サザンオールスターズと野球界の40年㊵ ~2016年『ヨシ子さん』と、広島25年振り優勝~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

2015(平成27)年、桑田佳祐「紫綬褒章」の受章を、自ら茶化してしまうという演出が「大炎上」してしまうという事件が有ったが、

同年(2015年)サザンオールスターズは、10年振り通算15枚目のアルバム『葡萄』をリリースし、またしても「サザン健在」をアピールした。

そして、翌2016(平成28)年から、桑田佳祐はソロ活動に戻り、「第6期ソロ活動」を行なう事となった。

 

 

そして、2016(平成28)年に桑田佳祐がリリースしたシングルが、『ヨシ子さん』である。

『ヨシ子さん』は、桑田が敢えて「売れ線」を全く無視したような、「やりたい放題」の曲だったが、却ってそれが大いに話題になったものである。

という事で、「サザンオールスターズと野球界の40年」の「2016(平成28)年編」の「前編」を、ご覧頂こう。

 

<2016(平成28)年2月26日…桑田佳祐、「還暦」を迎える~桑田佳祐の「還暦」を記念し、桑田佳祐ソロ名義の全211曲の「配信」が開始>

 

 

2016(平成28)年2月26日、桑田佳祐は60歳の誕生日を迎えた。

そう、桑田佳祐「還暦」を迎えたのである。

すると、同日(2016/2/26)、桑田佳祐の「還暦」を記念し、

桑田佳祐のソロ名義の全211曲が、遂に「配信」でのリリースが開始されたのである。

1978(昭和53)年、サザンがデビューした頃、音楽を聴く媒体はレコードであり、

その後、1980年代中盤頃から、レコードからCDへと媒体は変わり、21世紀を迎え、

音楽はインターネットで「ダウンロード」して聴く時代へと変わって行った。

その間、サザンオールスターズ桑田佳祐は、ずっと日本の音楽界の第一線に居続けたが、音楽を届ける媒体は変わっても、

サザンや桑田が生み出す音楽の「熱量」は、ずっと変わらなかった。

そして、時代の変遷に合わせ、遂に桑田の楽曲も全て「配信」で聴けるようになったのである。

だが、こうした時代の変化に、桑田としても本音では「戸惑い」は有ったかもしれない。

そんな桑田の「戸惑い」「違和感」が遺憾なく発揮された楽曲こそ、この年(2016年)にリリースされる事となる、『ヨシ子さん』である。

 

<桑田佳祐の新曲『ヨシ子さん』、2016(平成28)年6月29日のリリースが発表>

 

 

2016(平成28)年の桑田佳祐は、「第6期ソロ活動」を行なう事となったが、

その2016(平成28)年、桑田佳祐の新曲がリリースされる事となった。

2016(平成28)年6月29日に、桑田佳祐の新曲『ヨシ子さん』がリリースされる事となったのである。

「ヨシ子さんって、一体、何なんだ!?」

桑田ファンは、『ヨシ子さん』なる新曲のタイトルに、興味津々だったが、

『ヨシ子さん』は、カップリングとして、

 

・『大河の一滴』

・『愛のプレリュード』

・『百万本の赤い薔薇』

 

という3曲も収録されており、全4曲でリリースされる事となった。

そして、『ヨシ子さん』よりも先に、上記の3曲が、先行でメディアで披露される事となった。

という事で、前述の3曲について、まずはご紹介させて頂く。

 

<桑田佳祐自身が出演した、UCC「BLACK無糖」のCMソングとして起用された『大河の一滴』>

 

 

 

『大河の一滴』という楽曲のタイトルは、

「仮歌」の段階では、『いささか自意識過剰気味な男』という仮タイトルが付けられていたようだが、

やがて、作家・五木寛之のエッセイと同タイトルの『大河の一滴』というタイトルになった。

そして、『大河の一滴』は、大変カッコイイ曲である。

 

 

 

 

『大河の一滴』は、桑田佳祐自身が出演するCMである、

UCC「BLACK無糖」のCMソングとして起用されたが、

このCMで『大河の一滴』を聴いた時は、

「何て、カッコいい曲なんだ!!」

と、私は衝撃を受けた。

一言で言えば、桑田佳祐が歌う、「大人の男の曲」である。

桑田は、年齢を重ね、渋い大人の男の魅力を増して行ったが、『大河の一滴』も、そんな桑田の「カッコ良さ」が全開の曲である。

前述した通り、五木寛之のエッセイと同タイトルというのも、洒落が利いていて、素晴らしい。

「流石は、桑田佳祐!!」

と言いたくなるような、素晴らしい曲である。

 

<桑田佳祐が出演した「JTB夏旅」のCMソングとして起用された『愛のプレリュード』>

 

 

 

 

 

『愛のプレリュード』は、桑田佳祐が出演していた、「JTB夏旅」のCMソングとして起用された曲であり、

2006(平成18)年のサザンの楽曲『DIRTY OLD MAN ~さらば夏よ~』のMV撮影の時以来、

桑田は10年振りにハワイを訪れ、CM撮影を行ない、桑田は10年振りのハワイの度を満喫した。

『愛のプレリュード』は、軽快で爽やかなラブソングであるが、「JTB夏旅」には、武井咲が出演するバージョンも有り、この曲にピッタリな、爽やかなCMであった。

なお、桑田は、翌2017(平成29)年にリリースされる事となる『オアシスと果樹園』と合わせ、『愛のプレリュード』『オアシスと果樹園』「ハワイ2部作」と称している。

