色々ありすぎた。
ストレスから体調が悪化して入院寸前までいった。数回の血液検査でなかなか数値が良くならず、医者にも入院を勧められるし、余りにもきつ過ぎて入院した方が楽だとも思ったが、私の入院を知って泣く子供達を見たら、身体を引きずりながらでも自宅療養をする事にした。
実際、私がいないと娘の髪の毛を結んでくれる人もいない。
自分が寂しい子供時代を過ごしてきたのも手伝って子供達を過保護気味に育ててしまった事を少し後悔した。
いや、本当は後悔してない。自分がして欲しかった事、お腹にいる時から子供達には全部してやろうと心に決めてた。
私は泣いてたなぁ。学校休んだ日、母にいて欲しくて泣いてた。
身体が弱く喘息出るは吐くわで、枕元にいつも洗面器置いてあった。
お母さん、早く帰ってきてよって泣きながら吐いてた。
子供達は寂しいという感覚を知らない。兄弟年が近いし私もずっといるし。
だからそれが時に人を傷つける事がある。
昔の私みたいな子供達、沢山いるから。
結婚してこうして子供の傍にいれるのは旦那のおかげだと感謝はしている。
感謝はしているけど、旦那のネチネチと他の女性と比べられるのに疲れる時もある。
決まり文句は同じだ「若いのにしっかりした奥さんで」私に対してのあてつけ。
自治会の行事がある度に出る言葉。
昨日大切な人を失った。残ったのは7年間の思い出だけ。
こんなに簡単に人は消えてしまうものなのだろうか。
喪失感でいっぱいだけど、頑張って生きていきたいと思った。
夏休みがあけたら、仕事をしようと思う。
子供達には、自分達が帰る時には絶対に家にいてねと条件をつけられたけど。
今はそんな風に言ってるけど、そのうち私がいるだけでうざくなってくるんだろうし。
だからこの夏休みは思いっきり子供と過ごしたいと思った。
今、健康が元に戻ってそう思う。
当たり前のように、親子でいれる時間は短い。
だって私がそうだったもの。
10代で家を出て、それっきり。
母に反発ばかりしていた。自分の家が嫌いだった。
どうしてうちは貧乏なんだろう。どうしてうちの両親はこうなんだろう。
どうして私はこんななんだろう。
コンプレックスの塊だった。それは今でも同じか。
一人ででも生きていける強さが欲しい。自立したい。