでは兄弟の関係ではないですか?はっきりと天のお父様と呼んで、このような心情的一致圏の関係を結ぶためには、その因縁を知らなければなりません。

 

 神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか?その次に、神様はどんなかたですか?愛の主体と対象関係です。相対的関係です。夫と妻の心です。なぜですか?どのようにしてそうなるのですか?心にも女性的な心があるので、神様の男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、一体的関係となったその位置に立つようになるとき、天のお父様と天の息子、娘が生じるのではないかということです。分かりますか。

 

 ですから、息子を中心として見るとき、神様はお父様であると同時にお兄様にもなり、わたしの女性世界の相対圏を助けてくれる夫となる相対的条件を持っているのです。その相対的条件が、わたしと関係を結ぶのは難しいので、アダムのあばら骨からエバを抜き出したのです。分かりますか?

 

 二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。

 

 ですから、初めて永遠の関係を結ぶのが、夫婦の因縁であるということを知らなければなりません。夫婦関係です。

 

 子女というのは何ですか?子女と言うのは、神様ご自身の完成を願う相対存在です。分かりますか?神様が上下関係と因縁を持とうとすれば、下が喜ぶようにして、初めて上が喜ぶのです。

 

  *****

 

 夜の神様は自分の意思の展開や心情の発露に対して、その如くに一体となって働く前段階エネルギーに、永遠普遍無限大の自らを包み込んでくる感覚を自覚しました。無限大の自らが丸ごと包容される感覚は、これまで自己中心であった神様が体験したどの喜びよりも衝撃的であり、その事象から来る体験を「愛」と名付けたことから、前段階エネルギーは内的愛となりました。

 

 すでに記述したように、心情を中心とした授受作用の合成一体化で、性相と形状、陽性と陰性が完全一体化していた神様は、当然、自らの絶対対象として働いている内的愛を包み返したいと願います。しかし、前段階エネルギーである内的愛には、性相に従って無限の様相で形状を形作ってきましたが、形状自身の形がどこにもないのです。

 

 この存在しながら存在が無い、形状でありながら形状が無い前段階エネルギー(内的愛)に、夜の神様は形を与えることにしたのです。その発想が夜の神様に生じた時、神様は喜びに打ち震え涙しました。今まで内的愛は、神様に対して絶対服従で働き、神様の存在そのものとなってくれていました。神様の形状である前段階エネルギーが、自らに絶対服従してくれているほどに、自らはその存在を全身全霊で愛しぬく真の愛の主体者であろうと誓いました。すると同時に、自分自身もその真の愛に絶対服従して生きたいという衝動が湧きあがったのです。

 

 夜の神様の本性相を形成する内的性相と内的形状が、「真の愛に絶対服従して生きたい」という衝動により一体となり、その本性相に本形状が絶対服従で一体となった時に、夜の神様は愛の種に続き生命の種を得たのです。自らが内的愛の胎中から、新たな産声とともに新たな生命として誕生しました。

 

 そのようにして、夜の神様が愛と生命の種を携えて誕生するようになったことを、み言では次のように表現しているのです。

 

「神様はどんなかたですか?愛の主体と対象関係です。相対的関係です。夫と妻の心です。なぜですか?どのようにしてそうなるのですか?心にも女性的な心があるので、神様の男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、一体的関係となったその位置に立つようになるとき、天のお父様と天の息子、娘が生じるのではないかということです。分かりますか。」

 

 「絶対主体」としての真の愛で愛して生きたい衝動と、「絶対対象」の真の愛に絶対服従して生きたい衝動が、夜の神様の心情で完全一体となったことから、夜の神様は自らの永遠の生命を分け与える機能と能力を持つようになったのです。つまり、私たちの愛も生命も、夜の神様自身の愛と生命を分けて与えてくださったものなのです。それを血統として永遠に存続できる関係を築き上げるには、さらなる次元の飛躍が必要でした。この生命の種は夜の神様の性相にありますが、具体的な存在体として誕生させる能力は形状のエナジーにあります。つまり、生命を繁殖する能力は形状を具現化し実体とした女性に賦与されるのです。

 

 本形状そのものの形態である「真の愛に絶対服従して働く」という機能と様相が、本性相の「真の愛に絶対服従して生きたい」という衝動を呼び起こしました。これこそが、永遠の喜びと幸福の原点であると実感した夜の神様は、自らの内的性相の知情意の心の機能から、「真の愛に絶対服従して生きたい」という衝動が湧きあがる要素を抜き出し、それを形象的実体女性分野としたのです。そして、夜の神様から独立した個性真理体として生きられるように、アダムと同じ主体と対象の様相、性相と形状の一体化で生きられるように全く新しい生命体として構想するようになったのです。

 

  **引用終了**

 

真のお父様は創世記に記されている「アダムのあばら骨からエバを抜き出した」という意味の聖句を、次のように解釈しました。

 

「二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。」

 

「形象的実体女性分野」とは何を意味するものなのでしょうか。それは神様の自己愛の情念を刺激してきた、形状の性質である「絶対服従性」に他なりません。形状の絶対服従性は、エネルギーそのものの働きにあるわけではなく、性相に潜んでいた「絶対服従性」が形状に反映した性質でした。

 

その形状の働きに反映される「絶対服従性」が、神様の自己愛の情念を刺激した時に、包容感として感覚されたのです。その包容感から来る喜びの刺激に、包み込んで来た形状を包み返し包括したいと願い、その情感が愛なのだと覚醒しました。

 

愛したくても愛する対象には、それ自体の存在が無く、無の暗闇に落ちた境地で、神様は愛したくてたまらない心情の根底に、真の愛に絶対服従して生きたい心情が潜んでいたことに気付かれたのです。

 

そこに、対象として生きる喜びの境地を見出して、愛したくてたまらない絶対主体としての心情と、真の愛に絶対服従して生きたい心情が一体となった、真の愛の世界が広がったのです。

 

そこで神様は、絶対主体の自ら自身の、絶対対象となる存在の様相が、初めて明確に構想できるようになるのです。その絶対対象として創造される女性は、心情の動機に、女性自体においては主体的な情的衝動として「真の愛に絶対服従して生きる衝動」を中心に置くのです。その衝動に触発されて、真の愛に対しての真の美を返したくてたまらなくなる衝動が湧き上がるようになる真の愛の絶対対象となるのです。

 

その存在こそ、女性としての形象的個性真理体です。男性も女性も神様の三位一体システムを原形とした、心情の目的を中心とした心と体の四位基台による真理体となるのです。

 

 

次回は、真の愛の起源、四大心情圏の原点に迫ります。

 

 

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