ニューヒーロー参上! | どら猫でござる。

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ゴールデン猫劇場

こんにちは
こんばんわ
おはようございます。(_ _)

どちら様もまだお正月ですか?
我が輩はまだお正月です。(^^)v

おせちもいただき
雑煮もいただき
酒も呑んで呑まれてまた呑んで・・・(´`;)

3ヶ日も終わり
そろそろモードを切り替えないとヤバいかな
と、思った矢先に

また土・日がやってきたので
たぶん
このまま呑み続けるのでしょう・・。(¯◇¯)

あ、ども・・・
雑煮入れば郷に従え
我が家はしょうゆすまし汁の
「どら」でござる。('_')b


(毎日が正月・・・それが何か?)

そんなこんなで・・・

去年暮れの
12月22日、全国高校駅伝。
12月30日、富士山女子駅伝
ときて・・

元日の「全日本実業団対抗駅伝」
またの名を「ニューイヤー駅伝」
そして2日と3日は「箱根駅伝」・・と

駅伝が大好物の我が輩にとりましては
至福の毎日・・。(^^)

初詣にも行かず
飲み会の誘いにも負けず
ただ、ひたすら
家に引きこもって駅伝三昧・・。

寝正月ならぬ
駅伝正月でござった。(^ー゜)b


実業団駅伝では
我が延岡の旭化成が
4連覇達成!
パフ♪パフ♪パフ♪パフ♪
(^^)_∠☆PAN!。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆

中盤はややもたつきましたが
終盤、5区:村山謙太、6区:小野知大、7区:鎧坂哲哉が
連続区間賞でぶっちぎり!!

特に
6区、小野知大選手は
35分13秒の区間新記録で
一躍、ニュー・ヒーローとなったのであった

デデンデンデン♫
ピロピロピロ〜
ヒュー・ドロドロ〜♪(幽霊か!)


(旭化成4連覇!アンカーの鎧坂選手)

しかし、なんでございますね

大会前日・・
ていうか、始まるまで
いや
6区でタスキをもらうまで
全国的にはほとんど無名だった
20歳の若武者、小野知大選手が
一躍、全国にその名を轟かせたってのは
地元の人間としては
こいつぁ春から縁起がいいワイワイ♪


(快走する小野知大選手/Twitter投稿画像より)

では・・・

彼ほどの凄い選手が
いったい、今までどこに隠れていたのか・・
ていうと

彼はお隣の大分県出身。
中学で陸上を始め
3年生の時・・・

2014年11月2日。
ジュニアオリンピック3000mで優勝。
この時のタイム、8分37秒60は
当時の全国中学生2位の記録でございます。

さらに
同じ年、12月14日の全国中学駅伝では
2区で33位でタスキを受け
ニャンと30人をゴボウ抜き!
チームを一気に3位に押し上げたのです。
もちろん区間賞。

これを機に
陸上界では結構話題になったのですが・・。

その後・・
大分県の名門、鶴崎工業高校に進学し
1年生で全国高校駅伝に出場しましたが
区間15位と目立った成績は残せず
チームもその後
全国高校駅伝には出場できませんでしたので
いつのまにか忘れられた存在に・・・


(優勝後のインタビュー)

高校卒業後は
誰もが憧れる箱根駅伝には目もくれず
高卒で実業団の名門
「旭化成」に入社したのでござる・・。

旭化成は延岡が拠点なので
大分のすぐお隣ということもありますが
高卒でほとんど無名の選手が
選手層が厚く、レギュラーを掴むのも困難な
旭化成陸上部に入るというのは
かなりの決意・覚悟だったと思います。

そして
彼のその覚悟は見事花開きました。

入社1年目の
2019年12月1日。
全国の腕に覚えのある・・
もとい
足に覚えのある強豪ランナーが集まった
第44回熊本甲佐10マイル公認ロードレースで
5位に入ったのです。

この成績が認められて
元日の実業団駅伝のメンバーに選ばれ
6区で35分13秒の区間新記録!
チームを優勝へと導いたのです。

パフ♪パフ♪パフ♪パフ♪
(^^)_∠☆PAN!。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆


(ゴール直後、宗猛さんやノーベル賞吉野先生の後ろ姿も・・)

これで一躍
全国にその名を轟かせた小野知大選手は
駅伝ファンにとどまらず
「イケメン!!」
というワードで
若い女性を中心に
SNSを賑わせたのでござる。('_')v

さらに
「声もいい!」
「スタイルもいいわ!」
と、そりゃもう大騒ぎさ!

