利他とはふとやってくるもの? | 姉さん、それ浄化できますよ〜魂のお掃除屋さん〜

姉さん、それ浄化できますよ〜魂のお掃除屋さん〜

原因の透視リーディングと、お悩みの核となる思い込みのクリアリング(浄化)が得意です。

全て遠隔で対応します。

※現在募集は休止中

島根県出身。
兵庫住み。


久しぶりの投稿です〜ひらめき

久しぶりに思ってること
ダラダラ書きたくなりました。




あ、ちなみに現在クリアリングは提供を
お休みしております。



浄化ってある意味すごく楽しいけど、


ずっと不快感とにらめっこマリメッコ花
なので(?)



ここ2年、3年?休む間もなく
浄化一辺倒だった私は
気づけばものすごく疲れていたのでした。



自分の存在価値が海底2万里くらい低くて、



もうこれ(浄化)やらなかったら
私の存在価値ないよね!!!

乙!!

みたいな感じでした。



ほふく前進で血反吐吐きながら
進んでる浄化ゾンビのようでした。





\ジョウカアアアアァぁ…/








今思うとなんであんな頑張れたのか。




この2.3年走り続けて、
何も無い(と思っていた)私から
大切な人を守れる自信を得た私へ。



おめでとう生ビール



夫の鬱と猫の急な病気を前に
自分の無力さを感じたあの時が
私の人生が変わったポイントでした。



かけがいの無いものができると人は
とっても弱くなる。








で、




タイトルについてですが、
最近、



利他ってなんだろ、
与えるってなんだろ、



と改めて考えています。


今まで、私自身が浄化で
あり得ないほど変わったため、



「この素晴らしさをみんなに伝えたい!!」

「今まで経験したことがないほどの
心の安らぎと充足感をみんなにも感じてほしい!!」



と思ってジョウカアアアアァぁ…!!!
してきましたが、



一方通行になっちゃってたなって。



反省しました。



ごめんなさい。一生懸命でした。








それで、



最近は不必要に浄化しなくなりました。



もちろん自己浄化
+なんか頼まれて流れてくる荷物
は浄化はしております。




で、それ以外で、


ふと


あっ、この人浄化してみよー

あっ、なんかこの土地家屋気になるから
浄化してみよー


とか思うことがあって、
気軽に浄化する時があります。

練習もかねて。



それがたまたま
同僚のお姉さんが入院してる病院
だったりすることがあります。



ガイドに頼まれたんだなー
と、今までは捉えていました。

 

でも頼まれたからやることになった
っていうのが、
なんか自分の中でしっくりこなくて。



「ふと」の感覚をどう言語化したら
いいのか、もやもやしていました。





そんな中。





今日、本屋で
「料理と利他」
(土井善晴先生と中島岳志さんという方の
対談本)


が気になり、
手に取ったところ、


ヒンドゥー語の「与格構文」の話が
あり、まさにこの感覚だ!!

と、しっくりきました。





与格とは簡単に言うと、
自分の意思や力が及ばない現象を表す時
に使われます。





ちょっと以下、


というサイトより、
中島さんの言葉を引用します。




『私が「なるほど」と思ったのが
「愛」の表現でした。

ヒンディー語では、
「私はあなたを愛している」
というように主格を使う場合もありますが、

「私にあなたへの愛がやってきて
留まっている」

というように、与格を使う表現もあります。』




(ヒンドゥー語を話す中島さんに対して)
『「ヒンディー語ができるのか?」

 この時、インド人の多くは
与格構文を使いました。


直訳すると


「あなたにヒンディー語がやって来て、
留まっているのか?」

となります。』



 『特定の言語を話すことが、
なぜ「与格」なのか?

 しかし、よく考えると非常に重要な思想が
ここに含まれているのではないかと
思えてきました。

 ―――言葉が私にやってきて留まっている。

 だとすると、
言葉はどこからやってきたのでしょうか?』




『私が言葉を所有しているのではない。
言葉は私の能力ではない。

私は言葉の器である。

言葉は私に宿り、また次の世代に宿る。


私がいなくなっても、
言葉は器を変えて継承されていく。

そんなふうに捉えられているのです。』











まさに、まさに。









ふと、浄化という摂理が

どこからともなくやってきて、

私という器を通して発現している。



あーなんかこの人、
あるいはこの場所、浄化しよっかな!
というときの、


ふとで動く私の状態は、
まさにそんな感じなんです。







「料理と利他」の文中にあった
言葉ですが、

誰のためとか自分のためとか

そんなこと思わず
ふと、とっさにやってしまう


その感覚を大事にすることが、
利他がうまく回っていく大前提
として必要なのではないか。


そんな結論に至りました。







なんとなく
お分かりいただけたでしょうか?




ちょっと私も自分で
何言ってるか分からないのですが。




そして「ふと」行なった浄化で
いい結果になったとき、
私の中にやってくるのは、


感謝、

喜び、

嬉しさ、

誇らしさなのでした。






メデタシメデタシ…。











では実は終わらない笑








めっちゃめんどくて
浄化ダルい時普通にある!!!!笑





なんかすっっごい
ドロドロしたの流れて来た時とか。





やってらんねーわ!!


ってなる。






みなさんも
どろどろイライラすること、
あると思うけど、




その感情たちも、
自分の意思や、力の及ばない
不可抗力の

「与格」

だと考えてみるとちょっと
楽になるかもしれない。



どこからともなく来て、
そして自分の意思とは関係なく
自分という器にとどまっている。
 




それ、あなたのせいじゃないよ!
ってね。









必要以上に自分を
責める人が減りますようにひらめき