先週、元町に行きましたら、一足早く、春節のお飾りが設置されていました。

元町のクリスマスの飾りつけと、中華街の春節の飾りつけ。

ちょっと見ただけで、わくわくしてしまうのは、ハマっ子だからでしょうか。

 

「年年有余」は(経済的に)ゆとりある生活を送ること。

「年年有余」の「余」と「魚」の発音が同じなので、魚のモチーフを飾ったり、魚料理を食べるのだそうです。

 

遠目に朱雀門を眺め、華やかな飾りにひかれて、そのまま橋を渡り、中華街に立ち寄りたい気持になりました。

でも、老犬が家で待っていることを思い出し、Union(スーパーマーケット)だけ寄って、急ぎ帰宅しました。

 

* * *

 

さて、旧暦の新年が明け、今日は1月23日。

藍湛のお誕生日ですね。

 

一段一段がとてつもなく高く、しかも、急勾配の階段を、前だけを見て駆け上っていくYiboくんには、いつまでも「白牡丹」「藍湛/藍忘機」は嫌かもしれません。

 

でも、あの藍湛がいなければ、私が王一博/Wang Yibo を知ることはなかったので、お祝いしたい気持になります。

奇遇なことに、親しい人のお誕生日でもあり、記念日記憶の苦手な私でも忘れない日なのです。

 

原作も知らず、ドラマについての知識もなく見た『陳情令』。

そういう私でも、初見の第一話では、Yiboくん演ずる藍湛を「若い」と感じる場面が幾つかありました。

 

それもそのはず、当時、彼はハタチ。クランクアップ間際に、やっと21歳になったのですから。

後にそのことを知り、まさか、そこまで若かったとは…と、とても驚きました。

 

ですから、原作に思い入れがおありの方がたから、放映が始まった当初、批判があったのは当然かもしれません。

 

けれど、私がそれを感じたのは第一話だけで、その後、ほとんど違和感をおぼえなかったように、王一博の藍湛/藍忘機は、原作ファンにも認められ、彼以外には考えられないものとなりました。

 

とくに、16年後の Yibo 藍湛は、含光君の絶対的な存在感を、みごとに再現していたと思います。

 

中国エンタメに触れたのも『陳情令』が初めてだった私は、彼らを時代劇俳優と思い込んで見ていました。

 

最終話まで見終えて、彼らがアイドルであることを知り、初めてネット検索をして見つけたのが「湖南卫视嗨爆夜」のステージ。

Yiboくんのダンスと Zhan Zhan の歌に出会いました。

 

彼らのパフォーマンスを初めて見たのが、このステージだったこと、運命的に感じます。

どちらも、かなり私好みでした。

今見返すと、ふたりとも、とてもかわいいですね。

 

ここに彼らのドラマがあったことを知るのは、もう少し後のこと。

『陳情令』のBTSやファンミーティング&ライヴ映像の存在も、この時は知りませんでした。

それまで、YouTubeも、Instagramも、Twitterも、無縁の人生でしたから。

 

次に見たのは「街舞3」。

ただ者ではない Yiboくんを知りました。

このチョイスも、まったくの偶然だったのですが、やはり運命に導かれた感があります。

 

それから、「天天向上」や『陳情令』のBTS、さまざまなステージを見て、ただ者ではない Zhan Zhan も知ってゆきます。

このように「表現者として」「人として」の彼らの魅力を知る機会がなければ、彼らにこれほど魅了されることもなかったでしょう。

 

そんな Yiboくん、「湖南卫视春节联欢晚会」で映画『无名(無名)』の主題歌を披露しました。

鏡を使った演出、歌詞にも出てくる「鏡」、自分の姿であっても虚構の姿。

 

複数ある鏡に写し出される何人もの Yiboくん。

時折、そのうちの1人が Zhan Zhan に見えてしまうことがあり、自分の目を疑いました。

でも、他にも見えた方がいらしたようで、私だけではなかったと、安心しました。

彼らによくある現象です。ほんとうにふしぎ。

 

印象に残るメロディと歌詞ですね。

作詞は程耳監督。

とても奥行きがある詩に感じました。

映画を見て、あらためて、詩の世界と対峙したいと思いました。

 

ドラマも、映画も、日本語字幕がつくまで、おとなしく待つ派です。

程耳監督作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』は劇場公開されています。

 

この『無名』はどうでしょうか。

万が一、劇場公開がない場合は、CS放送かネットで見ることができますように。

どうしても見たいのです。切に願っております。

 

歴史の解釈も、創作作品も、すべて、語る者や作者の視線で描かれます。

どのような視線で描かれていたとしても、程耳監督の描く世界として捉えて、映画を作品として鑑賞したいと思っています。

そして、Yiboくんのお仕事ぶりをこの目に焼きつけたい!

