私が大好きな、サザンオールスターズの楽曲の歌詞を題材に、私が「短編小説」を書くという、
「サザンの楽曲・勝手に小説化」シリーズは、これまで、下記の5本を書いて来た。
①『死体置場でロマンスを』(1985)
②『メリケン情緒は涙のカラー』(1984)
③『マチルダBABY』(1983)
④『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』(1982)
⑤『私はピアノ』(1980)
各作品は、それぞれ独立した「短編小説」になっているが、
『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』と『私はピアノ』は、「サザンっぽい学生バンド」を描いた物語であり、
それぞれ異なった主人公の視点から描いた「姉妹編」である。
という事で、今回は「サザンの楽曲・勝手に小説化」シリーズの「第6弾」として、
2004(平成16)年のサザンオールスターズの楽曲『夢に消えたジュリア』を題材とした「短編小説」を描いてみる事としたい。
『夢に消えたジュリア』は、GS(グループ・サウンズ)が現代に蘇ったような曲調の、何処か懐かしくも、大変カッコイイ楽曲であり、私も大好きな曲である。
ちなみに、『夢に消えたジュリア』は、2005(平成17)年にリリースされた、
サザンオールスターズのアルバム『キラーストリート』に収録されている。
<安土桃山時代~江戸時代初期に生きた、朝鮮貴族のキリシタン「おたあジュリア」の伝説と、『夢に消えたジュリア』の関連性とは?>
ところで、皆様は「おたあジュリア」の伝説という物を、ご存知であろうか?
その「おたあジュリア」について、少しご紹介させて頂くと、安土桃山時代、即ち豊臣秀吉の時代に、
秀吉の命令により「朝鮮出兵」が行われたが、その「朝鮮出兵」で先鋒を務めていた小西行長が、日本に連れ帰ったという朝鮮人の少女(※一説によると、朝鮮貴族の娘)が、
「おたあ」
という名前であった。
彼女は、小西行長の妻・ジュスタに仕え、キリスト教の洗礼を受け、洗礼名として、
「ジュリア」
を名乗るようになった。
その後、「ジュリア」が仕えていた小西行長は、「関ヶ原の合戦」(1600)で西軍として戦ったが、
西軍は、徳川家康率いる東軍に敗れてしまい、小西行長は処刑された。
その後、「ジュリア」は徳川家康に気に入られ、家康の側に仕えるようになったという。
きっと、「ジュリア」は美人で、美人に目がない(?)家康に気に入られたのではないだろうか。
だが、その後、徳川家康はキリスト教に対する弾圧を強めて行った。
「ジュリア」も、家康から、
「キリスト教の信仰を捨てろ」
と命令されたが、「ジュリア」はその命令に従わず、結局、彼女は神津島に島流しになり、そこで生涯を終えたと言われている。
こうして、「おたあジュリア」は「伝説の人」となったが、今もなお、「おたあジュリア」を偲び、神津島では毎年「ジュリア祭」が開かれている。
また、「おたあジュリア」の伝説は、様々な作品のモチーフにもなった。
そして、2004(平成17)年、サザンオールスターズの『君こそスターだ』という楽曲の「両A面」シングルとしてリリースされたのが、『夢に消えたジュリア』であるが、桑田佳祐曰く、
「『おたあジュリアの伝説』を知ったのは、『夢に消えたジュリア』を作った後だった。偶然にも、この曲の歌詞の世界観と似通った伝説が有ると知り、不思議な偶然も有るものだと、驚いた」
という趣旨の発言をしている。
という事で、私は、『夢に消えたジュリア』の歌詞を元に「短編小説」を書く事とするが、
私も、「おたあジュリア」の伝説とは全く関係が無い物語として、描いてみる事としたい。
それでは、ご覧頂こう。
<序章・『青い鳥』>
私の生涯で、未だに忘れ難い女性が居る。
その人の名前は「ジュリア」というが、私にとって「ジュリア」は、私の全てといって良い女性であった。
