書を捨てて 国を出よう! | 三遊亭鳳笑 五代目円楽一門会 の ブログ

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 写真は 実家へ 帰る 時に 運が良いと 見られる 富士山。

 

 読書好きの 家系の様だ。 母は もっぱら ミステリー ばかりだ。 

 私も 数少ない友人 や 先輩が 薦めてもらったり 拡がることもある 。 それでも、偏ってるだろう。

  友人は 本に限らず 高校頃 から 今迄の過程や 価値観を 共有してきたことも大きい。

 現在は 子育て 仕事に 奔走をしている 日々だ。 

 落ち着いたら 会えばいい。 

 実家も 現在の 住まいも遠くはない。

 

私の 本格的な読書 は 高校生 位かな、父の 書棚から 失敬して きたものを 読み 始めた はずだ。 

 実存主義 と 関連づけられる本が 多かった。

 以前は 父と 本の 話を したものだ。

近頃は もっぱら 姉の薦める 本が おもしろい 様だ。

 趣味が 合うらしい。世界史 やら 海外旅行の 追体験 が 好きみたい。

父が 80年代に 訳された 思想書は 理解したかは あやしい。実存主義の 後の 現代思想 だからね。

私だって無理、 解説書 を読んで 挑む、それでも あやしい。

 だって 訳者が 訳してて 意味が よくわからない なんて 本もある。

 どうやら フロイトの 批評的 解釈らしい… 理解は 出来ん なんて あとがきしてある 本もあるのだ。

父も は 思想の潮流 を 大枠では 理解 するだけだ。

そんな手の本 に 訴えかける 魅力が 失せた? 

 また 見切りつけたのだろう。不要な モノだ。

私が 盗んだ本。

作家で 言えば サルトル カミユ カフカ だ。思想 して捉えれば 最早 古典。文学としては おもしろい。

河出書房の 世界の思想シリーズ 筑摩書房の 世界文学全集、中央公論社の 世界の名著 シリーズだ。 キルケゴール、ニーチェ、ドストエフスキー、ハイデッカー。

 背表紙や 帯に 実存主義の 祖 と 書いとけば 売れる時代が あったと みえる。

  サルトルは 解りやすいから 、オピニオンリーダー だったらしい。

 自由な 主体として 世界に 挑む!とか 聞こえが良かったのかも知れない。学生運動 してる人 とかね。

 本当の 自由というのは 絶えず 責任と 参加を 迫る 悲壮な なものだけど、、、卒業すりゃ おしまい そんなのに 責任も 何もない。

 

青い春、 真っ最中の 人間には 元気が でる 読み方、出来る。

 

実存は 本質に 先立つ! これが 有名な テーゼ。 

 絶えず 自己を 自由に アンガシェ、 言い方 変えて エンゲージ する。自己の 自由な つくってゆく。

 サルトルは 、責任を負う! ノーベル賞すら 拒否する。

 晩年まで 街上で チラシまいてた らしい。大した人だね。

 共産主義体制の ボロが 出てるのに 擁護する。主体 なんてモノは 時代性に 操られてる… ってね バレてきていた。

 

でも 政治が熱い 時代にはね、 読み方に、よって デモやら 政治運動には 威勢 つけてくれる サルトル 人気は あがる。小説  演劇用 戯曲も書く しね。

サルトルの  存在。 参考に してるのは ハイデッガー だろう。

この 現象学者は 「世界内存在」という 捉え方をした。

既に 連関のある 世界に 投げ込まれる 存在 だ。

 

サルトルは 企て 投げる 投企 してゆく。

対自存在 が 追いつくと 即時存在 成り 無化されてしまう。

 簡単に 読めば 欲する モノを手に入れたら 虚しくなるね。

新たな 跳躍へと 向かわざる得ないと よね。

投企 する、自己は 世界内存在にある ならば?

 投企するも 何も ほとんどの 人々には たかが 知れてる。

サルトルすら 西欧中心主義的な 真理 倫理 に 囚われてるのだ。

 真似しても もっぱら 政治的な 威勢のいい 振る舞いが ある 程度だ。

 でも どうあれ  人間の構図 としては、サルトル の 言ってるようなもんだ。欲望 でも 目標でも 追っかけっこ してるだけ。

 政治とか 正義とか 抜いちゃえば そんな感じ でしょ。

ハイテッガーは 実存主義 と一緒にされるのを 嫌う、死を 意識して 生きる 人間存在に 着目する。 死への気遣い を 持って 生きる。

ナチと組んだ とされ 表舞台から ありた 観が ある。

死への 物語づくりに 持ってこい だったりする のだ。

 現に 大学総長として 若者を 戦地へ 送り込んだらしい。

 ニーチェは 真理 だと~ そんなもんは ない、そもそも ルサンチマン 怨恨 が 連鎖して こんがらがってるだからだと 指摘している。  シャーロンフロイデ って 言葉に 置き換え 可能かもしれないね。

