1992~1996年のサザンとユーミン⑯ ~1996年『愛の言霊』と『透明人間』(中編)~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

1992(平成4)~1996(平成8)年、私が10代の中高生だった頃、

サザンオールスターズ松任谷由実(ユーミン)が、テレビドラマとのタイアップで大ヒット曲を連発していたが、そんな1990年代のサザンとユーミン(松任谷由実)の黄金時代にスポットを当てた、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

のシリーズも、いよいよ大詰めに差し掛かっている。

現在は、「1996(平成8)年・サザン編」を書いているが、

1996(平成8)年、SMAP香取慎吾が主演した、日本テレビのドラマ、

『透明人間』

の主題歌として、サザンの楽曲、

『愛の言霊 ~Spiritual Message~』

が起用された。

 

 

…という事で、私がこれまで書いて来た、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

のシリーズは、下記の通りである。

 

①1992年『涙のキッス』と『ずっとあなたが好きだった』

②1993年『真夏の夜の夢』と『誰にも言えない』

③1993年『エロティカ・セブン』と『悪魔のKISS』

④1994年『Hello, my friend』と『君といた夏』

⑤1994~1995年『祭りのあと』と『静かなるドン』

⑥1994~1995年『春よ、来い』

⑦1994年『砂の惑星』と『私の運命』(第1部)

⑧1995年『命の花』と『私の運命』(第2部)

⑨1995年『あなただけを ~Summer Heart break~』と『いつかまた逢える』

⑩1995年『輪舞曲(ロンド)』と『たたかうお嫁さま』

⑪1996年『まちぶせ』(前編)

⑫1996年『まちぶせ』(中編)

⑬1996年『まちぶせ』(後編)~80年代アイドル歌謡史~

⑭1996年『まちぶせ』(完結編)

⑮1996年『愛の言霊 ~Spiritual Message~』と『透明人間』(前編)

 

 

…というわけで、前回の記事は、1991(平成3)年にジャニーズの新たなグループとしてデビューした、

「SMAP」

の軌跡を中心に書いたが、1992(平成4)年、SMAP木村拓哉が出演した、フジテレビの「月9」ドラマ、

『あすなろ白書』

で、「キムタク」こと木村拓哉「ブレイク」を果たし、いよいよ、

「SMAPの時代」

が幕を開けた…という所までを描いた。

それでは、今回はその「続編」という事で、

「1992~1996年のサザンとユーミン」の「第16回」、

「『愛の言霊 ~Spiritual Message~』と『透明人間』(中編)」

を、ご覧頂こう。

 

<SMAPが売れた理由~「バラ売り」と「グループ活動」の絶妙のバランス>

 

 

SMAPが売れた理由は、色々有ったと思われるが、

やはり、SMAPがあれだけの大人気グループになった最大の理由は、

「SMAPのメンバーが、それぞれ個性的で魅力的だった」

という事に尽きるのではないだろうか。

そして、SMAPはグループとしての活動を基本としつつ、それと共に、各メンバーが、それぞれ個別に活動するという、

「バラ売り」

の戦略を取った。

その「バラ売り」の結果、メンバー達は少しずつ知名度を上げ、引いては、彼らが所属するSMAPというグループの人気も上がって行った。

つまり、「バラ売り」と「グループ活動」のバランスが良かった事が、SMAPが売れて行った理由であろう。

そして、初期のSMAPは、意外と言っては何だが、子供達というか、少年少女に、とても人気が有った。

それは何故かと言えば、SMAPのメンバーが、子供達に人気が有る作品に出演し、その作品を通して、子供達からの人気を得て行ったからである。

 

<アニメ・ミュージカル化された少女漫画『姫ちゃんのリボン』~SMAPが歌った主題歌『笑顔のゲンキ』(1992)、『君は君だよ』(1993)がスマッシュ・ヒット>

 

 

 

さて、1990年代に大ヒットした少女漫画、

『姫ちゃんのリボン』

という作品を、覚えているだろうか。

『姫ちゃんのリボン』

とは、主人公の中学1年生の少女で、「姫ちゃん」こと野々原姫子が、「魔法のリボン」を使うと、他人に変身出来る…という、所謂「変身少女物」である。

そして、水沢めぐみが原作で、少女漫画雑誌「りぼん」で連載され、女の子達の間で大人気だった『姫ちゃんのリボン』が、1992(平成4)年、テレビ東京でアニメ化される事となった。