もう、今の時代
ただ速いだけじゃだめなのか・・
「イケメン」がオプション条件なのだな・・

そりゃあ
顔もいい、足も速いとなりゃ
鬼に金棒、猫にカニ棒・・

しかしなぁ・・あんた
顔も足も親から授かったもの
努力だけじゃどうにもならんて

しかし
「気立て」は努力次第でどうにでもなるから
がんばれ・・・!(¯_¯)

では、ここで一曲。

「ヒーロー HOLDING FOR A HERO」(1984)
歌:麻倉未稀
作詞:Jim Steinman/作曲:Dean Pitchford
日本語詞:売野雅勇


というわけでございましてな

我が延岡を拠点とする
「旭化成陸上部」は創設が1946年。
今年で創部74年目・・・。

我が輩が物心ついた頃には
すでに世界で活躍するトップ・ランナーたちが
普通に街中をジョギングしている
そんな環境だったでござる。

黄金時代と言われた
80年代から90年代には
あの伝説の宗兄弟。
靴が脱げましたの谷口浩美選手。
バルセロナ銀の森下広一選手
米重修一・西政幸、川嶋伸次・小島兄弟・佐藤信之・・
と、蒼々たるメンバーが
毎日、街を走ってたのです。


(3区を力走する市田宏選手)

今でこそ
ニューイャーだなんだと
元日早々、競技の模様はテレビでフル中継され
メディアでも結構取り上げられるので
メジャーになってますが

昔はあんた
実業団駅伝なんて
テレビ中継どころか
新聞でもチラッ!と結果が載るくらいで

よほどの陸上・長距離マニアでない限り
一般庶民からは
ほとんど見向きもされなかったマイナー競技
だったのでございます。

全日本実業団駅伝の
記念すべき第1回大会は
三重県の伊勢・志摩で開催されしまた。
旭化成はこの大会で2位。
(優勝は八幡製鐵(現:日本製鉄)

第2回、第3回は欠場しましたが
第4回、第5回大会は「旭ダウ」として出場しています。

1963年の第8回大会から
再び「旭化成」として出場。成績は2位。

翌、1964年、東京オリンピックの年
第9回大会で「旭化成」は初優勝。
その後、1966年第11回まで3連覇。

現在までに
6連覇を2回
3連覇を2回・・。

歴代最多の25回の優勝
最多出場記録56回(カネボウと同記録)


(旭化成延岡のシンボル巨大煙突と我が街)

駅伝がマイナー競技だった当時の
ライバルチームや強豪チームが
だんだんと離合集散、撤退していく中

旭化成はその姿勢をくずさず
ブレることなく
地味にコツコツと続けてきて
一時、低迷期はあったものの
晴れの日も雨の日も74年間・・・
常に強豪であり続けたのです。

これって
すごくないですか?

誰も言わないから
我が輩が言いますが・・・(˘o˘)b

それともうひとつ・・

他の有力企業が
選手を広告塔として契約し
ほとんどセミプロ化しているのに対し

旭化成は選手であろうと誰だろうと
あくまでも正社員として雇用する。
という方針なのでござる。

ですから
選手が走れなくなっても
使い捨てにはしません。
引退後も選手が望めば
社員として勤務を続けられます。

え・・?

我が輩は
旭化成から1円も貰ってません(¯□¯)
ただ地元民として応援しているだけです。
あしからず・・・

では、どちら様も
今日が佳い日でありますように・・

by どら