最近、私がハマっている作家に、高野秀行という人が居る。
高野秀行は、1966(昭和41)年生まれ、早稲田大学の探検部の出身であり、
早稲田に在学中から、「人があまり行かない国や地域」に赴き、その体験談を書いて来ている、所謂「ノンフィクション作家」である。
しかし、高野秀行という作家には、そんな通り一遍の言葉では、とても言い表せない魅力が有る。
この方は、色々と危ない目にも遭っているのだが、いつも何処か飄々としているというか、文章にユーモアが有り、読んでいても肩が凝らないというか、とても気楽に読める。
それでいて、高野秀行の作品には、読んでいると、気が付くと夢中になってしまうような魅力が有る。
という事で、今回は私が好きな高野秀行について、彼の原点ともいうべき、
「ワセダ青春三部作」
について、ご紹介させて頂く。
早稲田には、ちょっと変わった人が沢山居るようだが、高野秀行も相当変わった人であり、そんな彼が早稲田で過ごした青春時代を、ユーモアたっぷりに描いている。
それでは、ご覧頂こう。
<私が初めて読んだ高野秀行の本~『謎の独立国家 ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』>
今から何年か前、私は本屋で、とても気になるタイトルの本を見付けた。
その本とは、
『謎の独立国家 ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』
という、とても長いタイトルの本であった。
「ソマリア?あのアフリカの恐ろしい国か…」
その頃、私は「ソマリア」なる国の事は、殆んどよく知らなかった。
「長い間、内戦状態の国で、国家体制が殆んど破綻している」
ぐらいの、曖昧な知識しか無かったが、その「ソマリア」なる国について書かれている本だという。
タイトルに惹かれ、パラパラとページをめくってみると、扉絵に、ソマリアの「地図」が載っていた。
それが、「ソマリア群雄割拠之図」という地図であるが、
どうやら、ソマリアという国は、中央政府の支配が全国には及んでおらず、
各地域には、勝手に「独立国家」を名乗る勢力が、群雄割拠しているという。
「ソマリアって、そんな事になっていたのか…」
私は、まず、その事に惹かれた。
そして、この本を書いた高野秀行なる作家は、前述の地図について、日本人にもわかりやすくするように、
独立国家を自称している各部族に、
「源氏」「平氏」「奥州藤原氏」
などの名前を充てていた。
その事によって、複雑に入り組んだ、ソマリアの各部族の勢力図を、とてもわかりやすく説明しているのに、まず感心してしまった。
そして、この本の著者・高野秀行が、主に滞在していたのが、
「ソマリランド」
という、自称・独立国家であるが、国際的には、
「ソマリランド」
という国は承認されていない。
国際的には、あくまでも、
「ソマリア」
という国が唯一の正当な国家なのだが、前述の通り、その実態は、多数の民族が勝手に独立国家を自称して乱立する、まるで日本の戦国時代のような所なのである。
そして、高野秀行が主に滞在していた「ソマリランド」こそが、実は「ソマリア」で最も治安が良く、「国」として成立していると言って良い。
私は、この本を読んで、
「世界には、こんな国が有るのか…」
という事に、まず驚いた。
そして、実際に「ソマリランド」に行き、現地を取材し、こんな面白い本を書いてしまう、高野秀行という作家にも、大変興味を持った。
なお、『謎の独立国家 ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』には、
高野が現地で出逢った、様々な人物も登場し、その中には、20代の若さで地元テレビ局の支局長を務めるハムディという、剛腕の女性も居たりするが、この本については、別途、また改めてご紹介させて頂く事としたい。
私が今回、ご紹介させて頂くのは、高野秀行が早稲田で過ごしていた「青春時代」について書かれた本である。
<高野秀行「ワセダ青春三部作」①~『ワセダ青春三畳記』~早稲田大学近くのボロアパート「野々村荘」のおかしな住人達>
前述の「ソマリア本」が、あまりにも面白かったので、