 

 

 

 

 

1992(平成4)年10月2日、テレビ東京で、

『姫ちゃんのリボン』

の第1話が放送されたが、この『姫ちゃんのリボン』の主題歌だったのが、SMAPの5枚目のシングル、

『笑顔のゲンキ』

である。

そして、アニメ化された『姫ちゃんのリボン』も大ヒットしたが、それと共に、毎回、テーマ曲として流れる、SMAPの『笑顔のゲンキ』も、オリコン最高「8位」というスマッシュ・ヒットを記録した。

 

 

 

 

テレビ東京のアニメ版の、

『姫ちゃんのリボン』

は、1992(平成4)10月~1993(平成5)年12月まで、何と1年以上も続き、

「全61話」

が放送されるという、根強い人気が有ったが、その間、『姫ちゃんのリボン』のアニメのオープニング・テーマは、ずっとSMAPの『笑顔のゲンキ』であった。

そして、エンディング・テーマもSMAPの楽曲が起用され、

1993(平成5)年6月6日リリースされた、SMAPの8枚目のシングル、

『はじめての夏』

と、同年(1993年)9月9日にリリースされた、SMAPの9枚目のシングル、

『君は君だよ』

は、共に『姫ちゃんのリボン』のエンディング・テーマであり、両曲とも、オリコン最高「7位」まで上昇する、スマッシュ・ヒットとなった。

従って、当時、『姫ちゃんのリボン』を見ていた少年少女達にとって、

「SMAPと言えば、『姫ちゃんのリボン』の主題歌を歌っているお兄さん達のグループ」

というイメージが強かったと思われる。

 

 

 

 

 

 

このように、少女漫画やテレビアニメとして、

『姫ちゃんのリボン』

が大ヒットしたのを受け、1993(平成5)年12月、遂に、

『姫ちゃんのリボン』

は、ミュージカルとして舞台化される事となった。

そのミュージカル版の『姫ちゃんのリボン』で、ヒロインの「姫ちゃん」こと野々原姫子の役を演じていたのが入絵加奈子であり、「姫ちゃん」のボーイフレンド・小林大地の役を演じたのが、SMAPのメンバーで、当時19歳だった草彅剛である。

そして、ミュージカル版『姫ちゃんのリボン』には、SMAPにとってジャニーズの後輩にあたる、TOKIO長瀬智也も出演していた。

という事で、この時期といえば、フジテレビの「月9」ドラマ、

『あすなろ白書』

で、「キムタク」こと木村拓哉が大ブレイクを果たしていたが、同じ頃、草彅剛も、SMAPを代表して、

『姫ちゃんのリボン』

の舞台化作品で奮闘していたのであった。

 

<1994(平成6)年1月~1995(平成7)年6月…テレビ東京で、アニメ『赤ずきんチャチャ』が放送(全74話)~SMAPの香取慎吾が「リーヤ」役で出演>

 

 

 

さて、先程は、

『姫ちゃんのリボン』

という少女漫画について、ご紹介したが、

今度は、彩花みんが描いた少女漫画、

『赤ずきんチャチャ』

について、ご紹介させて頂く。

そして、

『赤ずきんチャチャ』

も、SMAPとは大きな関わりが有った作品である。

元々、『赤ずきんチャチャ』は、少女漫画雑誌「りぼん」で連載され、大ヒットしていたが、『赤ずきんチャチャ』も、テレビ東京でアニメ化される事となった。

 

 

 

では、

『赤ずきんチャチャ』

とは、一体どんな話なのか…と言えば、魔法の国に暮らし、「赤ずきん」がトレードマークの魔法使い見習いの少女「チャチャ」がヒロインであり、「チャチャ」と共に、ボーイフレンド兼狼男(?)の「リーヤ」、そして魔法使いの弟子である少年「しいね」という3人組が旅をする…という物語である。

なお、普段は子供っぽい「チャチャ」も、強大な敵が現れた時には、魔法の力で戦う、美しいヒロインに変身する…という設定である。

 

 

