先々回記事末部より
日本で語られ、そして祈られた心情の条件の上に、韓国ではさらなる「絶対性」の本質に触れられました。
次のみ言です。
**2024年4月20日天宙平和統一天一国勝利韓国大会二代王様み言より**
夫婦デートに行きながら自分がロマンスの愛の内容を解きます。女性はセックスと性関係でだけ愛を感じるのではありませんね。女性はそうですね。女性はセックスだけでなく、ロマンス。
夫とセックス、性関係が嫌いな女性は手を上げてみなさい。手をあげるでしょう、誰かは。しかし、ロマンスが嫌いな女性はいません。
男性は反対です。男性はセックスを通して愛を感じます。神様がそのように作られました。男性は変態ではなく、奥さんとセックスをして自分が愛してその女性と投資する女性とセックスすることによって子供を産むだけでなく、その美しい絶対性関係、快楽と愛を感じます。簡単に言えば、奥さんは自分の麻薬になります。その麻薬の中毒になっても大丈夫です。神様がくださった麻薬なので。
**引用終了**
このみ言の本質的意義は、「真の父母様の本体論」による「絶対性教育」が理解できなければ、その重要性に気付けないでしょう。神様が愛によって誕生し、真の愛を探す旅を始められた根源が、このみ言にあるのです。つまり、真の愛の本質の中の究極的真髄があるのです。
先回記事重要部分より
つまり、高位キリスト論と低位キリスト論の、もっとも大きな違いは、「父と子と聖霊の三位一体」を信じるかどうかの違いなのです。二代王様の語られた「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを理解できるかどうかであり、二代王様ははっきりと「三代王権は多くのキリスト教と同じように、『聖父・聖子・聖霊の三位一体』を信仰の根幹としている」と、この場でも答えられたという事実なのです。
「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相が理解できなければ、「お父様の聖霊」が理解できなくなります。今年の「天宙平和統一天一国勝利」の為の闘いは、「お父様の聖霊」の働きこそが、最も大きな鍵であり、神様が与えて下さっている霊的兵器になります。しかし、いまだに「日本本部」の面々は、二代王様が9年の歳月をかけて教育してくれた、「お父様の聖霊」を理解できないまま、自分なりに解釈した人間的な情報を信徒に流しているのです。
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先々回記事で、二代王様が2024年4月20日天宙平和統一天一国勝利韓国大会で語られた、次の「絶対性」に関するみ言を取り上げました。
「男性はセックスを通して愛を感じます。神様がそのように作られました。」「簡単に言えば、奥さんは自分の麻薬になります。その麻薬の中毒になっても大丈夫です。神様がくださった麻薬なので。」
このみ言を読んでも、「(奥さんは)神様がくださった麻薬なので。」という内容の、「絶対性」における真の意味を、おそらく実感できていないはずです。
それでも説明をしてみようと、その記事では、次回記事から深めていくと最後に書きました。でも、お父様はそれを「良し」としなかったようです。「絶対性」の真の境地は、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相を知らずには、到底理解できないものなのです。
「(奥さんは)神様がくださった麻薬なので。」というみ言を引用した記事は、4月24日の8時52分に公開しました。その31分前の8時21分に、昨日の記事で紹介した「低位キリスト論高位キリスト論」についての投稿が、日本サンクチュアリ協会の公式LINEに上がりました。
これはまさしく、お父様の聖霊による計らいなのです。三代王権の信仰の根幹をなす「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストであり、そのことを主張する神学教義こそが「高位キリスト論」なのだと、二代王様ははっきりと示されたことを、まず伝えなければならないという、そのための神様の計らいだったのです。
この投稿の内容について、二代王様が答えた内容と、エルダー本部長が説明した内容は、遠くかけ離れたものでした。エルダー本部長は「低位キリスト論」と「高位キリスト論」は両立すると説明したようですが、二代王様ははっきりと、三代王権は「低位キリスト論」ではなく、「高位キリスト論」だと言われたのです。
4月14日の日本における二代王様礼拝の後の食事会で、一人の食口が「2021年3月23日のみ言によってお父様の聖霊が理解できるようになった。」という証しをしました。それを、エルダー本部長によって中断され、証しの場では無くなってしまいました。
しかし、そこには日本サンクチュアリ協会の食口だけではなく、母国日本の聖殿食口全員に、真のお父様自身がキリストとして、二代王様を通して伝えたい重要な内容があったのです。
もう一度、2021年3月23日のみ言の重要部分を、「低位キリスト論」と「高位キリスト論」の誤訳と言われた部分を訂正して引用します。
**2021年3月23日キングスリポート二代王様み言より抜粋引用**
三位一体を理解するには原理の御言葉だけを見るわけにはいきません。なぜなら、お父様が亡くなる直前、お父様は「夜の神」と「昼の神」の神学を教えてくださいました。