私は立て続けに、高野秀行の本を何冊か読んだが、そんな高野秀行の「原点」が語られているのが、
『ワセダ三畳青春記』
という本である。
1966(昭和41)年生まれの高野秀行は、1989(平成元)年~2000(平成12)年までの間、
早稲田大学のすぐ近くにある、
「野々村荘」
というボロアパートに住んでいた。
なお、初めに言っておくが、「野々村荘」というアパートの名前や、この本に登場する「野々村荘」の登場人物名は、全て「仮名」である。
だが、著者の高野秀行が、この「野々村荘」で体験した事は、多少の脚色は有るとはいえ、全て「実話」だという。
1989(平成元)年のある日、当時23歳の高野秀行青年は、
早稲田大学のすぐ近くに在る、
「野々村荘」
なるアパートに入居した(※写真はイメージです)。
先程、このアパートは「ボロアパート」であると述べたが、木造2階建ての「野々村荘」は、昭和30年代に建てられたというが、意外にしっかりとした造りであり、そんなに汚いというわけではなかった。
1階と2階には、それぞれ共同のトイレや流しが有るが、週に1回、掃除に来てくれる人も居り、清潔に保たれていた。
高野青年は、当時、早稲田では全然授業には出ておらず、「探検部」の活動にばかり精を出しており、卒業はほぼ絶望的であった。
高野は、それまでは八王子の自宅から早稲田に通っていたが、1989(平成元)年のある日、知り合いの紹介で、
「野々村荘」
の空き部屋に入居した。
「家賃は1万2千円。敷金は無し、礼金は1ヶ月分で良い」
という、当時にしても破格の安さである。
この「野々村荘」は、皆から「おばちゃん」と呼ばれている、いつもニコニコしている女性が大家さんだったが、
一応、「野々村荘」の住人の紹介でなければ入居出来ない仕組みになっていた。
そして、高野青年は、たまたま「野々村荘」の住人の知り合いだったので、ここに入居する事が出来たという。
ちなみに、「野々村荘」には、勿論、早稲田の学生も居るが、
住人は早稲田の関係者ばかりとは限らず、社会人も住んでいた。
しかし、住人がとにかく、ちょっと「オカシイ人」ばかりであり、
高野秀行は、恐らく、「脚色」を交えながら、その頃の事を面白おかしく書いている。
例えば、そもそも高野が「野々村荘」に入居するキッカケとなった、安部ケンゾウなる人(※勿論、仮名)は、
「山形県と宮城県の県境にある『みみずく山』に、UFOが出るから、是非とも探検部に探しに行ってもらいたい」
などと、大真面目に依頼したりする。
残念ながら、UFOは発見出来なかったが、この男が「野々村荘」の住人だったお陰で、その縁もあって高野は「野々村荘」に入居する事が出来た。
また、高野が「守銭奴」と呼んでいた、謎の男は、とにかく尋常ではないぐらいの「ドケチ」だったが、
この男は、何処かに働きに行っていたらしく、月~金曜日まで、全く判で押したような同じ行動をしていたので、
例えば、「守銭奴」が出掛ける時間になると、
「ああ、今は朝の8時半か…」
というのがわかったりする。
お金は勿論、時間も1秒に無駄にしたくないタイプの男のようであった。
そして、彼は、どうやら「株」をやっていたりしたようだが、実際に彼が「株」で儲けた事が有るのかどうか、誰も知らない。
要するに「正体不明」の男であり、誰もその実態は掴めなかった
このように、「野々村荘」には、おかしな住人ばかりが住んでいるが、
もっと凄いのは、「野々村荘」の「仕組み」である。
例えば、高野はいつも何処かに「探検」に行くので、数ヶ月単位、時には半年ぐらい、フラリと出て行ったりしてしまうが、
大家の「おばちゃん」は、
「ああ、いいよいいよ。行っといで」
と、いつも鷹揚であった。
普通、そんなに長い間、住人が居なくなると、家賃の未払いの可能性も出てくるので、大家は嫌がるのだが、この大家さんは、そんな事は全く気にしない。
それどころか、もっと凄いのが、高野が不在の間、例えば高野の探検部の後輩が、その部屋に勝手に住んでいても、大家さんは、
「高野さんの知り合いなら、いいよ」
と、これまた全く気にしなかった。