私にとって、「ジュリア」は「幸せの青い鳥」と同義語であった。
「ジュリア」と過ごした、濃密な日々は、本当に幸せなものであり、私の生涯にとって最も大切な時間だった。
我が最愛の女性・「ジュリア」…今日は、その「ジュリア」と過ごした日々について、語ってみる事としたい。
<第1章・『ジュリア』>
私と「ジュリア」は、近所に住む「幼馴染み」という間柄だった。
「ジュリア」の家は、とてもお金持ちであり、彼女は家族と共に、立派な洋館のような、御邸に住んでいた。
言わば、「ジュリア」は近所でも有名な「お嬢様」だったのだが、
私が生まれ育ったのは、ごくごく平凡な家庭だった。
だが、私と「ジュリア」とは、子供の頃から、お互いに良く知っている間柄だった。
では何故、「お嬢様」である「ジュリア」と、ごく平凡な家庭に生まれ育った私が、幼い頃から交流が有ったのかといえば、
それは、私も「ジュリア」も、小さい頃からピアノを習っていたからである。
いや、もっと正確に言えば、「ジュリア」の父親は、有名なピアノの先生であった。
私は、「ジュリア」の父親が、自宅の「御邸」で開いている、ピアノ教室に通っていた。
なので、その家の「お嬢様」である、「ジュリア」の事は、子供の頃から、よく知っていた。
ちなみに、「ジュリア」の父親による、ピアノ教室は、
「超スパルタ」
として知られていた。
とにかく、この先生の練習は、メチャクチャ厳しかったが、
生徒が何歳の子供だろうと、先生は、ビシビシと鍛えていた。
あまり上手く弾けないと、
「やる気が無いなら、さっさと辞めてしまえ!!」
などと、平気で言い放ってしまうような先生だったが、
そのため、この厳しすぎる練習に付いて行けず、生徒は次々に脱落して行った。
だが、私は、
「ピアノが上手くなりたい」
という一心で、必死に、この先生のレッスンに食らい付いて行った。
「ジュリア」は、その「鬼先生」の、大事な一人娘であった。
先生は、「ジュリア」の事も、娘だからといって容赦せず、ビシバシと鍛えていた。
だが、「ジュリア」には本当に物凄いピアノの才能が有った。
何しろ、「ジュリア」は、5歳か6歳の頃には、既にショパンやリストの難曲を弾きこなしていたが、
まさしく、「ジュリア」は、
「天才少女ピアニスト」
だった。
「こんな凄い子が居るのだな…」
私は、子供心に、彼女との圧倒的な才能の差を感じていたが、
「ジュリア」は、父親の厳しいレッスンにも耐え、更にピアノの腕前を上達させて行った。
ちなみに、「ジュリア」というのは、彼女の「本名」ではない。
「ジュリア」の家は、熱心なキリスト教徒であり、「ジュリア」の父親は、彼女が幼い頃に、彼女にキリスト教の洗礼を受けさせた。
彼女の洗礼名こそが、「ジュリア」だったのである。
だから、「ジュリア」というのは、彼女の本当の名前ではないのだが、
父親は、いつも彼女の事を「ジュリア」と呼んでいたし、私も小さい頃から、彼女をその呼び名で呼んでいた。
なので、ここでは彼女の事は「ジュリア」という名前で通す事とする。
<第2章・『南十字星』>
さて、私と「ジュリア」とは、たまたま、歳も同じであり、
そして、同じ学校に通う「同級生」でもあった。
私達は、小学校の頃から、キリスト教系の私立学校に通っていた。
別に、私は信心深くもなかったが、その学校は、教育もしっかりとしているという事で、両親が私をその学校に通わせたのである。
先程述べた通り、「ジュリア」の家は、熱心なキリスト教徒だったので、当然の流れとして、その学校に通う事となった。
「ジュリア」は、お金持ちのお嬢様で、「天才少女ピアニスト」だったが、
実は、とても「お転婆」な所もあり、学校では、みんなと外で走り回って遊んだり、
平気で「木登り」をしてしまうほど、活発な子でもあった。
「大事な手を怪我するから、木登りはやめろ」
と、父親に言われてしまいそうな所だが、「ジュリア」は全然そんな事は気にしていなかった。
