二代王様が悟られた究極の真理こそ真のお父様の地上界での完全勝利を確定させたのです! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先回記事末部より

 

このみ言の中で、最も重要な部分は、次の内容になるのです。

 

「人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。

それがキリスト教で扱われている『神は愛である』という内容です。三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答(reciprocate)しているわけです。それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。」

                                    

人類を作る必要が無かった神様が、なにゆえに愛の対象を切望する存在へと変貌してしまわれたのか。そこにこそ、真の愛の起源があり、宇宙の根源となる神様の体験があるのです。

 

男性と女性の絶対性による一体感の境地は、神様が体験した境地の再現となっているのです。人類の一人一人に、男性女性とが結ばれることから、神様ご自身が体験した真の愛の起源となる喜びの境地を、同じように体験させてあげたいと願ったのです。

 

その境地に至ってこそ、真の愛の真相が見えてくるのです。人間の知恵で理解できる世界から、生心に培われる神性によって実感する境地に入っていくのです。

 

  *****

 

先回記事において取り上げましたが、二代王様が4月14日の群馬大天正宮の礼拝後、食事の場で語られた非常に重要なみ言がありました。

 

「エホバの証人が低位キリスト論であり、一般のキリスト教と我々(三代王権)は高位キリスト論です。」

 

低位キリスト論と高位キリスト論の最も大きく相いれない教義となっているのが、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを信じるか、否かです。この三位一体の神学教義は、「100%神様100%人間」という理解以上に、「聖霊も完全一体であるという教義」であるがゆえに、サタンと闘う上で外すことの出来ない教義なのです。

 

それも、これまでのキリスト教で「父と子と聖霊の三位一体」といっても、確定的な理論的解釈は明確になっておらず、イエス様を信じる信徒の信仰によって成り立っている教義でした。しかし、三代王権のもとでは二代王様が語っているように、原理が解かれているために理論的な解説が可能になるのです。

 

  **2021年3月23日キングスリポート二代王様み言より抜粋引用**

 

 イエスであれば、神と同じ生心を持っていらっしゃるということです。イエスの生心は神であるはずです。

 お父様も同様です。お父様も現われるとき霊的な体(霊体)があると思いますが、お父様の霊的な心(生心)は神と全く同一だということです。

 それで、もし我々が真のお父様とイエスと同時にお会いできることになっても、真のお父様とイエスの生心は神と完全に一つだということです。
 

 さらに高い次元の話なので、明確に推測することが難しいのです。

まるでその点から線について話をしているのと同じですね。あるいは点が3Dについての話をするようなものです。ほとんど不可能ですね。

 したがって、原理の御言葉がより深い霊的世界に対する理解を助けることができるのです。霊的世界に対するさらに深い領域です。これらはとても興味深い主題です。
 

  **引用終了**

 

原理によって「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相を理論づけるには、創造前の自己中心的な神様の三位一体の様相から理解しなければならないのです。100%神様100%人間であるキリストとしての真のお父様という表現からでは、はかり知ることも出来ない聖霊の様相が、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相を知ることによって理解できるようになるのです。

 

その理解に上に立った、二代王様の聖霊は女性では無いというみ言なのです。

 

  **2021年3月23日キングスリポート二代王様み言より抜粋引用**

 

 我々は聖霊が対象の位置にあると見ているため、神が主体であられ聖霊を送られました。イエスと一つになるために聖霊を送られましたが、主体と対象の位置に送られたのです。

 

 イエスが教会を導く父の位置にいらっしゃるとしたら聖霊は母のように教会に愛を与える側面だということです。

 しかし、教会に侵入した多くのフェミニストたちは、聖霊を女性に変えようとしました。

 もちろん、それは完全に異端的な内容であり、キリスト教的世界観を破壊する内容なのです。

 そしてもちろん、女性神の崇拝や性的人身売買などの道を作っていくような内容にもなります。

 

 聖霊は女性ではなく、イエスに対して対象の立場にあるものです。聖霊がイエスの妻という意味ではありません。そうでしょう?

 カインとアベルも、カインがアベルの対象の立場にいるのです。カインはアベルの妻ではありません。理解できますか?
 

 主体と対象の関係は結婚しない関係にもあります。多くの人が、これを勘違いしていますが。もう一度、聖霊は女ではなく、イエスの妻でもありません。しかし、神がイエスの霊人体の対象の立場として聖霊を送られたのです。ここでもイエスの霊人体と聖霊には違いがあります。同一のものではありません。

 

 またイエスの霊体の中にも霊的な体と心(霊体と生心)があり、イエスの生心が神と一つになっているということです。
 

 神が聖霊を送られたので、その聖霊は聖父(father)からきました。

 

  **引用終了**

 

「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相から、「お父様の聖霊」を理解しなければ、私たちの信仰は三代王権とは関係の無いものとなるのです。

 

三代王権のもとにある私たちが、原理的解釈から「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相を理論的に明確にしてこそ、初めてキリスト教への伝道拡大が始まると言っても過言ではないのです。

 

「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の原理的解釈の原点が、創造前の神様の三位一体システムにあるのです。

 

人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。それがキリスト教で扱われている『神は愛である』という内容です。三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答(reciprocate)しているわけです。それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。」

 

ここにこそ、「真の愛の原点」があり、真のお父様の生涯にわたる「許しの愛」「犠牲の愛」の原点があり、「真の愛に絶対服従して生きる心情の動機」の原点があるのです。

 

このことが理解できる時、あなたの信仰と心情世界に、大革命が起きるでしょう。

 

 

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