【サザンの楽曲「勝手に小説化」⑤】「私はピアノ ~ユウコの青春物語」(原案:桑田佳祐) | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

私は、昨年末以来、このブログで、私が大好きなサザンオールスターズの楽曲の歌詞を元にして、「短編小説」を、いくつか書かせて頂いている。

私は、今まで書いて来た、サザンの楽曲を元にして書いた「短編小説」は、下記の4本である。

 

①『死体置場でロマンスを』(1985)

②『メリケン情緒は涙のカラー』(1984)

③『マチルダBABY』(1983)

④『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』(1982)

 

前作『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』は、

青山学院大学の、「ある学生バンドの物語」を書いたが、これは、サザンをモデルにしたバンドではあるが、

念のために言っておくと、あくまでも「サザンっぽいバンド」であり、実在のサザンではない。

 

 

私が書いた『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』は、

青山学院大学の学生バンドに、ある日、ユウコというスーパーボーカルが「救世主」のように現れ、その学生バンドが大活躍して行く物語…であるが、この物語の最後は、語り手である「私」と、ボーカルのユウコが、何やら不穏な空気のままで終わってしまっている。

では、そのユウコとは、いかなる人物なのか…という事で、

今回は、このバンドの物語を、ユウコの視点から描いてみる事としたい。

 

 

 

 

今回、私が「短編小説」の題材として選ばせて頂いた楽曲は、

1980(昭和55)年にリリースされた、サザンオールスターズの3枚目のアルバム『タイニイ・バブルス』に収録されている、『私はピアノ』という曲である。

この曲は、サザンファンの間では、あまりにも有名な曲であるが、それは何故かといえば、原由子初めてリード・ボーカルを務めた曲だからである。

 

 

 

 

『私はピアノ』は、桑田佳祐が作詞・作曲し、原由子が歌っている曲であるが、

後に、高田みづえ『私はピアノ』を歌い、大ヒットを記録した。

という事で、「サザンの楽曲・勝手に小説化シリーズ」の「第5弾」は、

前作『Ya Ya(あの時代(とき)を忘れない)』の「続編」であり、「姉妹編」として、

スーパーボーカル・ユウコが主人公の『私はピアノ』という物語を描く。

それでは、ご覧頂こう。

 

<序章・『愛の嵐』>

 

 

「本当に、どうしてこんな事になっちゃったんだろう…」

私は、そんな事を思い、泣きながら歩いていた。

ついさっき、私は「彼」と大喧嘩をして、そのまま「彼」の元から飛び出して来てしまった。

私と彼とは、ちょっと変わったキッカケで出逢った。

ちょっと大袈裟に言うと、私は「彼」と出逢ってから、本当に世界が一変してしまったが、

今日まで、本当に楽しい思い出ばっかりの日々を過ごして来た。

「お前ら、本当に仲が良いよな…」

私と彼とは、誰もが羨むような、「ラブラブ」なカップルだった。

でも、ある日突然、まるで嵐のように、音を立てて崩れてしまった…。

自分でも、何でこんな事になってしまったのか、よくわからない。

そういうわけで、今、私は頭の中がグチャグチャだけれど、少し頭を冷やすためにも、これまで私が辿って来た「物語」を、書いてみる事にしたい。

 

<第1章・『としごろ』>

 

 

まず最初に、私の自己紹介をしておく。

私の名前はユウコ。

今は20歳で、都内の美容師の専門学校に通っている。

私の事を一言で言うと、

「とにかく、歌が大好きな女の子」

という事になると思うけど、私が、この世で一番好きなのは「音楽」である。

私は、生まれも育ちも横浜という、生粋の「ハマっ子」で、私の家族はみんな、「音楽」が大好きだ。

私の両親は、横浜で老舗の天ぷら屋を営んでいて、音楽の専門教育を受けたような人達ではないけれど、いつもテレビでは歌番組を見たり、お父さんは、いつもお風呂に入りながら、歌を歌ったりしていた。

そして、私は小さい頃から、両親にピアノを習わせてもらっていた。

「ユウコ、本当にピアノが上手いね!!」

おだてられると、すぐに良い気になってしまうのが玉に瑕(?)の私は、いつも両親に、ピアノの腕前を褒めてもらってたから、自分でも「その気」になって、ますます熱心にピアノを練習していた。

 

 

