日本サンクチュアリ協会公式LINEに投稿された無責任な低位キリスト論・高位キリスト論の説明! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

昨日(4月24日)の日本サンクチュアリ協会の公式LINEに、低位キリスト論・高位キリスト論に対して間違った説明が投稿されていました。私は公式LINEの一切に、投稿することを禁じられていますので、このブログで何が違うのかを解説しておきます。

 

まず、日本本部のスタッフの方が投稿した内容を転載します。

 

  **公式LINEへの投稿内容**

 

【高位キリスト論と低位キリスト論について】

2024年4月14日大天正宮の昼食にて(同席者の聞いた記録)
2021年3月23日のキングスリボート(二代王様)において、『原理講論がレベルの低いキリスト論である』という翻訳について質問された方がいました。
それについてエルダーさんがその場で二代王様と話された上で、解答を与えてくださいました。
結論から言うと、神学用語を直訳した誤り(結果として誤訳)になります。
二代王様は、【レベルの低いキリスト論】と言われたのではなく、【低位キリスト論】と言われたというのが、解答でした。
低位キリスト論は、【キリストの人間性】を説明するものです。
高位キリスト論は、【キリストの神性】を説明するものです。
キリストにおいて、神性と人間性は両立します。(注:二代王様は、キリストは神様100%であり人間100%とも言われています)
どちらのキリスト論が、レベルが高い低いという話ではありませんでした。
この話を聞いた責任として、皆様のご参考までに報告いたします。

 

  **引用終了**

 

この投稿では、二代王様との昼食の場で、誰かが「低位キリスト論・高位キリスト論」について質問したとなっています。しかし、事実は食事をともにしながら、聖殿食口が各自の紹介・証しをしている最中に起こった出来事です。ある方が、次のように証しした時のことです。

 

「二代王様の語られておられた『お父様の聖霊』が良くわからなかったのですが、2021年3月23日のキングスリポートでの、原理講論のキリスト論は人間メシヤとしており、すごくレベルの低い神学だという、二代王様の説明によって理解できるようになりました。」

 

このような食口の証しを、日本の食口が韓国語に訳して二代王様に伝えていました。しかし、エルダー本部長が「すごくレベルの低い神学」という言葉に敏感に反応して、証しを中断させ、言葉をはさんで来たのです。

 

エルダー本部長が、それまで韓国語に翻訳していた食口に代わって、自分で翻訳して二代王様に伝え始めたのです。

 

この投稿者がエルダー本部長の解釈を、そのまま投稿しているのかは分かりませんが、低位キリスト論・高位キリスト論を次のように説明したとしています。

 

  ***

 

低位キリスト論は、【キリストの人間性】を説明するものです。
高位キリスト論は、【キリストの神性】を説明するものです。

キリストにおいて、神性と人間性は両立します。(注:二代王様は、キリストは神様100%であり人間100%とも言われています)
どちらのキリスト論が、レベルが高い低いという話ではありませんでした。

 

  ***

 

エルダー本部長は二代王様に確認を取った上で、「低位キリスト論・高位キリスト論」について説明したのですが、二代王様はエルダー本部長の確認に対して、次のように答えています。この答えと、投稿者が書いた内容との間には、大きなギャップが生じるのです。

 

「エホバの証人が低位キリスト論であり、一般のキリスト教と我々(三代王権)は高位キリスト論です。」

 

この二代王様の答えについて、投稿者は触れていません。この二代王様の答えこそが重要なのに、投稿者は自分が納得できるエルダー本部長の解釈を、自分なりに書いてしまったという事になります。

 

それでは、二代王様が取り上げたエホバの証人のキリスト論とは、どのようなものでしょうか。次のキリスト論は、エホバの証人のホームページから抜粋引用したものです。

 

エホバの証人の低位キリスト論 

「イエス・キリストの教えと模範に従い、救い主また神の子としてイエスに敬意を抱いています。ですから、わたしたちはクリスチャンです。とはいえ、イエスが全能の神ではないこと、三位一体の教理には聖書的な根拠がないことを、聖書を通して学びました。」