 

ニーチェのいう 強者は、ルサンチマン的な 道徳観ではない、 価値基準 を持ち 虚無 の 罠に はまらない 人間だ。 しかし ニーチェ自身 理解されるような 強者の あり方を 描いていない。

ニーチェは 天才 文献学者として 最年少 で 教授になり 期待されてたが。健康上 すぐ 職を辞した。恩給生活。

その後、明晰な 論 形式もあれば アフォリズム 詩的言語 へ 傾斜 してゆく。

 

ドイツ語に 堪能だと 美しく 綴られて 感動できるそうだ。

 

ただ この 天才らしき ニーチェ 解釈には 誤解 と 過剰評価、過小評価が つきものだ。

分からないんだから、、、。  脳軟化症 だからね。 明らかに狂っとる しね。

 文献は 妹が 管理して 意図的に 手を加えたものもある。 

 

キルケゴールの 時代は、ヘーゲル全盛、弁証法的に 止揚してゆくと 真理に たどり着く ってやつ。立憲君主制には 持ってこい 君主は その 真理を 行使すれば 善き国が できる。 

 

 理詰めで 論理 を駆使して 正 反 合 の 弁証法的 に 止揚されて 統一された 真実 に 到達する らしい。 

けどね 前提に 提示した 問題、 言葉、 自体 が 無意味 だったりする。

 

真 善 美 とは? 存在とは? ここに ギリシア からの膨大な 知の 遺産を つぎ込む 膨大な厚みの 本が 出来上がる。 西欧伝統の 知の遺産。 

 前提とした 言葉が はなはだ たよりない モノだったり する。 その時代の その伝統にのっとった 遊びだ。

 

キルケゴールは 壮大な 知の営みでなく 個人を 当てはめる。

 当時 市民社会 は 生き方の 選択が 増えてたりする。何かを 選択出来る ことは 不安を 伴う。

個人として 生の モデルケースを 提示する。

 でも キルケゴールは 虚しさへと 向かってしまうと言う。

そして 絶望に 至ってしまう。死に至る病だ…

 どんな 富 享楽も 絶望から 逃れられない。

人間は 有限だからね。

どんなに挑んだって 神の 無限には 敵わない。

 と キリスト者にならざる得ないことを 説く。

 評価は クリスチャンからではないでは ない この時代に 個人的な生を 探求したからだ。

 現代特有の 不安など を考察 したからだ。実存主義に持ち上げられた のは その辺だろう。

時代は流れる、サルトルの 政治的 立場は 旗色が 悪い。 援護する政治体制の 悲惨さを露呈して しまう。個が 肥大して ファシズムに 至る ように 進むのだ。 

 ヒトラーの レジスタンス から はじめても ファシズムへの 道を つくってしまう。

 危険を孕む 思想とも 言える。

 

思想界からは 批判されまくる。文化人類学、精神分析 言語学が サルトルの いう 個 コギト は 何も 根拠などない 制度化された、一時代の 西欧文化に 根づいた コギト にすぎないことを暴いていった。

文学者として 一流で 哲学者としては ??  と 言われてしまう。

父は 宗教でなくても 根底に 正しいものが ある という 楽観。

 西欧式の 利便性 や 生活スタイル。

 西欧文化の 美しさに イカレテいる。我々 も それは 変わらない かもしれないが…

ともかく 実存主義ブーム は 西欧哲学の 中でも 解りやすかったのだ。

落語家は着物を着て 江戸弁 なのだが 生理感覚や 受けた 教育は 正確には 外国人から見た 日本のほうが 近い。 小唄 より 西洋楽のほうが 馴染む し 違いも分かりやすい。

きっちり 西欧文明的な、 教育が なされてる。 

焦がれてるのは メタ 江戸 であり メタ明治 の 東京だ。

どこにもない 場所だ。 アラレちゃんの ペンギン村 みたいなもの。

 

西欧中心主義 人間中心主義 絶対知の 解体が 流入してくる。父の本棚にも その手の本が 混じっていた。 

 フーコー やら ルネジラール、ドゥルーズ、ボードリヤール、デリタの フランスの 思想家の 本を持っていた。

 またその 解説本、浅田彰 はじめ ニューアカデミズム の 本だ。 

 その当時は 80年代の 始めかな。思想書を 読むのが 流行りだったんだから すごい。

 

解説書は 別にして デリダ とか ドゥルーズ、プラス ガタリ 共著 の本なんて  読めないよ。

何言ってんだか 解んないもん。

西洋の 知 の 解体中 なんだから 意味不明になる。

だから 読まなくなるよね。

 

例、 言語は差異の体系である。 そして 恣意的である。要は いい加減 なんだね。 

 

辞書で 性交 と 調べたとする。 性行為 と 書いてある。で 性行為 と 調べると 性交 って書いてある。 

 この無意味な こと トートロジー 同語反復に 陥るってことだ。

 