私には、3つ年上の兄貴が居るけど、兄貴も「音楽」が大好きで、ロックやポップスには、とても詳しかった。

「ユウコ、こんな曲を知ってるか?」

兄貴は、沢山、CDを持っていたけど、何か良い曲を見付けると、兄貴は私にもその曲を教えてくれた。

兄貴は高校生になると、自分でエレキギターの練習をしたりしていたが、これが結構上手かった。

私は、ピアノを習い始めた頃は、クラシック音楽ばかり弾いていたけど、兄貴の影響で、ロックやポップスにも、どんどん詳しくなって行った。

「ユウコ、セッションやろうぜ!!」

私が中学生になった頃、兄貴はよく私に声を掛け、2人で色々な曲を演奏したりしていたが、これが本当に楽しかった。

私に、音楽の基礎を教えてくれたのは、勿論、ピアノの先生だったけど、

ロックやポップスに関しては、兄貴が私の「師匠」だった。

こうして、私が「年頃」になると、私は「音楽」が一番の友達になっていた。

 

<第2章・『横須賀ストーリー』>

 

 

さっき、私は「音楽」が一番の友達だって言ったけど、

それは何故かといえば、私には、あまり本当に友達が居なかったからでもあった。

私は、中学校に入ったぐらいから、どうにもこうにも、同級生の子達とは、あまり馴染めなかった。

上手く言えないけれど、

「どうも、何かノリが合わないんだよね…」

と、私は思っていたし、同級生達も、同じ事を思っていたと思う。

多分、私はマイペースというか、あんまり自分のペースを乱されるのがキライだった。

「あの子、何か変わってるね…」

同級生の子達が、ヒソヒソと「陰口」を叩いているのも聞こえてたけど、私はそんな子達など、無視していた。

「私は私よ、関係無いわ…」

私は、気が付いたら、クラスで「孤立」しているような感じだったけど、今更どうしようも無いって思ってたし、自分の生き方を変えるつもりも無かった。

 

 

ところで、その頃の私が、強く影響を受けた人が居る。

それは誰かと言うと、私の憧れの人、

「百恵ちゃん」

である。

「百恵ちゃん」

というのは、勿論、あの山口百恵さんの事だが、

その頃、山口百恵さんは、とっくに引退していたけれど、ある日、私はテレビの懐メロ番組で、山口百恵さんが、

『横須賀ストーリー』

という曲を歌っている映像を見た。

「何、この人!?超クールでカッコイイんだけど!?」

私は、それまで、そういうタイプの歌手を見た事が無かったから、とても新鮮に思えた。

山口百恵さんは、『横須賀ストーリー』を、ニコリともしない、クールな表情で歌っていたけど、

私から見ると、「誰にも媚びない、芯の強さを持った人」に見えた。

「私も、こんな人になりたいな…」

当時、クラスで孤立していた私にとって、山口百恵さんは、

「きっと、この人も色々と辛い事が有ったけど、全部乗り越えて、1人で生きて行くって覚悟を決めた人なのね…」

と思えるような人だった(※勝手に感情移入してしまって、申し訳無いけれど…)。

それからは、私は山口百恵さんを、私の生き方の「お手本」にしようと決めた。

そして、私は、憧れの人である山口百恵さんを、親しみを込めて、

「百恵ちゃん」

と呼ぶようになった。

今思えば、これも何かの「運命」だったのかもしれない。

 

<第3章・『しなやかに歌って』>

 

 

その後、私は地元の横浜の女子高に入った。

その女子高は、中学の頃みたいな、嫌な子達は、あまり居なかったけれど、

私は、もう随分と長い間、友達の作り方を忘れてしまっていた。

お昼休みになると、私はいつも一人で、お弁当を食べていたけれど、そんなある日、

「ねえ、ユウコさん。一緒にお弁当を食べようよ!」

と、私に声を掛けてくれた子が居た。

その子は、とても美人だったけど、全然、お高く止まった所も無く、凄く優しそうな子だった。

「うん、いいよ…」

こんな私に声を掛けてくれた事が、実はとても嬉しかったのだけれど、私は素直にその気持ちを出す事も出来ず、少し、ぶっきらぼうに答えてしまった。

でも、その子は、そんな事は全然、気にしないって感じで、私と一緒にお弁当を食べてくれた。

その子は、みんなから「モリ」と呼ばれていたので、私もその子の事は「モリ」と書く事にするけど、その「モリ」は、どうやら音楽が大好きな子らしかった。

「ユウコさんも、音楽が好きなの?」

「うん!音楽は大好き」

私と「モリ」は、それがキッカケで、とても仲良くなった。

 

 