「家に居ると息が詰まる。学校で、友達と遊んでいる時の方が楽しい」
と、「ジュリア」は言っていた。
「あのお父さん、厳しいもんな…」
私は、「ジュリア」の境遇に、同情してしまった。
私と「ジュリア」は、小・中・高校と、ずっと同じ学校に通っていた。
その間、私も「ジュリア」も、それなりに楽しい青春時代を送っていたが、
学校が終わると、ずっとピアノのレッスンに明け暮れる日々でもあった。
そして、私は子供の頃から、本を読む事が大好きであり、
学校の図書室に入り浸っては、手当たり次第に、色々な本を読んだりしていた。
私は、見よう見真似で、自分で「小説」を書く真似事をしたりもしていたが、
私は何か辛い事が有ると、「物語」の世界に逃避してしまうような所が有った。
「本を読むと、ひと時、その世界に浸る事が出来る」
という事は、私にとって、一つの「救い」になっていた。
高校時代、こんな思い出が有る。
私達の学校は、「修学旅行」で、ハワイに行った。
高校で、ハワイに「修学旅行」とは、随分と豪勢に思われるかもしれないが、それが、この学校の「伝統」であった。
そのハワイで過ごした夜の事は、忘れられない。
私は、ハワイの夜で、生まれて初めて、
「南十字星」
を目にしたのである。
「南十字星」は、別名「サザンクロス」とも言うが、南半球でしか見る事が出来ない。
夜に、ハワイの砂浜で、私は「ジュリア」や他の同級生達と遊んでいたが、その時に、私は南の空高く輝く、美しい「南十字星」を見た。
「綺麗ね…」
満天の星空に輝く「南十字星」を見て、「ジュリア」も感激していたが、
私は、そんな星空を見て、ふと、こんな事を口にしていた。
「燃えろ夏の十字架 南の空高く 夜の闇を照らす 星座(ほし)は涙のシャンデリア…」
それは、思わず口にしてしまった言葉だったが、「ジュリア」は、ビックリした表情で、私の方を見ていた。
「貴方、詩の才能が有るんじゃない!?」
私は、その頃、ますます「文学」の世界にハマっていたので、
「南十字星」の美しさを形容する言葉として、本当に自然に、さっきの言葉が口から出てしまったのが、それは自分でも、思いがけない事であった。
「そうかな…。うーん、どうだろうね…」
その時、私は曖昧に答えていたが、後々まで、私はその時の「ジュリア」の言葉を忘れる事は無かった。
<第3章・『ロザリオ』>
私と「ジュリア」とは、「幼馴染み」であり、
お互いに、「そこに居て当たり前」という存在だった。
だから、長い間、別にお互いを意識したりする事も無かった。
だが、あのハワイの夜の後、どうも「ジュリア」の、私の事を見る目が変わったように思われた。
「あの時は、貴方の事を見直しちゃったわよ…」
「ジュリア」は、そう言っていたが、ある時、「ジュリア」が私にプレゼントをしてくれた。
それは、「ジュリア」が身に着けているのと全くお揃いの、
「ロザリオ」
であった。
「これを着けてると、良い事が有るらしいよ」
「ジュリア」は、そんな事を言っていたが、果たして、それが本当の事かどうかはともかく、私は「ジュリア」からのプレゼントを、有り難く受け取った。
こうして、私と「ジュリア」は、いつもお揃いの「ロザリオ」を身に着けていたが、
私は、「ジュリア」と「お揃い」の「ロザリオ」を身に着けて、彼女の父親のピアノのレッスンに通っていた。
その時、先生は少し怪訝な顔をしていたが、私はその時は、あまり気にしなかった。
だが、その頃を境に、先生の私に対する視線に棘が有るように感じられていた。
「まあ、気のせいかな…」
と、私は。その時は思おうとおしていたが、実はそれは「気のせい」ではなかった。
<第4章・『腕の傷』>
「ジュリア」は、高校生の頃になると、ますますピアノの腕前に磨きがかかっていた。
「ジュリア」は小学生の頃から、次々にピアノのコンクールで優勝するなど、
