三代王権の尊い意義と価値をどんなに求めてもあなたにとって無意味なものになる時! | 聖霊のもとにーメシヤの涙

聖霊のもとにーメシヤの涙

心の中に神様が入ってこられ、いらっしゃれば心が分かります。
神様が心の中に入ってこられれば、壁も突き通して見ることができ、
じっと座りながら何千年前に死んだ聖人たちを運行させることもできます。

先々回記事より

 

真のお父様が辿った摂理の奥の奥まで解き明かすには、最初の真の母のことから解説していきなさいと、キリストである真のお父様から指示を受けました。最初の真の母との聖婚式に至る道筋と、最初の真の母が崩れていく経緯にこそ、その後の本質摂理と極秘戦略を紐解く鍵があるというのです。

 

先回記事より

 

二千年の蕩減復帰摂理上に、神側の霊界システムの勝利的結実として、準備された最初の真の母が立ちました。その摂理的背景には、クリスチャンたちがイエス様の花嫁として、花婿のキリストを迎えるために、数えきれない信徒たちが信仰を貫いて、生命をさえ捧げて来た殉教の歴史があるのです。

 

「6マリア」とは、最初の真の母が反逆しサタンに奪われたが故に、ただ一人迎えるキリストという花婿のために生涯を捧げ、二千年に渡って供えられた、夥しくも一人一人が尊い愛と生命の蕩減路程であったのです。

 

三代王権が立った今こそ、「夜の神様、昼の神様」と「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストの観点から、本質の奥の奥の奥義まで解き明かされるべきなのです。

 

  *****

 

「真の御父母様の生涯路程2」に記録されているみ言に、原理は天が最も求める人に最初に宣布しなければなりません。と記されています。

 

さらに、「主人に会う前には口を開くことが出来ない。」とまで語られ、「具体的な話はできません。」とまでみ言を結んでいます。真のお父様にとっての「主人」とは誰の事でしょうか?

 

真のお父様は基盤の無い初期においても、原理を語られて伝道をされてきました。ですから、ここに記されている原理とは、統一教会と家庭連合で明らかにされてきた統一原理や、本体論ではないのではないでしょうか。

 

ここで語っている「原理」とは、原理の神髄である「夜の神様、昼の神様」の奥義であり、「聖父・聖子・聖霊の三位一体のキリスト」のことであると私は思っています。

 

そのようなところを意識して、次のみ言を読んでください。

 

  **「み旨の裏道」より引用開始**

 

真の御父母様の生涯路程 2

第一節 解放を前後した摂理的基台(一九四五・八・一五前後)

五 氏族的信仰基盤と真のお父様

 

真のお父様の内的な準備完結

 

 私が育った時は、日帝の圧制を受けていた時代でした。それゆえに、どんなに大きな抱負をもち、どんなにあふれんばかりの希望を胸に抱いていても、自分のすべての内的心情を吐露できる環境が与えられていませんでした。新しい何かの話、奇抜な何かの考えをもっていても、その目新しい話や考えを話すには、必ず周囲を注意深く見て、内外でそれを鑑定しなければなりませんでした。そうして安心できる結果が感じられなくては、いくら立派な思想や理念をもったとしても話せる時代ではありませんでした。すなわち、不自由な時代でした。

 

 そのような環境で、先生は他人が知らない復帰の路程、原理の中に現れた復帰路程をたどって戦いながら、準備をしてきました。

 

 私はその時、原理を宣布してはなりません。原理は天が最も求める人に最初に宣布しなければなりません。原則がそうなのです。この原理は誰のためにこの地上に立てられましたか。私がこのような原理を探し立てたことは、すなわち天の代わりにこのようなみ旨を立ててきたことは、誰のためでしょうか。その主人がいるために、主人に会う以前には口を開くことができないのです。具体的な話はできません。

  

従祖父文潤國牧師

 

 私の従祖父(祖父の弟)であるおじいさんは、李承晩博士と友達でした。三・一独立宣言文を起草した五人の中の一人です。崔南善とも友達です。この方は平壌神学校を出て、英語も上手で、漢学にも堪能な人なのです。そのおじいさんは男前でした。李昇薫氏が五山学校を設立する時は、背後で私のおじいさんが共に動いて建てたのです。

 

 そう、定州から今まで人材がたくさん出てきたのは、この五山学校があったためですが、ここから愛国的な思想を中心として抗日闘争の思想的基盤が準備されました。

 