「モリ」と仲良くなったのをキッカケに、私は、少しずつ、他の友達も出来るようになった。

そして、高校時代の私の最大の「事件」が起こった。

それは何かと言えば、何と、私の高校の学園祭で、私が舞台に立って歌う事になったのである。

その高校の学園祭は、かなり盛り上がっていたが、一番の目玉は、所謂「のど自慢大会」だった。

学園の、「我こそは!!」と思う、「歌自慢」がステージに立ち、歌を披露するのである。

そして、そのステージには、各クラスで1名ずつ、代表を立てる事になっていた。

「私は、ユウコさんが良いと思う!!」

クラスの代表を決める学級会が開かれた時、「モリ」は、何と私をクラス代表に推薦してしまった。

「えー!?わ、私が…?」

私はビックリしてしまったが、「モリ」は、

「ユウコさんなら、大丈夫。本当に歌が上手いんだから!!」

と、ハッキリと断言していた。

 

 

確かに、私は「モリ」と一緒に、放課後に「デュエット」をして歌ったりして、遊んだりしていたけど、それは、あくまでも「内輪」の話であった。

でも、「モリ」からの推薦に、他の子達も、大きく頷いていた。

「うん、ユウコさんなら良いんじゃないかな!!」

その「デュエット」は、どうやら、他の子達にも聴かれていたらしく、あっという間に、クラスのみんなから、私は代表に推されてしまった。

 

 

「これは、大変な事になった…」

正直、私は頭を抱えてしまったが、決まった以上は仕方が無い。

学園祭の当日、私は、覚悟を決めて「のど自慢大会」のステージに立っていた。

そして、とても不思議な事なのだが、私は、いざステージに立つと、妙に度胸が座ってしまう事に気が付いていた。

「こんな時、百恵ちゃんなら、どうするのか…」

私は、いつも、「百恵ちゃん」の事を思い浮かべていた。

「百恵ちゃん」は、歌を歌う時は、必ず、その歌の主人公になり切って歌っている。

「今、ここに立っているのは、私じゃない。この歌の主人公が、ここに立っているんだ…」

そう思うと、私は、スッと落ち着きを取り戻す。

そう、歌の主人公が、私に降りて来る感覚である。

そして、ステージに立つと、「もう1人の私」が、私の事を俯瞰して見る事が出来るようになっていた。

そうなると、しめたもので、私は緊張も何処かに飛んでしまい、堂々と歌う事が出来た。

そして、気が付くと、会場からは、割れんばかりの大拍手が起こっていた。

「ユウコ、凄かったよ!!本当にカッコ良かった!!」

ステージから降りると、「モリ」が感激の表情で、私に抱き着いて来た。

この時、私は初めて「ステージに立つ快感」を味わってしまったが、それもこれも、全て「百恵ちゃん」のお陰である。

 

<第4章・『いい日旅立ち』>

 

 

「ユウコ、本当にそれで良いのか?」

高校卒業を間近に控え、自分の進路を決める事、私は両親に、

「美容師になりたい」

という事を告げた。

高校時代、大の仲良しだった「モリ」は、美人なだけではなく、とにかくお洒落で、

私から見ると、「自分の魅力の見せ方を、とてもよくわかっている」ように見えた。

私は、当時はあまりお洒落は苦手だったけど、そろそろ「大人」になるため、お洒落の勉強もしなければいけないと思っていた。

そんなわけで、私は東京の美容師の専門学校に通いたいと、両親に自分の気持ちを伝えた。

両親は、私が東京の学校に行く事自体、あまり良い顔をしなかったが(※私の両親は、本当に私に甘いのである)、

私の兄貴は、

「まあ、ユウコが決めた事だし、良いんじゃないか?」

と言って、私の後押しをしてくれた。

兄貴の援護射撃のお陰もあって、最後は両親も、渋々、認めてくれたが、

「ユウコ。決まった以上は頑張れよ」

と、兄貴は私の事を応援してくれた。

「ユウコ、美容師も良いけど、音楽も忘れるなよ!!」

兄貴は、そうも言っていたが、勿論、私が「音楽」を忘れるわけがない。

だって、「音楽」は私の一番の友達なのだから…。

 

<第5章・『ひと夏の経験』>

 

 

