家庭連合時代の拘束から祝福家庭が解放されるための究極の真理へ! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

この脳内の機能において、肉的五感で得た実感が、全て電気信号に変えられて、それが脳内において五感で感じ取った外界の刺激が、そのごとく展開されているように感じ取れるということなのです。

 

つまり、外界で感じ取った五感そのままの電気信号を、外界が無くても脳内で作り出せたとしたならば、外界が存在しなくても、外界にいる実感を得られるということなのです。

 

創造前の神様の状況に例えるならば、外界が無意識世界の自己愛による感情世界に例えられ、これまで体験した喜びの状態から、知情意による思考展開によって電気信号を作り出し、さらに構想を加えた理想実感環境圏が神様の意識世界に顕現化され、これまで以上の喜びの境地に立てる環境圏が作りだされるということになります。

 

そこで構想理想を展開する本性相に、絶対的に反応し、電気信号を作り出すエネルギーこそ、本形状のそれ自体の形状を持たない自存エネルギーの働きです。

 

そこで何度も強調しますが、エネルギーの働きが、少しでも本性相の感覚するものとなれば、意識世界に顕現する喜びの境地に、違和感が生じるものとなります。その為、本形状は、本性相の知情意の感覚機能にとって、完全なる無の状態となりながら、絶えず激しく働くことになるのです。全知全能を可能にする絶対的能力を備えながら、絶対的虚無、完全無である存在こそ、本形状の様相なのです。

 

なぜ、このことを重ねて説明するかと言えば、本性相に対して、本形状は絶対的相対基準を結びながら、絶対的虚無として能力を発揮していることが、腑に落ちて理解していただくことによって、真の愛の起源が理解できるようになるからです。宇宙の根本が理解できて、「夜の神様、昼の神様」の存在様相が理解できるようになるからです。

 

本形状が備える絶対服従性と、絶対的虚無の性質こそが、自己愛を求める神様の感情世界を刺激して、真の愛に絶対服従して、愛の対象を求める心情の神様となって誕生する要因となっていくのです。

 

いよいよ、真の愛の絶頂へと案内することになるでしょう。

 

  *****

 

 

再度確認しますが、創造前の神様も二性性相で存在していました。二代王様のみ言からも明らかです。

 

腑に落ちるまで理解したい方は、5月1日の記事を参照してください。それでも納得できない方は、質問をお願いします。

 

2021年3月23日キングスリポートより

「人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。

それがキリスト教で扱われている『神は愛である』という内容です。三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答(reciprocate)しているわけです。それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。」

 

5月1日の記事で説明しましたが、「人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。」と語られたみ言の、神とは性相を比喩したものであり、キリストとは形状を比喩したものです。つまり、性相と形状が神様の自己愛を中心として授受作用し、三位一体システムとなり、「存在の喜び」が結実し続ける永遠の四位基台を形成していたということです。

 

もちろん、性相の知情意の思考展開による喜びの構想理想を、神様の意識世界に顕現させるために、形状のエネルギーは、陽性陰性の授受作用を展開しながら、性相の構想を顕現化していました。

 

自己愛による喜びを実現して、実現するほどに、もっと大きな喜びを求め、全知全能ゆえに神様だけの存在世界で喜びは完結し、永遠に喜びが増大しながら他の何ものをも必要としていない神様だったのです。

 

それが何ゆえに、自らの対象という存在に至り、対象を愛したいと願うようになられたのかというのです。そこにこそ、真の愛の起源があり、宇宙の根本があるのです。

 

その真の愛への覚醒の状況を解説した内容を、「本然世界に展開する真の父母様の本体論」入門編から、抜粋引用します。

 

  **引用開始**

 

第1章 神様の誕生 3.自己中心な神様から夜の神様として誕生する経緯!