 言語自体、雨と 霧雨 夕立ち 五月雨 とか 日本では ある。気候の 異なった 国では 雨は 雨。常夏の 国に だったら 四季はない 雨季と乾季 だ。 

 

でも 我々にとっては 雨季、乾季でも そこに住まう文化圏では もっと 微妙な 表現 や 言葉が あるだろう。 区別 が あって その現象が 言葉として 表れる。

 

そうなると イデオロギーはもちろん、イデア 物自体 神 の 世界は 扱わないのだ。なんとなく欲していたのだろう。

 

これが 思想の最先端と されたら 面倒なんだね、で 思想雑誌 自体 意味不明なもの デタラメでも 載せてしまう。そのことが 露呈された。

難解なら 難解なほど 尊んじゃう。

バブルの 頃、 絵を 10万で 売ってたら 売れない 100万に してみたら 全部 売れたそうだ。

思想も 同じ 様な バブル。

意味不明 で難解に 見えるほど 価値が ある。クールだ!ってなるのだ。

父は ファッション感覚 でないから読まなくなる。

サルトル の 時代 そして 戦後、冷戦 あらたな   イデオロギー的 対立が あった。 

 学生運動 では 右イコール体育会系の 学校に雇われた デモつぶしの 学生。

 左 なら 進歩的で スマート という 印象でしか 物事を見ていなかった。

その延長として 読書していた 決して 思想書は 父にとって 優先度は 高くない が 最低限の 社会的正義良識は あるものだと 思って 食らいついてた。

 

普段は 英語 単語帳 ばかり読んでた。 好きなんだろうね。意味もなく 覚える。

 こないだは 英論文の 書き方。 論文書く予定は 無い。

推定する、断定する、〜 による 効果は 妥当で ある。とか 基本的な 構文 を 覚えていた。

一時期は 車に 中国語 漢詩 とか 流してた 、それを 口ずさむと 楽しくなるらしい。

でね だからと言って  話せる様になるかって言うのは 別問題だ。

生活 に密接な 言葉、コミュニケーション 言語ではないからだ。現地の 小学生の方が 言葉は 達者なのだ。

そして 英単語帳より つまらなく 意味不明な 思想書。

 追い打ちをかけるように 東欧の民主化、ソ連崩壊、天安門、ポルポト、フタた 空いたら ひどい有様 を 見せられた。

 正義も何も 砕け飛ぶ。  

冷戦以後 、思想家が 哲学者と 称する 人間が 発言力が 変革する力が あったか? 一般的に 話題にも なりゃしない。

 

 高校生のころ 列車の旅で アメリカ兵の 夫人と 相席になった。父は 英語で 話しかけると 喜んだ 夫人から チョコレートや クッキーを もらった。アメリカと  日本の差に 愕然とした。

田舎の駄菓子屋には あんなうまいものは 売ってなかったのだ。

 

そして 英語さえ 話せば 良い思いができると 強烈な インプットを してしまった。いらい 英語を主に 学んだらしい。

 

近所の 中国人夫妻 と知り合った。妻は マレーシア華僑 だ。

その お父さんたちが マレーシアに 旅行した時 大変に よくしてくれた。

 たまに 水餃子を くれるのだが それが うまいのなんの。

 

 父は これからは 中国だと 中国語の 勉強を 始めた。 それだけなら いいが 中国へ 移住してしまった。四年も 暮らしていた。

 

父は 食い物で 人生観が 変わってしまう らしい。

父も父だが 帰国して から 思想なんて 屁の役にも立たんってことを 思い知ったことだろう。

中国で テレビ つければ 共産党の プロパガンダが 一日中流れている。

 

母の付き添いで 町の プロテスタントの 教会を 探し出して 行く。

 牧師の横に 共産党 が見張ってて キリストに 祈ってんだか 主席を 敬ってんだか わからなくなる。

 

そんなところで とけこんでる 母。

 母は 無論 中国語は しゃべれない けど 買い物に行くし 按摩 にも按摩さん 目が見えないから 母は おし みたいなものだ。

  漢字 での コミュニケーションすら出来ない。 それでも 何とかなるらしい。

 

多くの本は 帰国してからか? その前か? ほとんど処分してしまった。

母は  暮らしてるだけで 周りに 馴染んで 話さなくても 交流できる ある意味 強いのだ。

 思想なんて 難しい 言葉なんて 無粋 で 意味のない 言葉なのだ。

どこに行っても 相応の 暮らし コミュニケーション を とってしまう。

もう 海外へは 渡らないだろうが この夫婦は 平気で 亡命できるだろう。そして それなりに 楽しく 暮らしてしまうだろう。

 

 『書を捨てて 町へでよう!』 なんて 小さいよ。

 書を捨てて国を出よう! なんだもん。