 

GQのインタビューで Yiboくんが梁朝伟(トニー・レオン)との格闘シーンについて、「手を伸ばせばすぐにレオンさんの顔に触れることができるほど、距離が近かった。とても幸せな気分です」と語っていました。「王一博 歩履不停「GQ」2022年10月号」

 

これを読んだ時、「トニー・レオンとの格闘」ということは、もしかしたら、Yiboくんは二重スパイの役なのかしら…と思いました。

ベン・マッキンタイアー著『キム・フィルビー』を読んでいるので、ダブルスパイなどを思い浮かべたのかもしれません。(この本、とてもおもしろかったです)

 

でも、Yiboくんの役はダブルスパイではなく、中国人と日本人のハーフで、幼少期に日本ですごした経験を持つのだとか。

(上海語だけでなく、日本語も流暢に喋っているそうなので、とてもたのしみです)

2つの祖国を持つ人が諜報部員になるケース、たしかにありますね。

 

何重もの苦悩が形を成したような存在を演じたのですね。

そして、程耳監督が、Yiboくんを大絶賛しているということは、しっかりと演じきったということ。

 

彼はいつも、私たちの期待の遥か上の結果を見せてくれると、前回のblogにも書きましたが、またも痛感しました。

この映画『無名』は、王一博の代表作のひとつと語られるようになるのでしょう。

 

* * *

 

Zhan Zhan は表情がとても豊かなひとで、立ち居振る舞いも愛らしく華やか。

屈託なく人とも接して、誰もが彼を好きになってしまうように見えます。

とても愛情をかけられて育ったのだろうと感じます。

 

そうした豊かな感性が、滾々と溢れ出るように、演技も感情表現が多彩。

それが、俳優 肖战/Xiao Zhan の魅力になっています。

 

私が感じるYiboくんは、Zhan のような表出する多彩さとは異なり、つねに、王一博/Wang Yiboという一定の、なんというか、定まった存在感なのです。

うまく言えませんが、液体と固体の差、という感じでしょうか。

 

固体と言っても、カチコチに固く冷たいわけではなく、やわらかな燐光を発する蓄光石のような感じ。

 

ダンスでも、演技でも、歌でも、彼が何かを表現する時は、一旦、自身の中にとりいれて蓄光する。

そして、見たこともないようなさまざまな色合いの燐光を発する。

そんなイメージ。

 

どちらにしても、ただ、うつくしいだけの人ではない。

稀有な表現者ということ。

彼らを比較する必要はないのですが、忘羨ファンとしては、つい「一対」として語りたくなってしまいます。

 

そして、「鏡の中の私」から、今度は「時空を超えた私」でしょうか。

「河南春晚」の Yiboくんのダンスパフォーマンス『双生』。

 

「一対」と言いましたが、「双生」も対です。

「双生」は日本語でも「ふたご」あるいは「ふたごを生む」という意味。

この『双生』は、古今(ここん)のふたつを描く、という意味でしょうか。

またまた、贅沢な作品を見せていただきました。

 

「街舞5」で、Yiboくんのダンスをあまり見ることができず、これから先、踊る彼を見る機会はあるのかしら…、もう、あまりないのではないかしら…と、どよ~んと、暗い気持になりました。

 

もちろん、俳優としての彼らのお仕事も見たいですし、応援しています。

でも私は、歌う Zhan Zhan がいちばん好きで、踊る Yiboくんがいちばん好き。

 

ですから、Yiboくんの『像阳光那样』と『双生』のダンスを、こんなに短い間に、続けて見ることができて、とても倖せです。

Zhan Zhan の歌声を聞くことができる日も待っています。

 

『双生』の振付は、「街舞」でお馴染みの马晓龙さん。

「街舞」、「这!就是街舞」という番組は、私が知らなかった中国の多くのことを教えてくれました。

 

それは『陳情令』も同様です。

かつて必ずといってよいほど付いていた形容詞「中国四千年の歴史」を思い出し、CGをはじめとする新しい技術の高さも知りました。

 

「街舞」を見なければ、ストリートダンスと中国国風舞踏の融合によるすばらしい作品の数々を知ることもありませんでした。

 

この『双生』も、中国国風舞踏の「古(こ)」と、ヒップホップダンスの「今(こん)」の融合。

 

『像阳光那样』の振付をした陈梓豪先生が、なぜ、あのように静謐なコンテンポラリーダンスを踊りたいのか、Yiboくんに尋ねたところ、今年は大変な日々だったので、「人びとに希望と癒しをあたえたい」と同時に「自己突破したい」と答えたと、伝えてくださいました。

 

『双生』のダンスにも、そうした新しい試みを見ることができました。

アウトプットが続くハードスケジュールで、これだけの創造ができるのです。

ミューズの神から特別な愛を受けて生まれてきたのでしょうけれど、現実のミューズの愛もきっと支えになっていますね。

 

そして、また「东方卫视春晚」で『無名』の主題歌を。

こちらでは、映画の番宣MVのような凝った演出で、素敵でした。

 

 

 

 

ひさしぶりにアルテリーベに行きたくなりました。(古き横浜の石造りの洋館も少なくなりました)

 

怒濤のYiboくんも、これで一段落でしょうか。

現地では映画の評判など、これから飛び交うのでしょうけれど、私はしばしおあずけです。

 

いつもお伺いしているblogの皆様のおかげで、私もこの急流にどうにかついてゆくことができました。

とてもありがたく感謝しております。

 

大河は、激しく急な流れであっても、とても静かに見えるもの。

現状にあまんじることなく、挑戦しつづける Yiboくんに、静淵を見た新年となりました。