お父様は夜の神、つまり創造以前の神(pre-creation God)から来たと言われました。そしてその他の人々は昼の神から来たと言われました。創造以後の神です。お父様はお父様ご自身を他の人と区分されました。
原理の御言葉にはメシアは神ではないと出ています。メシアは人だと書いてあります。これが、我々が統一教で伝統的に学んでいた内容でした。メシアは神ではなく人間だということです。そこで私たちは低位キリスト論を知ることになったのです。
しかし、キリスト教(Christianity)では、キリスト論(Christology)の内容があり、イエスを神として扱っています。高位キリスト論です。
人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。
それがキリスト教で扱われている「神は愛である」という内容です。
三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答(reciprocate)しているわけです。
それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。
ですから、原理講論の内容だけを見ると、我々はメシアに対する低位キリスト論を持っているのです。メシアを神として見なかったのです。女性から生まれた人としては見ましたが、神としては見なかったのです。
お父様が夜の神、昼の神の神学の内容を明らかにされた時、お父様はそのキリスト論を昇格させられたのです。
「いや、お父様はメシアなので特別だ。ただの人間ではない。お父様は神から来られたのであり、夜の神から来られたのだ。創造以前の神から来られた。」ということです。
つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。
これはまさに我々がクリスチャン(キリスト教)のキリスト論に近づいた内容でした。
我々(統一教)は、低位キリスト論から高位キリスト論へと進みました。それで人々はとても驚いて混乱してしまいました。急に低位キリスト論神学から、高位キリスト論神学へと突然変わってしまったからです。
それで、人々は認知的な不調和ができて、それに適応するのが難しかったのです。
個人的に私はお父様がこのようにしてくださったことにとても感謝しました。
なぜなら、お父様が「キリストとしての父」の固有の特性を明確にしてくださり、強調してくださったからです。
それは勿論イエスも同じです。
これがなかったら、我々は常にキリスト教から分裂していたでしょう。イエスをただ他の預言者として見るイスラムに近くなっていたことでしょう。そして、キリスト教から分裂していたと思います。
いつも論理的な分裂がありました。振り返ってみると、これが我々をキリスト教から分裂させる理由だったと思います。
なぜなら、キリスト教は高位キリスト論を持っているからです。私たちは低位キリスト論を持っていましたね。
お父様がなぜそうなさったのか?神はすべての事をなさるに理由があるということがわかります。最後にはもっと多くのことを悟るでしょう。
しかし、ここで申し上げたいことは、お父様がメシアに対するキリスト論を昇格してくださったということです。
私はこれに対して本当に感謝します。
この内容が本当に韓氏オモニを暴露させました。「メシアはただの人間にすぎない。それで私もメシアになれます。」見えますか?それがまさに韓氏オモニがしたことです。そのわなにかかってしまったのです。
キリスト教では絶対にそのようにはできません。メシアは完全に唯一無二のものです。
お父様から氏族メシアになるように言われた内容は、その救援者としてのメシアになるように言われたわけではありません。「その救援者」(神)になるのではなく、一つの氏族的メシアとしての出発点になるということです。人々を救いの道に導けるようにすることです。これは非常に重要で明確な違いです。メシアは特別で唯一無二でいらっしゃいます。
お父様はお父様のキリスト論を昇格させ、お父様は違うということを明かされました。そして韓氏オモニは夜の神、つまり創造以前の神から来なかったことを明かされました。
**引用終了**
このみ言の中で、最も重要な部分は、次の内容になるのです。
「人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。それがキリスト教で扱われている『神は愛である』という内容です。三位一体のシステムそのものから『愛』を相互間応答(reciprocate)しているわけです。それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。」
人類を作る必要が無かった神様が、なにゆえに愛の対象を切望する存在へと変貌してしまわれたのか。そこにこそ、真の愛の起源があり、宇宙の根源となる神様の体験があるのです。
男性と女性の絶対性による一体感の境地は、神様が体験した境地の再現となっているのです。人類の一人一人に、男性女性とが結ばれることから、神様ご自身が体験した真の愛の起源となる喜びの境地を、同じように体験させてあげたいと願ったのです。
その境地に至ってこそ、真の愛の真相が見えてくるのです。人間の知恵で理解できる世界から、生心に培われる神性によって実感する境地に入っていくのです。
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