なお、テレビ東京でアニメ化された、

『赤ずきんチャチャ』

は、1994(平成6)年1月~1995(平成7)年6月にかけて、何と「全74話」が放送されるという大ヒット作となったが、

SMAPのメンバーで、当時17~18歳だった香取慎吾が、『赤ずきんチャチャ』「リーヤ」役で、ずっと出演していた。

当時、SMAPは「売れっ子」となり、香取慎吾も多忙なスケジュールの合間を縫って、『赤ずきんチャチャ』のアフレコに参加し、「リーヤ」の役を演じていたが、プロの声優顔負けの演技を披露し、共演者達を驚かせていた。

という事で、当時、『赤ずきんチャチャ』を見ていた、少年少女達にとって、

「香取慎吾といえば、『赤ずきんチャチャ』のリーヤの役の人」

というイメージが強かったと思われる。

それぐらい、香取慎吾が演じる「リーヤ」の役はインパクトが有った。

…という事で、初期SMAPにとって、アニメというのは、重要な活躍の舞台だったのである。

 

<フジテレビ「笑っていいとも!」のレギュラーに抜擢されたSMAPのメンバー、中居正広・草彅剛・香取慎吾>

 

 

 

さて、1991(平成3)年にSMAPがデビューした後、SMAPの楽曲は、当初、なかなか売れなかった。

それは何故かと言えば、1990年代に入り、テレビでは「歌番組」が殆んど絶滅寸前であり、

SMAPがデビューした頃、まともな「歌番組」といえば、タモリが司会を務めている、テレビ朝日の、

「ミュージックステーション(Mステ)」

ぐらいしか無かった。

つまり、SMAPが曲を出したとしても、なかなか、その曲を披露し、アピールする場が少なかった…という状況だったのである。

そこで、SMAPが活路を見出したのが、前述のようなアニメ作品であり、そして、バラエティー番組であった。

「歌番組が無いのであれば、バラエティー番組で、SMAPの存在をアピールしよう」

というのが、当時のジャニーズの「戦略」だったと思われる。

そして、SMAPが出演するようになったのが、フジテレビで月~金曜日の12時台に生放送され、これまたタモリが司会を務めていた、

「笑っていいとも!」

であった。

1991(平成3)年、まずは中居正広・木村拓哉が、「テレフォン・ショッキング」にゲストとして、「笑っていいとも!」初出演を果たすと、1993(平成5)年には、香取慎吾・草彅剛・森且行…らが、これまた「テレフォン・ショッキング」のゲストで「笑っていいとも!」初出演を果たしている。

 

 

 

 

そして、1994(平成6)年4月~は、中居正広・香取慎吾が、

1995(平成7)年10月~は、草彅剛という、SMAPの3人のメンバーが、それぞれ、

「笑っていいとも!」

のレギュラー陣に加わった。

中居正広・香取慎吾・草彅剛…は、それぞれ「曜日」の移動は有ったが、彼らは皆、2014(平成26)年3月、

「笑っていいとも!」

の放送終了まで、約20年間にわたって「いいとも!」メンバーであり続けた。

そして「いいとも!」を通して、彼らはタモリとの交流を深めて行ったが、タモリという強い味方を得た事も、SMAPにとっては、非常に大きな出来事であった。

そして、2014(平成26)年3月の「いいとも!」最終回特番で、香取慎吾は、タモリについて、こんなエピソードを話している。

「一度、物凄い大遅刻をした事が有りまして、タモリさんに平謝りしました。でも、タモリさんは一言だけ、『おー、そうか』と言っただけで、許してくれました…。こんなに器の大きい人は、他に居ません」

香取慎吾は、涙を堪え、言葉に詰まりながらも、そのような事を話し、タモリへの感謝の言葉を伝えていた。

そんな香取の事を、タモリは、ただニコニコしながら見ていた…。

このように、SMAPはタモリに見守られながら成長して行った…という側面も、間違いなく有ったのである。

 

<1994(平成6)年3月12日…SMAPの12枚目のシングル『Hey Hey おおきに毎度あり』で、遂にSMAP初の「オリコン1位」を獲得>

 

 

 

 