 

ここから分かることは、イエス様は神様ではなく人間でしかないが、神の子として敬意を抱いているという事です。さらに、父と子と聖霊の三位一体も否定していますから、ほぼ、原理講論のキリスト論と同様の考え方です。

 

ですから、低位キリスト論とは、ただ「イエス様の人間性を説明している」ものではなく、神様そのものであることを否定し、私たちと同じ人間だというキリスト論なのです。それに何よりも、父と子と聖霊の三位一体を否定しているのです。

 

カトリック系のザビエル大学ルイジアナ校のホームページに解説がありましたので、機械翻訳から分かりやすくした日本語訳を掲載します。

 

  ***

 

高位キリスト論

 キリスト教徒がイエスを理解した一つの方法は、「高位キリスト論」として知られています。

 高位のキリスト学者は次のように推論します。イエスは三位一体の第二位格でした。三位一体の第一位格は神でした。神はすべてを知っています。したがって、イエスもすべてを知っています。これは、三位一体のイエスが神なる方であることから、いわば非常に「高いところから」始まるため、「高位キリスト論」とされています。

 

低位キリスト論

 クリスチャンがイエスを理解したもう一つの方法は、「低位キリスト論」です。

 低位キリスト論者は、イエスは罪以外のものが、すべての点で私たちと同じ人間であったと説いています。イエスは罪以外のすべてのことにおいて、私たちと同じように、成長に従って、物事を順番に知るようになります。神であるならば、最初から全てを知っているはずです。(引用している聖句は省きます)

 

エルダー本部長が、投稿者が書いた内容で答えたとしたならば、だいぶ簡略化してしまったがゆえに、意味が違ってしまっていると言えます。投稿者は、公式LINEに投稿するならば、自分で調べて確かな内容を投稿するべきです。

 

低位キリスト論には、人間イエスであるが、イエスが十字架の死後、復活した時に、神と同等の位置に引き上げられたと解釈している論もあります。しかし、それでも、イエスは神そのものではなく、神と同等と表現されているのです。

 

つまり、高位キリスト論と低位キリスト論の、もっとも大きな違いは、「父と子と聖霊の三位一体」を信じるかどうかの違いなのです。二代王様の語られた「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを理解できるかどうかであり、二代王様ははっきりと「三代王権は多くのキリスト教と同じように、『聖父・聖子・聖霊の三位一体』を信仰の根幹としている」と、この場でも答えられたという事実なのです。

 

「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの様相が理解できなければ、「お父様の聖霊」が理解できなくなります。今年の「天宙平和統一天一国勝利」の為の闘いは、「お父様の聖霊」の働きこそが、最も大きな鍵であり、神様が与えて下さっている霊的兵器になります。しかし、いまだに「日本本部」の面々は、二代王様が9年の歳月をかけて教育してくれた、「お父様の聖霊」を理解できないまま、自分なりに解釈した人間的な情報を信徒に流しているのです。

 

「聖父・聖子・聖霊の三位一体」を否定する低位キリスト論と、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」を信仰の根幹とする高位キリスト論は、絶対的に両立するものではないのです。そして、二代王様は低位キリスト論を否定し、三代王権は高位キリスト論だと断言されたのです。ですから、この投稿者の投稿内容は、二代王様と聖殿食口の間を遠ざけるものとなります。

 

原理講論のキリスト論は、キリストは神ではなく人間だと断定しています。そのような解釈だから、韓氏オモニと三男・顕進氏が、真のお父様に背信してしまったと二代王様は語られています。原理講論は統一原理そのものではありません。二代王様が指摘されたという事は、それは真のお父様の指摘でもあるのです。

 

二代王様の指導に従って、八大教材教本である原理講論も、正しい分析と解釈が必要になっているのです。

 

真の勝利を三代王権に捧げる為には、二代王様の語られるみ言を、正しく理解し受け止めることが、まずは信仰の、初歩の初歩ではないでしょうか。

 

 

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