大衆演劇を大衆文化としての考察 | レイジイの気まぐれブログ

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今朝、紀州屋良五郎さんの記事を読んでいて、
共感してこの記事を書きたくなりました。

紀州屋良五郎さんのブログ、
今回リブログ設定されていませんでしたので、
どの記事なのか
とはあえて書きません。
紀州屋良五郎さんの大衆演劇愛溢れる記事と勝手ながら私は思いました。
気になる方は『紀州屋良五郎さんのブログ』
からご自分でお探しください。


大衆演劇を文化として捉えるか、
娯楽として捉えるか?

文化とは『Wikipedia』に
文化にはいくつかの定義が存在するが、
総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである・・・ハイカルチャーのように洗練されたもの

なんちゃらかんちゃら書かれておりますが、
そんな小難しい事は放っておいて、
早い話が『文化』=『教養』と私は考えております。

なので、私にとって
『大衆演劇』とは文化でなく娯楽!

これは私にとって映画も同じで娯楽として考えているので、
頭を使う小難しい作品よりも
単純に喜怒哀楽の感情で観れる作品を好んでます。
なんて言いながら社会派映画なども好き(笑)

私にとって
大衆演劇は娯楽そのもの、
何も考えず『笑い泣き』
時には舞台と同化し
悪役を憎み悪役がやられれば拍手喝采!

はい、めちゃ単純なんです。

大衆文化として今現在の『大衆演劇』が
世間的に認知されたら将来の大衆演劇は明るい未来?

何も文化とはハイカルチャーや教養として捉えなくても、
庶民に根付いた単純明快痛快娯楽として
文化的価値はあると思います。


以下余計な記事なのでスルーを・・・

ただ、そんな娯楽として捉えていても、
時には大衆演劇の雰囲気に馴染めない時があります。

それは大衆演劇独特のお客様の(ほんの一部のお年を召したお姉様方)
傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な振る舞い、
『この空間は私達のものよ』
とばかり他を寄せ付けない雰囲気、

独占法禁止条例に抵触するのでは・・・
とは言いスギリョウタロウ。

いやいや、こんな記事書くと、
劇場で吊るし上げくらいそうなので言い訳を
「これは私の心の中の声でたまたま昔経験したことです」
ほとんどのお客様は優しく接してくれています。

朝起きぬけのボーっとした頭で書いた記事は
ホントにアップするのにためらいます。

本日病院なので、
この後はスマホで更新できるかな・・・