とにかく圧倒的な才能を見せ付けていたが、高校生の年頃になり、更に表現力にも磨きがかかって行った。
「天才少女、現る!!」
「ジュリア」は、しばしばマスコミにも取り上げられていたが、
ピアノの腕前は勿論の事、「ジュリア」は大変美しい女性に成長し、その美貌も相俟って、マスコミに騒がれ出したのである。
彼女の父親にしてみれば、まさに、手塩にかけて育てて来た娘が、今まさに、ピアニストとしての才能を開花させようとしている事に、鼻高々といった心境だった事であろう。
しかし、それに反して、私のピアノの技量は、「ジュリア」に比べると、明らかに劣っていた。
自分でいうのも何だが、私のピアノは、
「そこそこ上手い」
といったレベルであった。
だが、そのレベルから上には行けないであろう事が、どうやら明らかになりつつあった。
しかし、私はピアノが好きだったので、どうしてもピアノは辞めたくなかった。
私は、その頃、自分の将来について、色々と思い悩んでいた。
だが、そんな時、私と「ジュリア」は、以前にも増して、親しくなっていた。
私達は、よく2人で、近くの森を散歩したりして、2人っきりで過ごす事が多くなっていた。
そんな時、私達はよく、自分達の未来について、語り合っていた。
ある時、私は「ジュリア」にこんな事を言った。
「僕、ピアノは大好きだけど…。多分、プロのピアニストにはなれないと思う」
そう告げると、「ジュリア」は、とても悲しそうな顔をしていた。
だが、その時、私はこうも言った。
「でも、僕には夢が有るんだ…。実は、作家になりたいんだよ」
そう言うと、「ジュリア」の表情が輝いた。
「うん、貴方なら、なれると思うわ…。私も、絶対にプロのピアニストになるから!!」
こうして、私と「ジュリア」は、お互いの「夢」を語り合うほど、仲が良くなっていた。
だが、そんな私達を見て、「ジュリア」の父親は、苦々しく思っていたようだ。
ある時、私は先生に、こんな事を言われた。
「このままだと、ピアニストとしては、君は厳しいかもしれないね」
先生は、ハッキリと私にそう告げた。
私は、先生にそう言われ、ショックではあったが、
「僕は、まだピアノを辞めたくありません」
と、先生に言った。
「そうか…。では、君に課題を与える。リストの『ラ・カンパネラ』という曲は、知っているね?」
先生は、私にそう聞いたが、私は、
「勿論、知ってます」
と答えた。
リストの『ラ・カンパネラ』という曲は、別名『超絶技巧練習曲』とも言われ、全てのピアニストが、一度は弾きこなしてみたいと願う、難曲中の難曲である。
「君、その『ラ・カンパネラ』を弾けるように、練習してみなさい」
先生は、私にそう言ったが、私は、
「そんな難しい曲、自分に弾けるかどうか…」
と、ハッキリ言っては無かった。
私はそう思って、暫く黙り込んでいた。
すると、先生は、私にこんな事を言った。
「君、『ラ・カンパネラ』を弾けないのだったら、ピアニストになるのは、諦めなさい。それから、ジュリアの事もね…」
私は、絶句してしまった。
いくら何でも、これは無理難題というものである。
それに、「この曲を弾けなかったら、ジュリアの事は諦めろ」というのは、いくら何でも、無茶苦茶ではないか…。
私が、明らかに不満そうな表情を見せると、先生は私に、こんな事を言った。
「良いかね、ジュリアには、輝かしい未来が待っているんだ…。今が一番大事な時なんだ。だから、つまらない事に、かかずらわっている暇は無いのだよ」
私は、そんな事を言われ、思わず頭に血が上った。
「つまらない事って…どういう事ですか!?」
私は、先生に食ってかかったが、先生は、
「わからないのなら、ハッキリ言ってやる。この曲が弾けないようなら、ウチの娘には近付くな。わかったな!?」
と、有無を言わさないといった調子であった。
「そこまで、おっしゃるなら…。僕は、必ず、この曲を弾いてみせます!!」
私は、そう言って先生に啖呵を切ってしまった。
こうして、私は、