「ユウコって、歌が好きなんだって?」

高校を出た後、私は都内の美容師の専門学校に通っていたが、

専門学校に通うのと同時に、私は渋谷のカラオケ屋で、アルバイトをしていた。

そのカラオケ屋で、一緒にバイトをしていたのが、私と「同い年」タカシという男の子だった。

タカシは、とても人懐っこい笑顔が印象的な男の子で、誰とでも、すぐに仲良くなれるというのが、彼の「特技」だった。

私も、タカシとはすぐに仲良くなったが、そのカラオケ屋で働き始めて暫く経ったある時、

確か、季節は初夏の頃だったが、私が他の同僚の子と、

「私、歌が好きなんだー」

という話をしていたのを、たまたま、タカシが聞いていたらしく、タカシが私にその事を聞いて来た。

「うん、まあね…」

私はそう答えたが、タカシは、

「ユウコの歌を、聴いてみたい!!」

と、私に対し、ガンガン迫って来ていた。

ちなみに、そのカラオケ屋では、何だか素性の怪しい、ヒデユキさんという「オジサン」も働いていたが、

後で聞くと、そのヒデユキさんは、私よりも2歳年上だという(※「オジサン」と思っててゴメン…)。

タカシは、ヒデユキさんも誘って、バイトが終わった後、3人でカラオケで歌おうと言って、聞かなかった。

 

 

「しょうがないなあ…」

私は、本当に渋々、といった調子で、タカシヒデユキさんの2人に、私の歌を聴いてもらった。

歌うのは、勿論、「百恵ちゃん」の曲である。

そして、歌い終わると、タカシヒデユキさんも、口をあんぐりとさせていた。

「凄い!!ユウコ、すげー歌が上手いじゃん!!!!」

タカシは、本当にビックリしたという様子であった。

「有り難う…」

タカシが、あまりにも大袈裟に(?)褒めるので、私も照れ臭かったが、ここは素直に、その褒め言葉を受け取っておいた。

すると、タカシが改まった調子で、こんな事を言って来た。

「ユウコ、実は、折り入って頼みが有るんだけどな…」

タカシは、私に頼み事をして来た。

「頼みって、何…?」

私はタカシに続きを促したが、それは思いがけない事だった…。

 

<第6章・『ロックンロール・ウィドウ』>

 

 

タカシが私に言って来た「頼み」とは、こういう事だった。

「実は俺、通っている大学で、バンドをやってるんだよ。そのバンドで、今、ボーカルを探してるんだ。それで、そのバンドの練習を、一度、見に来てくれないかな?」

タカシは、渋谷のカラオケ屋のすぐ近くの、青山学院大学に通う学生だった。

タカシは、その青学で、学生バンドをやっているという。

私は、バンドの練習というのは、凄く興味が有ったが、

「私、バンドのボーカルなんて、やった事ないよ?それでも良いの?」

と、タカシに念を押した。

「うん、良いから良いから!!とにかく、一度見に来てよ!!」

こうして、私はその年の秋、タカシに連れられ、青山学院大学のキャンパスへと向かった。

そして、私はタカシがやっているというバンドのメンバー達に紹介されたが、そのバンドのメンバーは、タカシがギター、カズユキがベース、ヒロシがドラムという編成であり、そして、バンドリーダーとして、「彼」が居たのである。

私は、最初、とても緊張していたが、ここでも私がやる事は、同じである。

「今、ここに居るのは、私じゃない。私は、歌の主人公…」

いつものように、自分に言い聞かせ、私は「百恵ちゃん」『ロックンロール・ウィドウ』を歌った。

 

 

私が歌い終わると、バンドのメンバー達は皆、呆然とした表情をしていた。

私は、どうやら上手く歌う事が出来たかな…と、ホッとしていたが、その時、バンドリーダーの「彼」が、私に対し、

「本当に、凄かった!!俺、感動しちゃったよ…」

と、言ってくれた。

そして、「彼」は私に、

「ねえ、君さえ良かったら、このバンドでボーカルをやってくれない!?」

と言って、私をバンドのボーカルに誘ってくれたのである。

私は、こんなにも自分の事を必要としてくれるが嬉しくて、ついつい、二つ返事で、

「はい!そう言って頂いて嬉しいです。是非、宜しくお願いします!!」

と、返事をしていた。

こうして、私は、この学生バンドに加わる事になった。

 

<第7章・『夢先案内人』>

 

 