そして、その部屋の本来の住人が居ない間は、その部屋に仮住まいしている人が、家賃さえ払えば、そこに居ても良いという、画期的なシステム(?)が定着したという。
とにかく、住人も変な人ばかりだが、この大家さんも(※良い意味で?)相当変わっていた。
…という事で、
『ワセダ三畳青春記』
には、そのようなエピソードの数々が書かれているが、私がここでくどくどと説明するよりも、是非とも一度お読み頂き、その面白さを味わって頂ければと思う。
一つ言えるのは、この「野々村荘」という居場所が有ったからこそ、高野秀行という人は、世界中、色々な所を好きなように「冒険」が出来た…という事であろう。
人間には、やはり帰って来る「居場所」が必要なだという事である。
<高野秀行「ワセダ青春三部作」②~『異国トーキョー漂流記』>
さて、前述の『ワセダ青春三畳記』は、あまりの面白さにベストセラーになり、
高野秀行という作家は、一躍有名になった。
そして、その『ワセダ青春三畳記』の「続編」のような位置付けの本が、
『異国トーキョー漂流記』
である。
高野秀行は、世界中、色々な所を旅したりしている内に、外国人の友達や知り合いが、どんどん増えて行った。
そして、高野が知り合った外国人が、時には日本にやって来たりするので、高野がそんな外国人達に東京の街を案内したり、東京に住み着いた外国人と交流したりするのだが、そんな外国人達との交流を描いたのが、
『異国トーキョー漂流記』
という本である。
なお、何故「東京」を「トーキョー」と表記しているのかといえば、
「外国人と一緒に東京という街を見ていると、まるで『トーキョー』という、全く異国の都市のように感じられる」
からだという。
つまり、これは日本人が見慣れている「東京」ではなく、外国人から見た「トーキョー」という視点で描かれているのが、とても面白い。
なお、一応言っておくと、この本に出てくる人物名や団体名も、全て「仮名」である。
『異国トーキョー漂流記』は、全部で「8章」が有り、それぞれ異なった外国人が主人公として登場するが、
その中で、私が最も感銘を受けたのが、
『トーキョー・ドームの熱い夜』
と題された章である。
この章の主人公は、アフリカ大陸のスーダンからやって来た、マフディという留学生だが、マフディは盲目であった。
しかし、彼は盲目であるにも関わらず、熱狂的なプロ野球ファンだという。
しかし、彼は盲目のため、一度も野球を見た事は無い。
それでも、本当に野球が大好きであり、物凄く野球に詳しい。
「盲目の人が、一体どうやって野球を?」
…と、不思議に思われるかもしれないし、最初は高野もそう思ったそうだが、彼は、毎日のようにラジオの野球中継を聞いたり、点字で野球関連の本を読んだりしている内に、野球に物凄く詳しくなった。
彼は、目は見えないが、彼の頭の中では、「野球」というスポーツが物凄くイメージ豊かに描かれていた。
「それは、例えば私達が、見た事も無いような異世界の物語を、頭の中で思い描くのと全く同じであり、実際に見ていなくても、人間は頭の中で情景を描く事が出来る」
と、高野は書いているが、それを読んで私も、
「なるほど、そうか!!」
と、納得してしまった。
ちなみに、高野も元々野球好き(※巨人ファン)だったので、マフディとは野球好き同士で意気投合した。
だが、マフディは、
「お金で選手を搔き集める、巨人は嫌いです」
とハッキリ言うので、高野は閉口した(?)という。
さて、そんなある日の事。
高野とマフディが、遂に東京ドームに一緒に「野球観戦」に行く日がやって来た。
対戦カードは「巨人VS阪神」である。
マフディが、実際に球場に行くのは初めてであり、彼は物凄く興奮していた。
だが、あろう事か、彼は頼みの綱のラジオを、忘れて来てしまった。
「どうしよう…。これじゃあ、試合が全くわからない…」
彼は、泣きそうになっていた。
そこで、高野は窮余の一策を思い付く。
「よし、マフディ。俺が試合を全部実況するから、お前が解説しろ」
高野がそう言うと、マフディは、
「それ、良いですね!!」
と、パッと表情を輝かせた。
こうして、その試合、高野は目の前の試合を、まるでアナウンサーのように全て実況して、マフディに聞かせた。