さて、各メンバー達の地道な活動が、遂に実を結び、

1994(平成6)年3月12日にリリースされた、SMAPの12枚目のシングル、

『Hey Hey おおきに毎度あり』

は、遂にSMAP初の「オリコン1位」を獲得している。

デビューから3年が経ち、遂にSMAPは初めて「1位」の座を獲ったが、これまで述べて来た通り、SMAPは諦めずにコツコツと活動し、ジワジワと人気を高めて行った。

そして、SMAPは、タモリが司会を務める「Mステ」でも、常連となって行く。

なお、『Hey Hey おおきに毎度あり』は「関西弁ソング」(?)だが、この曲のヒットが、後に「Kinki Kids」「関ジャニ∞」が台頭して行く礎になったのではないか…と、私は思っている。

 

<1994(平成6)年1月~3月…TBSの「お受験ドラマ」、『スウィート・ホーム』放送~布施博・山口智子の夫婦と長男が「お受験」に挑む物語>

 

 

 

 

さて、SMAPの香取慎吾が声優として出演していた、

『赤ずきんチャチャ』

が、テレビ東京で放送開始され、

SMAPの12枚目のシングル、

『Hey Hey おおきに毎度あり』

が大ヒットしていた頃、

つまり、1994(平成6)年1月~3月にかけて、TBSで、

『スウィート・ホーム』

というドラマが放送されていた。

『スウィート・ホーム』とは、「お受験」と称される、私立小学校の受験に挑む家族を描いた物語であり、

布施博・山口智子の夫婦と、その長男が、

「慶陽幼稚部」(※勿論、「慶應幼稚舎」がモデル)

の「お受験」に挑戦するのだが、「お受験」専門の塾の先生を野際陽子が演じ、布施博・山口智子の夫婦とその長男を含めた、3家族の悲喜こもごものドラマが展開された。

私も『スウィート・ホーム』は、とても大好きなドラマであり、当時、夢中になって見ていたが、中でも、息子の「お受験」のために、髪を振り乱して必死に奮闘する山口智子に魅了され、私は彼女に釘付けであった。

「何て、明るくてパワフルな女優さんなんだろう…」

これが、私の山口智子に対する印象だった。

この山口智子が、後に「キムタク」と大きく関わる事になるのであるが、その話については、後述する。

 

<1994(平成6)年4月…フジテレビで『警部補 古畑任三郎』第1シリーズが放送開始~第1話のゲスト(犯人役)は中森明菜>

 

 

 

1994(平成6)年4月、フジテレビで、

『警部補 古畑任三郎』

の第1シリーズが放送開始された。

このドラマの脚本を書いたのは、三谷幸喜であるが、元々、舞台劇の脚本を書いていた三谷幸喜は、彼が大好きだったという、

『刑事コロンボ』

へのオマージュとして、

『古畑任三郎』

の脚本を書いた。

『刑事コロンボ』

シリーズと同じく、『古畑任三郎』では、まず最初に、犯人が殺人を犯す場面が描かれ、後から登場した刑事が、様々な手掛かりを元に、殺人犯を追い詰めて行く…という、

「先に犯人が明かされ、それを探偵役が追い詰めて行く」

という、

「倒叙ミステリー」

の物語である。

 

 

そして、『古畑任三郎』の第1話のゲスト(犯人役)は中森明菜だったが、中森明菜が演じる人気少女漫画家・小石川ちなみが、自分を弄んだ男に復讐するために、殺人を犯す。

そして、偶然、この小石川ちなみ(中森明菜)の殺人現場の近くに居合わせた、田村正和が演じる古畑任三郎が、彼女を追い詰めて行く…。

古畑任三郎(田村正和)は、一度、犯人の目星を付けると、まるで蛇のようにしつこく(?)犯人に付きまとい、そして、古畑は悪魔のように天才的な頭脳と推理力で、些細な手掛かりから犯人の言動の矛盾を突き、徐々に犯人を追い詰めて行く。

『古畑任三郎』

は、毎回そのパターンが繰り返される話なのだが、古畑任三郎(田村正和)と犯人役のゲストとの息詰まる攻防戦は、視聴者を釘付けにしたものである。

そして、私も第1シリーズ以来の『古畑任三郎』ファンであるが、この『古畑任三郎』にも、SMAPは大きく関わって来る事になるので、その話についても後述する。

なお、三谷幸喜中森明菜の大ファンであり、三谷のたっての希望により、明菜の出演が実現したそうである。

 

<1994(平成6)年10月~12月…木村拓哉が、フジテレビのドラマ『若者のすべて』に出演~当時21歳の「キムタク」人気が沸騰>

 

 

 

 

