世界に類例のない君民共治 『日本人に謝りたい』より | 話そう・学ぼう

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「風の時代」は真実を自分で見極め、自分で考えて行動するようになることが重要。
疑問を話し合い、学びましょう!

『日本人に謝りたい』には天皇陛下の素晴らしさも書かれています。

以下、引用です。

 

「一般にユダヤ人が天皇制の類いまれな点を発見したのは、戦後の天皇とマッカーサーの会見の時であった。かといって、ユダヤ人全部が知ったわけではない。今、日本で勝手気ままにペンを走らせている若僧たちは、もとよりこんなところまで知っているわけではない。

それではユダヤ人が初めて天皇制の類いまれな世界に燦(さん)たる本質、我々ユダヤ民族の理想である要素を完全に我々に教えてくれた、天皇とマッカーサーの会見の時の様子を述べてみよう。

<中略>

天皇が開口一番、自分のことはどうなってもいいから国民を救ってほしいと切り出した時、マッカーサーは驚天せんばかりであった。この席にルソーが同席していなかったのがまことに残念であるが、西洋の君主というものはそれこそマルクスのいう支配者、搾取者である。一般大衆は被支配者、被搾取者に甘んじなければならない

<中略>

…西洋の君主は、いざ革命、戦争、政変などのあった場合は、直ちに自己の生命の保証と財産の保全を求めて亡命などを計るのを常とする。

したがって、マッカーサーも最初天皇が訪問の希望を述べた時、非常に厳しい顔をしていたという。

いってみればそれは当然のことであろう。

日本の天皇もいよいよ生命の保証と財産の保全のためどこか適当な亡命先の斡旋を懇願にくるのであろうとマッカーサーが考えたのも、無理からぬ話であろう。

しかるに前述のごとく、天皇は開口一番、自己の生命や財産の保証ではなく、国民の財産や生命の保証を求めたのであった。

国民を質入れして自己の保身を計る西洋の君主とは逆に、自己を質入れして国民の救済を求めたということである。

マッカーサーたるもの、すべからくルソーに対して自分が味わった感激を報告するべきであろう。」

 

日本の精神的支柱とはどういう存在だったのか?

日本人で生まれたもの、生活しているものとして知っておくべきですよね。

昔の日本人には海外から評価される美しい心での行動の話があります。

しかし、自分も最近の日本人は美しい心が欠けているように感じてなりません。

なぜそうなっているのか?

問題点を追及していくと、世界の問題がよくわかります。

まずは次の動画で日本と他国の違いを学んでみましょう。

 

 

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