「何としても、『ラ・カンパネラ』を弾かなければ…」
と、自分を追い込み、この難曲を弾きこなそうと、猛練習をした。
だが、無茶な猛練習が祟ってしまい、ある日、私の右腕に激痛が走った。
私は、自分の身体に負荷をかけすぎてしまい、とうとう、右腕はその負担に耐え切れず、悲鳴を上げたのであった。
私はすぐに病院に行ったが、医者からは、
「これからは、絶対に右腕に負担をかけては、いけません。これ以上、右腕に負担がかかると、日常生活にまで支障を来たします」
と言われた。
それは、
「これ以上、ピアノを弾く事は、諦めて下さい」
と言われているに等しかった。
私は、一気に奈落の底に突き落とされたような絶望を味わった。
<第5章・『灼熱の恋』>
それから少し経った頃、私は「ジュリア」を誘い、近くの公園に行った。
私と「ジュリア」は、公園のベンチに腰掛け、いつものように、何気ない雑談をしていたが、私は意を決して、
「実はジュリア、話しておきたい事が有るんだ…」
と言って、彼女の父親に言われた事や、自分が腕を痛めてしまった経緯について、包み隠さず話した。
私の話を聞いて、「ジュリア」は、真っ青な顔をしていた。
そして、見る見る内に、目に涙をいっぱいに溜めた「ジュリア」は、
「可哀想に…」
と言って、私の右手を彼女の手に取った。
そして、彼女は私の右手を、自分の頬に当てていた。
「本当に、ごめんなさい…。こんな事になってしまって…」
「ジュリア」は涙を流していた。
「いや、君のせいじゃないよ…」
私はそう言って、彼女を慰めていた。
私は、何だか「ジュリア」に、こんな思いをさせてしまった事が、本当に申し訳無く思っていた。
すると、「ジュリア」は決然とした表情で、私の目を真っ直ぐに見ると、
「お父さんが何と言おうと、私は貴方の味方よ。それを忘れないで!!」
と、言ったのである。
「ジュリア」の目には、まだ涙が光っていたが、彼女の目には深い決意が込められているように見えた。
「ジュリア、有り難う…」
私はそう言って、「ジュリア」を、そっと抱きしめていた。
こうして、その出来事をキッカケとして、私と「ジュリア」の仲は、更に深まった。
というより、私と「ジュリア」の恋心は、一気に燃え上がってしまったのである。
季節は真夏になっていたが、私と「ジュリア」は、「灼熱の恋」に落ちた。
「ジュリアには、近付くな」
私は、彼女の父親から、そう「厳命」されていたが、
私と「ジュリア」は、学校の夏休みの間中、「密会」を続けていた。
腕を痛めた私は、先生のピアノ教室は辞めてしまったが、時間を見付けては、「ジュリア」との逢瀬を重ねていた。
困難や障害が有れば有るほど、男女の仲は深まるものであるという事を、この時、私はハッキリと自覚していた。
私も「ジュリア」も、海が大好きだったので、
私達は、よく2人で海を見に行っていた。
砂浜に2人で座り、私達は海を眺めていたが、ふと空を見ると、二羽のカモメが、寄り添うように飛んでいるのが見えた。
「あの二羽のカモメは、まるで僕達みたいだね…」
私は、「詩人」ぶって、わざと、そんな気障(キザ)な事を言ったりしたが、
それを聞いて、「ジュリア」は噴き出していた。
「本当に、貴方って、そういう事を臆面も無く言うのが好きよね」
と、「ジュリア」は言って、楽しそうに笑っていた。
こうして、夏の間、私達は本当に楽しくも濃密な日々を過ごしていた。
だが、とうとう「破局」の時は、やって来てしまった。
<第6章・『別れの曲』>
やがて、学校の夏休みが終わり、2学期になったが、
2学期の始業式の日、「異変」が起こった。
「ジュリア」が、学校に来なかったのである。
「ジュリアさんは、この学校を辞め、転校する事になりました…」
担任の先生が、クラスの皆にそれを告げた時、クラスは騒然となった。
その知らせを聞き、一番ショックを受けたのは、勿論、私であった。
「ジュリア」が、突然、学校を辞めた原因は、一つしか無かった。
