神様の対象となる女性と被造世界が構想されていく経緯! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

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心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

神様の性相においての陽性と陰性は質的な差異であったので、形状の前段階エネルギーは絶対的虚無の状態で、神様の意識世界に思考展開を現出させることが出来ていました。つまり、創造前の神様の前段階エネルギーは球形運動で現象化していたのではなく、永遠普遍の無限の様相で、私たち人間が感知し理論化できる作用展開の様相では無かったのです。

 

その超次元の存在様相から、何ゆえにエネルギーの球形運動による素粒子・原子・分子の活動を発想できたかと言えば、神様が愛によって生まれたと実感した形状に包み込まれる体験であったのです。

 

無形である神様を360度から包み込んだ体験ですから、当然神様が無限小の一点となり、包み込んで来た形状は球形の存在となって、神様に認識されるのです。この球体を基として、個性真理体という発想が生じて、エネルギーの球形運動による時空間の構想が構築されるのです。

 

つまり、女性格対象である被造世界は、絶対的虚無の存在であった形状から、包容感包括感を得ることによって球形運動による個性真理体の構想が確立されたことによって創造が可能になったということなのです。

 

さて次回は、女性の構想がどのようにして構築されたのかを解説していきます。

 

  *****

 

女性の構想について解説するにあたって、再度、「神は自分のかたちに人を創造された。」という聖句の前後を確認します。

 

1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 1:28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

 

神様は人間に全ての万物を治めることが出来るように、神様の形に似せて人間を造られました。人間は万物を何で治めるかと言えば、体で治めるわけでは無いのです。心で治めることであり、神様と同じ真の愛で治めるように人間を造られたのです。つまり、神様の心の形であり、愛の形であり、真の愛で治めるようにされたのです。

 

二代王様がはっきりとさせたのは、「三代王権は高位キリスト論だ」ということです。「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストである真のお父様だということです。当然、「われわれのかたちに」という聖句は、神様と僕の天使の形ではなく、真の愛を実現する基台となる「三位一体システム」の形です。

 

創造前の神様は自己愛を中心として、性相と形状で三位一体システムを形成し、喜びの存在となっていました。その形状のエネルギーは性相に対して絶対服従性を備え、絶対的虚無の存在として作用展開していたのです。

 

つまり、この絶対虚無の存在であった形状に、それ自体をそのまま具現化するということは、神様の性相の完全具現化となります。それが、真の父の完成した実体となります。

 

神様と、神様が生心に臨在する真の父が、主体と対象として愛によって心情一体となる時、その三位一体システムの四位基台に真の愛が顕現するようになるのです。

 

真のお父様は天聖経に、「真の愛とは・・・」と語られたみ言を残しています。

 

真の愛 第1章 真の愛というものは 5)愛で完成する

 真の愛とは、根をどこに置いて言う言葉でしょうか。神様がいくら全知全能なる方でも、その根を神様に置いていません。全知全能なる神様は、真の愛の主人公なのに、愛の根を神様に置こうとしません。愛の対象になれる人に根を植えようと考えます。

 

しかし、この段階の三位一体は、神様の創造前の性相の様相を、そのまま個性真理体として顕現させるだけで、神様が体験した包容感包括感を備えることは出来ないのです。そこで、この個性真理体に神様が愛によって生まれたと、全く同じ体験を通して誕生させなければならないのです。

 

そこで、構想された存在こそ、女性の生殖器である胎なのです。神様と肉身と霊人体を共有し、四大心情圏を共に実体験していく真の父となる男性アダムは、神様と同じように愛の包容感のただ中から誕生しなければならないのです。その体験があってこそ、四大心情圏の愛で成長するほどに、真の愛が体恤されるようになるのです。

 

つまり、形状が性相に対して絶対服従性を備えているがゆえに、絶対虚無の存在であったその形状から、包容感を実体感したことが、真の愛の起源となり、宇宙の根本となったのです。

 

絶対的主体となる神様自身は、すでに性相と形状の三位一体の形態で存在しているのです。その神様を包み込んで来た存在こそ、絶対的対象の形状でした。ですから、神様を包み込んで来た形こそ、対象世界の構想において、真っ先に思い描かれた事なのです。神様は構想しなくても、すでに存在しているのです。

 

その神様を360度から包み込んでくる、性相と形状の三位一体システムの形態で、女性が構想されるのです。そこから発展して、神様と真の父となるアダムを、360度から包み込んでくる天宙が構想されました。それはマクロの視点から包み込んでくる天宙ですが、ミクロの視点からは球形運動で具現化する原子分子によって創造されるようになるのです。

 

その天宙が構想され創造が始まります。人類始祖の愛の教材となる被造世界が完成すると、そこに人類始祖は誕生し、四大心情圏を実体験しながら愛の人格を築いていきます。そして、アダムとエバが神様から祝福を受け、初夜を迎えます。互いの生殖器が一体となると同時に、全天宙の被造物を巡って来た神様の愛が、アダムの生殖器を共有している神様のもとに136億年の期間を凝縮して帰ってくるのです。

 

絶対主体の神様とアダムが、絶対対象のエバと被造世界とが、絶対的相対基準のもとに授受作用し、真の愛はそこで結実するのです。神様は四大心情圏を成就し、全天宙を真の愛で包括できるようになるのです。

 

それでは、アダムの個性真理体を形成する性相と形状の三位一体システムと、エバの性相と形状の三位一体システムには、どのような違いがあるのだろうか、ということになります。

 

そのことについて、真のお父様はみ言で語っていたのです。次回記事で・・・。

 

 

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