さてさて、SMAPの各メンバー達が奮闘し、徐々にSMAPの人気が高まって行った所で、

「真打ち登場」

とばかりに、この男の人気が沸騰するドラマが放送された。

「この男」とは、SMAPの「キムタク」こと木村拓哉である。

そして、その「キムタク」が出演していたのが、1994(平成6)年10月~12月にかけて放送された、フジテレビのドラマ、

『若者のすべて』

であった。

このドラマは、萩原聖人・木村拓哉の「ダブル主演」だったが、当時21歳の「キムタク」こと木村拓哉の人気は、

『若者のすべて』

で、まさに決定的になった…と言って良い。

 

 

 

 

『若者のすべて』

は、川崎の下町に暮らす若者達を描いた青春群像劇であり、

前述の通り、萩原聖人・木村拓哉が「ダブル主演」を務め、武田真治・鈴木杏樹・深津絵里…らが脇を固めていたが、

ご覧の通り、当時、「キムタク」は髪を伸ばしており、

「ロン毛」

のスタイルとなっていた。

そして、「キムタク」のお陰で、世の中で「キムタク」の真似をして「ロン毛」にする男達が大量に現れるほど、当時の「キムタク」の人気は圧倒的だったが、ハッキリ言って、男の「ロン毛」は、よほどの男前でもない限り、あまりやらない方が賢明(?)である。

つまり、「ロン毛」は「キムタク」だからこそ似合っていたのであり、普通は、あまりやらない方が良いと思われる。

…それはともかく、『若者のすべて』は大ヒットし、いよいよ「キムタク」人気は決定的となったが、『若者のすべて』の主題歌となった、ミスチル(Mr.Children)の、

『Tomorrow never knows』

も、爆発的な大ヒットとなり、ミスチルも大ブレイクした。

当時は、「キムタク」と「ミスチル」が、まさに世の中を席巻していたのである。

 

<1994(平成6)年秋~「桑田佳祐VS長渕剛」の大騒動が勃発~『すべての歌に懺悔しな!!』で、桑田が長渕に「喧嘩」を売り(?)、長渕が激怒>

 

 

さてさて、「キムタク」こと木村拓哉の人気が沸騰していた、1994(平成6)年秋、

桑田佳祐も、思わぬ形で世間を騒がせる事となった。

1994(平成6)年は、サザンオールスターズの活動は「お休み」となり、この年(1994年)桑田佳祐は「ソロ活動」を行なっていたが、1994(平成6)年9月23日にリリースされた、桑田佳祐のソロ・アルバム、

『孤独の太陽』

に収録されていた楽曲、

『すべての歌に懺悔しな!!』

の歌詞が、長渕剛の事を揶揄しているのではないか…との事で、マスコミが騒ぎ始めたのである。

だが、桑田佳祐は、

「ミュージシャン全体の事を茶化して歌った曲であり、誰か特定の事を歌った曲ではない」

と釈明し、その噂を否定しようとした。

そして、桑田佳祐長渕剛に対し、

「貴方の事を歌った曲ではないが、色々とご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした…」

という旨を書いた「詫び状」を送った。

 

 

だが、長渕剛は、その「詫び状」を桑田に突き返した。

当時、長渕は桑田に対して、激怒しており、雑誌のインタビューで、

「俺は桑田佳祐を許さない」

と、何と、10数年にわたる、桑田に対する積年の「恨み」を、延々とぶちまけたのである。

そして、長渕は桑田に対して「脅迫状」を送り、

「お前の子供の学校の行き帰りは気を付けろよ…」

というような事まで書いていたという。

こうして、1994(平成6)年秋、世間を騒然とさせた、

「桑田佳祐VS長渕剛」

という、大戦争(?)が起こってしまったが、かつて、このブログでも、

「桑田佳祐VS長渕剛」

の騒動の経緯については、詳しく書いたので、もしご興味が有れば、お読み頂きたい。

…それはともかく、当時、私は勿論、100%、桑田の肩を持ち、

「桑田さんに対して脅迫状を送り付けるなんて、長渕はとんでもない奴だ!!」

と、私も長渕に対して、怒っていたものである。

…というわけで、1994(平成6)年とはSMAPとミスチルが「ブレイク」し、桑田佳祐長渕剛が大喧嘩するという、何とも活気に満ちた年(?)ではあった…。

 

(つづく)