私は、このバンドに加入して以降、青山学院のキャンパスに通い、みんなと一緒に、一生懸命に練習をした。

不慣れな私の事を、みんなが一生懸命にサポートしてくれたが、私はみんなと、毎日、遅くなるまで、時間の経つのも忘れて練習に励んだ。

そして、私が一番ビックリしたのは、バンドリーダーの「彼」である。

私から見れば、「彼」は本当に天才だった。

「彼」は、本当に次から次にオリジナルの「新曲」を作って来るのである。

「こんな凄い人、見た事ない…」

私は心の底から、そう思っていたが、

バンドのメンバー達も、「彼」の事は本当にリスペクトしていた。

「ユウコ、曲が出来たから、聴いてくれない?」

彼は、「新曲」が出来ると、私を学生会館の屋上へと誘い、ギターを奏で、いつも一番に「新曲」を聴かせてくれた。

そんなある日の事、いつものように「彼」が私を屋上に連れ出し、「新曲」を聴かせてくれた。

その日は、暖かな日差しが降り注ぎ、屋上の日だまりが、とても心地良かった。

「本当に良い曲だね…」

私は、その日も「彼」が作ってくれた「新曲」を、ウットリと聴いていたが、その時、私は急に、彼に抱きしめられた。

「ユウコ、付き合ってくれ」

それは、本当にストレートな「告白」だったが、私も、ついマジになって、

「う、うん…」

と、答えてしまった。

こうして、私達は「恋人」同士になったが、それからも「彼」は、物凄いペースで、私のために「新曲」を作ってくれた。

 

 

ちなみに、「彼」は古今東西の音楽に本当に詳しかったが、

その頃、私と「彼」が、いつも一緒に聴いていたのは、ラリー・カールトンの曲だった。

勿論、私はラリー・カールトンの事など知らなかったが、彼は私の知らない音楽を、沢山教えてくれた。

「彼」もまた、

「ユウコのお陰で、曲が沢山、思い浮かぶんだよ!!」

と言っていたが、自分で言うのもオカシイけど、その頃の私達は、お互いに良い影響を与え合う、理想のカップルだったと思う。

そして、私達のバンドが「大目標」にしていた、あの「ライブ」の日がやって来た。

 

<第8章・『プレイバック part2』>

 

 

私達のバンドは、

「ライブハウスのステージに立ち、ライブを開催する」

という事を「目標」にして、日夜、練習に励んでいた。

そして、その年の冬、とうとう、そのライブの「本番」の日がやって来てしまった。

ライブの当日は、私達のバンドが所属する、青山学院の音楽サークルの仲間達が、沢山の人達に声を掛けた事もあり、物凄く沢山の人達が、私達のバンドを見に来てくれていた。

ちなみに、ステージに立つにあたり、私達は、

「ベターデイズ」

というバンド名を名乗っていたけど、自分でも知らない内に、いつの間にか、「ベターデイズ」は、ちょっとは名の知れた存在になっていたらしい。

そして、この日のお客さんの中には、私の高校時代の大親友「モリ」も居て、「モリ」も、友達を沢山連れて来ていた。

 

 

「どうしよう…。私、こんなに多くの人達の前で歌った事なんて無いから…」

ライブが始まる前、私は緊張のあまり、ガタガタ震えてしまった。

でも、「彼」「ベターデイズ」の仲間達が、

「大丈夫!!ユウコなら、きっと出来る!!」

と言って、私を励ましてくれていた。

そして、私は遂に「本番」のステージに立ったが、

この時も、やはり私には「百恵ちゃん」という、強い味方が居た。

私は、仲間達の最高の演奏と、「百恵ちゃん」のお陰で、遂に、このステージを大成功させる事が出来た。

私は感激して、思わず泣いてしまったけれど、一番嬉しかったのは、「彼」から、

「ここまで来られたのは、ユウコのお陰だよ…」

と、言ってもらえた事だった。

私もまた、「彼」には感謝の気持ちでいっぱいだったし、とても幸せだった。

私はきっと、この日の「思い出」を、ずっと忘れないだろうと思った。

でも、その「幸せ」は長くは続かなかった…。

 

<第9章・『さよならの向う側』>

 

 

私達「ベターデイズ」は、全速力で駆け抜けていた。

そして、気が付けば、最高の時間を過ごす事が出来たのだけど、

あのライブの後ぐらいから、「彼」とタカシが、険悪な関係になってしまった。

理由は、タカシ「このバンドでプロを目指す」という気持ちであり、「彼」には全然その気が無いという事だった。

その方針の違いは、どうにもならなくて、2人は大喧嘩してしまった。

私は、勿論「彼」が好きだったけど、バンドの仲間達も大好きだったから、こんな風になってしまうのは、本当に悲しくてたまらなかった。

そして、ある日とうとう、私は「彼」とも喧嘩をしてしまったが、その時、「彼」は私に、こう言い放った。

「そうか。そんなにプロになりたきゃ、勝手にしろ。ユウコは、タカシと一緒にプロを目指せば良いじゃないか!?」

その言葉は、本当にショックだったし、私は一気に絶望のどん底に叩き落とされてしまった。

私は泣きながら、その場を飛び出し、そして、大泣きしながら、とぼとぼと歩いていた…。

それが、あの冒頭の場面というわけだ。

 