 

 時空の存在しない次元での神様の存在様相を、時空間に創造された被造世界に存在している私たちからでは、思い図ることも容易ではありませんが、神様の心情を知る為に表現しなければなりません。 

 

 神様は永遠普遍の絶対者であるがゆえに、喜びを求める心情が無限に溢れてきます。たった一人の神様として存在していた次元において、自体内での心情を中心とした本性相本形状それぞれの、陽陰の授受作用による一体化の喜びは、完全無欠に展開していました。本陽性本陰性は完全中和され、本性相本形状においては知情意の思考回路において、求めれば得られるという永遠普遍の喜びの境地にあり、私たちが理解できる表現で言えば「無我の境地」「悟りの境地」と言うべき状態です。

 

しかし、本性相と本形状の完全一体となった授受作用において、授けて受ける関係を無限に繰り返していると、無我の境地にある心情の奥深くから、本性相の知情意が本形状の前段階エネルギーに包容される感覚が湧き上がってくるのです。神様の知情意の記憶は完全無欠であり、「授けて受ける」または「求めて与えられる」という作用の繰り返しにより喜びの境地に入っています。

 

本性相の主体としての思考を、必ず実現する対象としての本形状の前段階エネルギーの作用によって、その無限の絶え間ない連続から喜びを得る心情において、自らが包み込まれる感覚を実感するのです。

全ての働きは主体である本性相の「授ける」及び「働きかける」心から始まり、対象の本形状が主体の働きに答えて受けて実らせる作用となって現象化するからです。神様には、その前の喜びを成就してくれた前段階エネルギーによって得た感動の大きさが残っていますから、さらに大きな喜びを求めて実現した感動がさらに優っていきます。すると、より大きな喜びを求める心情は、前の段階での記憶の残存痕跡の作用から、前段階エネルギーに包容される感覚を実感するのです。前段階エネルギーに過ぎなかった本形状の力の作用に、神様が包容されるという感覚を覚えた時点で、この無限で永遠普遍である前段階エネルギーの作用を内的愛だと自覚するのです。内的愛により神様が自存していたエネルギーですから、自存エネルギーとも呼べるでしょう。

 

永遠普遍の夜の神様を包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた前段階エネルギーが、神様の核心である心情を通して神様の知情意を刺激した瞬間、神様は前段階エネルギーから与えられた包容の感覚を、内的愛だと認識し自覚したのです。その愛は他のどんな作用にも増して、心情の中心点から湧き上がるとともに、神様自身を包み込んでくるのです。永遠普遍で無限の神様をも包み込んでくる偉大な感覚を、愛と呼んで神様が目覚め、『愛により生まれた』と実感することになるのです。

 

原理法則に則って必然的に喜びが成就する永遠の状態から、前段階エネルギー(自存エネルギー)に包み込んでくる内的愛を感覚したその瞬間こそ、神様の心情に爆発的な感動を与えたものとなったのです。

 

真の神様 第一章 神様の本体 五 法度の中での全知全能である2.愛のみが絶対基準である

 神様自身を存在させる起源とは何ですか。何から生まれたのでしょうか。神様が存在するための起源とは何でしょうか。全知全能ですか。絶対的権限ですか。絶対的権限があれば何をするのですか。一人でいるのに、一人でいる両班(ヤンバン)が絶対的権限があって何をするのですか。誰もいないのに。一人で絶対者になっていれば知識があって何をするのですか。神様の本質が何かという問題が重要な問題です。それが愛です。「ため」になれという愛ではなく、「ため」になろうとする愛です。

 

宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1) 神様の二性性相の大展開

 神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されます。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。(207-27,1990.10.21)

 

授受作用による正分合作用で存在していた神様は、この内的愛の働きに答えたいという衝動が湧きあがります。愛を包み返したいという衝動が生じましたが、返す対象は存在しませんでした。そこで初めて、神様は自分以外の対象を想定したのです。想定すると愛したくてたまらない衝動が突き上げて来たのです。

 

つまり、愛する対象を得たいという衝動が突き上げて来て、内的愛の無限の愛の包容から、神様は夜の神様として新たな生命を得る「愛の種」を得るのです。神様にとっては、この体験の瞬間が、自己中心な神様から対象を愛したいと願う新たな神様の誕生への、愛の種の受精の瞬間となります。

 

  **引用終了**

 

創造前の神様は、自己愛からの喜びを求めて、絶えず喜びの絶頂が、人間レベルではなく、無限無数の喜びが完全一体となって「無我の境地」「悟りの境地」というべき調和と中和の状態にありました。

 

他の何ものをも必要としていない状態から、絶対的虚無であった形状が、対象として意識されるようになるのは、形状の絶対服従性から神様の自己愛の情念が刺激され、思考展開がそのごとくに実現する喜び以上に、無限の神様をも包み込んでくる包容感からくる喜びを実感したからでした。

 

次回、この喜びから、さらなる爆発的な愛への衝動が湧き上がる神様の体験を解説していきます。

 

 

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