すると、マフディは高野よりも物凄く野球に詳しいので、それに応えて、全て「解説」をしてくれたという。
このように、東京ドームの一角で、即席の「実況」と「解説」が繰り広げられ、周りの観客は、それを目を丸くして見ていたが、マフディは無事に「野球観戦」デビューを、存分に楽しむ事が出来た。
…という事で、何とも素敵なエピソードだが、その後もマフディの野球熱は高まる一方であり、高野とも交流が続いたという。
私は、高野秀行という人の優しさと、咄嗟の場合の機転に、とても感心してしまったが、このような面白いエピソードが満載の『異国トーキョー漂流記』も、とてもオススメである。
<高野秀行「ワセダ青春三部作」③ ~『アジア新聞屋台村』>
さて、高野秀行の「青春時代」を描いた、一連の作品であるが、
その3冊目としてご紹介させて頂くのが、
『アジア新聞屋台村』
という本である。
そして、今までご紹介させて頂いた、
『ワセダ青春三畳記』『異国トーキョー漂流記』『アジア新聞屋台村』
の3冊は、高野秀行による、
「ワセダ青春三部作」
として、知られるようになった。
そして、この『アジア新聞屋台村』も、なかなか「破天荒」な話である。
高野秀行は、早稲田の探検部で長く過ごし、色々な所に旅をして、その体験記を書いたりしている内に、物書きとして少しずつ知られるようになっていた。
そんな高野秀行の「駆け出し時代」について書かれたのが、
『アジア新聞屋台村』
という本だが、これまで紹介した2作とは、また違った魅力が有る。
なお、例によって、この本に出て来る団体名や人物名は全て「仮名」である。
ある時、駆け出しのライターだった高野秀行の元に、
「タイについての記事を書いて欲しい」
という、執筆依頼が有った。
そして、高野が依頼元の会社に行ってみると、その会社は、
『エイジアン』
という名前の、在日アジア人向けの新聞を出している、一応は「新聞社」であった。
そして、『エイジアン』を経営しているのが、劉さんという名前の台湾人女性である。
劉さんは、年齢は31歳だが、タンクトップにショートパンツ、スニーカーに茶髪のロングヘア、そしてピンクの口紅をつけている…という、何処からどう見ても、
「遊び半分で、バイトに来ているお姉ちゃん」
にしか見えなかったが、その人こそが、『エイジアン』の女社長・劉さんその人であると知り、高野は仰天する。
そして、劉さんは31歳の若さで、この新聞社を経営しているが、『エイジアン』では、
・『タイ・ニューズ』(タイ)
・『台湾時報』(台湾)
・『マンスリー・ミャンマー』(ミャンマー)
・『インドネシア・インフォメーション』(インドネシア)
・『マレーシア・ワンダー』(マレーシア)
…という、5種類の新聞を発行しており、それぞれのスタッフが新聞を発行していた。
そして、それぞれの国の人達が働いているのだが、その「ごった煮」の様子が、まるでアジアの国の「屋台村」のようであると、高野秀行は表現している。
そして、アジア諸国のスタッフが働いているのは良いのだが、
その新聞作りというのが、ビックリするぐらい、いい加減であり、高野は、それにも仰天してしまう。
何しろ、この新聞社の人達は、編集会議すら開かず、何処かから拾って来たネタを、適当に切り貼りしているだけだったりする。
「今まで、よくこんなので新聞が出せてるな…」
と、高野は呆れてしまったが、それでも経営が成り立っているというのが凄い。
とにかく、気が付けば高野は、この「アジア新聞屋台村」で、日本人の常識とは全くかけ離れた社長やスタッフ達と、悪戦苦闘の日々を送る…という内容だが、高野秀行が描く、この「アジア新聞屋台村」の人達も、実に生き生きとしており、とても面白い。
…という事で、今回は高野秀行の著作について、ご紹介させて頂いたが、高野秀行という人は、私とは全く違う生き方をしている人であり、私では絶対に体験出来ない事を、こうして書き残してくれているが、「読書」の面白さとは、自分の人生とは全く違う生き方をしている人の人生を「追体験」出来る事にも有るのである。
というわけで、ご興味の有る方は、「ワセダ青春三部作」をはじめ、高野秀行の本を、是非ともお読み頂きたい。