 

私は、家に帰ると、枕を濡らして、泣きどおしに泣き続けた。

でも、そんな時に、私の側に居たのも、やっぱり「音楽」だった。

窓の外には雨が降っていたけど、私は、「彼」から教えてもらった、ビリー・ジョエルの曲を聴いていた。

「本当に、バカなんだから…」

私は思わず、そう呟いていた。

それから暫くの間、「彼」からの連絡は全く途絶えてしまい、私も鬱々とした日々を過ごしていた。

 

 

それから、私はカラオケ屋のバイトも辞めてしまい、「ベターデイズ」のメンバー達との交流も途絶えてしまった。

こうして私はまた、独りに戻ってしまった。

「本当に、結局は私は独りなんだ…」

私は寂しくて仕方無かったけど、でも、どうしようも無かった。

そんなある日、私の携帯電話が鳴った。

それは、思いがけない人からの着信…私が「オジサン」だと思っていた、あのヒデユキさんだった。

「ユウコ、今から逢える?」

私はヒデユキさんに呼び出され、久々に渋谷に行ったが、ヒデユキさんは私にこんな事を言った。

「あいつ…。君に酷い事を言って、本当に後悔してるって言ってた。ユウコは、あいつの事、どう思ってる?」

どうやら、ヒデユキさんは、「彼」の事を言っているらしい。

ヒデユキさんは、私達「ベターデイズ」の仲間達とも交流が有り、「彼」とも親しくしているようだった。

「どうって…。全然連絡も無いし、私、彼に嫌われたのかと思って…」

私はそう答えたが、ヒデユキさんは、思いがけない事を言った。

「あいつは、まだ君の事が忘れられないって言ってたな。それに、ベターデイズのみんなの事も…。そうそう、あいつ、何か、君とベターデイズのために、曲を作ったとか言ってたよ?」

私は、ハッとした。

「本当に…?」

思えば、私達の関係が上手く行っていた頃、私達は、何も言葉が無くても、「音楽」だけでわかり合えていた。

今こそ、必要なのは、「音楽」なのかもしれない…。

「わかったわ。教えてくれて有り難う!!」

私はヒデユキさんにお礼を伝え、すぐに家に引き返すと、今の自分の気持ちを込めた曲を作った。

 

<最終章・『私はピアノ』>

 

こうして、私が作った曲…それが『私はピアノ』という曲である。

今すぐには、「彼」には伝わらないかもしれないけれど、いつか、この歌を歌って、「彼」に私の思いを伝えたい…今、私はそんな事を思っている。

そして、「彼」が作ったという曲も、私は聴いてみたいと思っていた…。

 

 

『私はピアノ』
作詞・作曲:桑田佳祐

唄:サザンオールスターズ(※リードボーカル:原由子

 

人もうらやむよな仲が いつも自慢のふたりだった

あなたとなら どこまでも ゆけるつもりでいたのに

突然の嵐みたいに 音を立ててくずれてく

涙が出ないのはなぜ 教えて欲しいだけさ

 

あなたから目が離せない 

ふたりして聞くわラリー・カールトン

日だまりの中で抱かれ いつしか時の徒然に

思い出に酔うひまもなく 心から好きよと云えた

あの頃がなつかしくて 何もかも

 

アナタがいなければ 1から10までひとり

言葉もないままに生きてる

くりかえすのはただ lonely play

 

思いきり感じたままに 見せるしぐさやさしくて

言葉じゃなくて態度で 分かり合えてもいたのに

男の人なら誰でも 細い肩を抱けばわかる

夜が恐いよな女にゃ それでいいのよすべて

 

おいらを嫌いになったとちゃう そんなことないわいな

あっそう! この先どないせいというのジャジ

そんなこと知るかいな

 

辛いけど涙みせない 雨の降る夜にはビリー・ジョエル

情けない女になって しまいそな時にはサンバ

ためいきが出ちゃうよな恋 静かに抱きすくめられて

焼けた素肌が今でも なつかしい

 

ひとしきり泣いたら 馬鹿げたことねと思う

ピアノに問いかけてみたけど

ピアノに問いかけてみたけど

くりかえすのはただ lonely play lonely play