私との「密会」が、父親にバレてしまい、彼女は無理矢理、私と引き離されたに決まっている…と、私は確信していた。
私は、放課後、すぐに「ジュリア」の家に行ったが、扉は固く閉ざされていた。
暫く経つと、「お手伝いさん」の女性が出て来たが、
「お嬢様は、お身体の具合が悪いので、お休みになっていらっしゃいます…」
と言うと、ピシャリと扉を閉めてしまった。
こうして、私と「ジュリア」の仲は、引き裂かれてしまった。
それから、ひと月ほど経った頃、私の家を、突然「ジュリア」が訪ねて来た。
「ジュリア!?」
私はビックリしたが、「ジュリア」は、人差し指を立て、
「シッ!」
という仕草をすると、こんな事を言った。
「今日は、何とか抜け出して来たけど…。もう、貴方には逢えないと思う…」
と、とても悲しそうな顔をしていた。
空には月が輝いていたが、月明かりに照らされた彼女の頬に、涙が流れていた。
「今日は、お別れを言いに来たの…。最後に、どうしても貴方に逢いたかったから…」
彼女はそう言っていた。
私と「ジュリア」は、玄関先で、固く抱き合った。
しかし、「ジュリア」は、
「あまり、時間が無いから…」
と言うと、
「最後に、貴方にどうしても聴いて欲しい曲が有るの」
と言って、私の家に上がった。
そして、今はもう、私がすっかり弾かなくなっていた、私のピアノの前に座った。
「ジュリア」は、少し息を整えると、静かに曲を弾き始めた。
それは、美しも切ない、あまりにも有名な曲…そう、ショパンの『別れの曲』だった。
「ジュリア」が弾く『別れの曲』は、悲しい音色であり、私には、まるで泣いているみたいに聴こえた。
「今まで本当に有り難う…」
「ジュリア」は私にそう言っていたが、それが本当に、私達の「別れ」になった。
彼女の一家は、それから暫くして、日本を旅立ち、音楽の本場・ウィーンへと去って行った。
「ジュリア」は、いよいよプロのピアニストを目指し、新たな道へと歩み始めたのであった。
<最終章・『夢に消えたジュリア』>
こうして、私と「ジュリア」の「恋」は終わった。
私は、「ジュリア」と別れ、本当に自分の中身が空っぽになってしまったような喪失感に襲われていた。
だが、私には「ジュリア」との大切な「約束」が有った。
そう、「ジュリア」がプロのピアニストを目指すのであれば、私は、どうしても作家にならなければならない。
私は、「ジュリア」との思い出を、一編の詩に認(したた)めた。
そして、私はその詩に『夢に消えたジュリア』という題名を付けた。
私の中で、「ジュリア」との思い出は、いつまでも生き続けるという気持ちを、私はその詩に込めたのであった…。
『夢に消えたジュリア』
作詞・作曲:桑田佳祐
唄:サザンオールスターズ
帰れ僕の青い鳥 枯れた楡の梢に
君がいない 嗚呼 世の中は朝日さえ昇らない
腕の傷はおととしの 命懸けたロマンス
濡れた蕾 薔薇の雫 永遠(とわ)の愛に彷徨う
燃えろ夏の十字架 南の空高く
夜の闇を照らす星座(ほし)は涙のシャンデリア
まるで虹のように 夢に消えたジュリア
いとし君よ何処(いずこ) こんなにもやるせない "Lord have mercy."
恋の終わり告げるように ちぎれた僕のロザリオ
海を渡る二羽のカモメ 遠い夏の幻影(まぼろし)
灼けた肌をからめ 口づけしたサマータイム
身も心もすべて 君に捧げた恋だった
揺れる胸を抱いて 君と踊るジルバ
魔法に酔わされて 囁いた秘め事は "Oh, my Jesus."
Oh, baby
君がいない 嗚呼 この樹海(もり)は 叫びさえ届かない
燃えろ夏の十字架 南の空高く
夜の闇を照らす星座(ほし)は涙のシャンデリア
まるで虹のような Julia is my dream.
いとし君の姿 こんなにもやるせない "Lord have mercy."
Ah, ah… Ah, ah…
Julia, you are my dream