 そのおじいさんは牧師でしたが、三・一運動当時、北側五道の代表でした。それゆえに本来、三・一万歳運動の時、三十三人の中に入るはずでしたが、李明龍氏という私のおじいさんの教会の長老だった人が、代わりに、その三十三人の中に入りました。

 

 天は、本当に家庭的によく準備しておいたのです。私の従祖父が、私と共にいたならば、孫から全部教育を受けて、牧師でも何でも、すべて辞めていたはずです。

 

忠母様と大兄様

 

 私の母は、私をどれほど愛したか分かりません。母の心は、自分の心ではありませんでした。私がこのような人になることを母は既に知っていたのか、身内で私しか信じる人がいないと思って、私が何か言えば、母はどんなことでもしたのです。ですから蕩減復帰も知らずに、母子協助が、すべてなされたのです。

 

 また、私の兄は、弟である私に対しては絶対的でした。カインの立場で完全に蕩減できる基台が自然に造成されたのです。歴史上に数多くの兄がいて数多くの弟がいましたが、兄は弟である私に対して、他のことは分からなくても、自分の弟は歴史的な弟だと知っていました。ゆえに、私が何か言うことに対しては、絶対的に従順でした。

 

 私が「こうだ」と言えば、そのまま一〇〇パーセント信じ、疑いがありません。ゆえにカイン復帰がなされました。また母子協助も終わっていたのです。

 

崔氏新婦と妻の実家の信仰

 

 先生は何かと言えば、旧約の完成、新約の完成、成約の出発です。そうして旧約エバ、新約エバ、成約エバが出発できる基盤をつくるために、聖進のお母さんと結婚式を挙げたのです。そのため、そこにはいくらかの危険と負担を抱えて、出発せざるを得なかったということを知らなければなりません。

 

 では、聖進のお母さんは何の代表だったかといえば、神霊女性集団の代表的な女性でした。その代表的な女性を選んだのです。その集団の責任者が、この上なく愛する人を引き抜いたのです。

 

 そのお兄さんは、その時まで神社参拝した既成教会を信じ、母親とこの娘は、再建教会を信じました。それはカインとアベルです。再建教会を信じる人々は、神社参拝をしなかった人たちだからです。このように韓国の教会から見れば、お兄さんは蘇生であり、母親は長成であり、聖進のお母さんは完成として、ぴたっと連結されたのです。聖進のお母さんは私に属しているために、蘇生、長成、完成になるのです。

 

 その当時、聖進のお母さんに、今私が皆さんに話してあげるみ言をみな教えてあげていたならば、すぐに信じたはずです。そして聖進のお母さんが、全キリスト教の基盤の上に立つ母の立場に立ったならば、それが可能だったのです。しかしキリスト教全体を代表した基盤の上に立ち得なかったために、全体の基盤を築く時までは教えてあげられないのです。

 

 エデンの園で、男が女の主管を受けることによって完全に堕落したために、今度は女が男に無条件に屈服して、無条件に従うことができる基盤を立てなければならなかったのです。そうでなくては復帰できないのです。

 

  **引用終了**

 

さらに、最初の真のお母様には、キリスト教全体を代表した基盤の上に立ち得なかったので、教えられなかったとあります。

 

真のお父様のみ言から、最初の真のお母様と結婚された時には、文家においても崔家においても、原理を学ばなくても、アベルカイン一体の基台が出来ていたことがうかがえます。つまり、真のお父様は家庭的メシヤの為の基台の上に立って、キリストとして立っておられたということです。理論的に説明できなくても、信仰と心情においてキリストとして立っていたのです。

 

しかし、キリスト教全体を代表した基盤・・・つまり、キリスト教信徒のアベルカイン一体の基台が立ってこそ、世界の前にキリストとして立つことが出来るし、証しすることも出来るということです。「夜の神様、昼の神様」の解説による証しが無ければ、心の内にキリストが臨んでくださっていても、自覚できるものとはならないのです。

 

ですから、亨進様は世界会長時代に「夜の神様、昼の神様」について、次のように語られたのです。

 

「今日、特別に皆さんにお話したいことは『夜の神様、昼の神様』についての内容です。天福祝祭の期間が終わりに近づいている今、私たちはもう一度、真の父母様がどのような方であるかについて考えてみなければなりません。これを正しく知らなければ、すべての統一家の価値が無意味なものになるかもしれません。(2012年1月29日)

 

「夜の神様、昼の神様」が解説され、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストを迎えられる今だからこそ、真のお父様が語られた最も初期の摂理の事が説けていくのです。

 

この本質が理解できなければ、三代王権の尊い価値が、あなたにとっては無意味なものになるということなのです。

 

 

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