 

<市川紗椰がメイン・キャスターを務めた、フジテレビ「ユアタイム」のテーマ曲として起用された『百万本の赤い薔薇』>

 

 

 

2016(平成28)年4月4日~、フジテレビは、市川紗椰ショーン・マクアードル川上(ショーン・K)の2人をメイン・キャスターに起用した、報道番組「ユアタイム あなたの時間」を、新番組としてスタートさせる事を発表していた。

月~金曜日の23時台に放送される、帯番組の報道番組であり、この時間帯は、他局でも報道番組を放送しているという、重要な時間帯である。

その「ユアタイム」のメイン・キャスターとして起用されたのが、市川紗椰、ショーン・Kの2人であり、大役を任される事となった。

 

 

しかし、番組放送開始直前の、2016(平成28)年3月、「週刊文春」が、

「ショーン・Kの経歴詐称」

という疑惑をスッパ抜き、世間は大騒ぎとなってしまった。

所謂「文春砲」が炸裂したわけだが、結局、ショーン・Kは、この騒動の責任を取らされる形で、「ユアタイム」のメイン・キャスターを降板する事となった。

しかし、「降板」と言っても、「ユアタイム」は、まだ放送開始すら、されていない。

「ユアタイム」という船は、出航を目前にして、いきなり大嵐に見舞われてしまった。

 

 

 

 

結局、「ユアタイム」は、事実上、市川紗椰1人が、メイン・キャスターを務める事となり、

市川紗椰を、フジテレビの野島卓アナウンサーが、サポートする形となった。

「これは、大変な事になってしまった…」

市川紗椰も、いきなり1人でメイン・キャスターという大役を任される事となってしまい、内心、焦っていたかもしれない。

だが、こうなってしまった以上、彼女1人で、どうにかやって行くより他に、道は無かった。

 

 

 

 

そんな中、桑田佳祐は、「ユアタイム」のテーマ曲の作曲の依頼を受けていた。

そして、桑田が「ユアタイム」のために書き下ろした新曲が、『百万本の赤い薔薇』である。

この曲のタイトルは、加藤登紀子の名曲『百万本のバラ』を彷彿させる物が有るが、

『百万本の赤い薔薇』に込められたテーマとは、

「全ての頑張っている人へのエール」

という事であった。

 

 

 

 

 

なお、『百万本の赤い薔薇』には、

「Oh Oh 紗椰…」

という歌詞が、繰り返し歌われており、「ユアタイム」のメイン・キャスター、市川紗椰の名前を、そのまま使っている。

桑田佳祐は、当初、

「自分(※市川紗椰)の名前がテーマソングに入っているのは逆にプレッシャーで、絶対に怒ってる」

と思っていたようであり、スタッフからも「SAYA」とぼかすのが良いと桑田に提案したが、

桑田は「報道番組の真ん中、アンカーマンとして市川紗椰がいて、市川紗椰と俺の果たし合い」という理由で「紗椰」をそのまま使ったと、後に語っている。

そして、『百万本の赤い薔薇』が初披露された時、市川紗椰は大感激の表情であった。

大変な逆風の中、「ユアタイム」の舵取りを任される事となってしまった市川紗椰も、この曲には大変、勇気付けられたという。

彼女は、後に「紗椰で良かったなって思いました。こんなに真剣に向き合って下さったとは…」というコメントを残している。

こうして、桑田佳祐の楽曲が、毎晩、フジテレビの報道番組で流される事となった。

 

<2016(平成28)年6月29日…桑田佳祐の3年3ヶ月ぶり通算16枚目のシングル『ヨシ子さん』リリース>

 

 

 

2016(平成28)年6月29日、桑田佳祐の3年3ヶ月振り通算16枚目のシングル『ヨシ子さん』がリリースされた。

前述の通り、まずは『ヨシ子さん』のカップリングの3曲『大河の一滴』『愛のプレリュード』『百万本の赤い薔薇』が先行で披露されたが、満を持して、遂に『ヨシ子さん』がリリースされたのである。

なお、『ヨシ子さん』は、WOWOW開局25周年CMソングとして起用された。

 

 

 

『ヨシ子さん』は、桑田佳祐のアバンギャルドな側面が遺憾なく発揮された曲であり、

サイケなアレンジの、スローテンポな曲であるが、冒頭でも述べた通り、

『ヨシ子さん』は、「売れ線」を全く無視したような、「脱力ソング」である。

しかし、一度聴いたら忘れられない、何ともインパクトの有る楽曲である。

という事で、『ヨシ子さん』の歌詞を、ご覧頂こう。

 

 

『ヨシ子さん』

 

作曲・作曲:桑田佳祐

唄:桑田佳祐

 

R&Bって何だよ、兄ちゃん(Dear Friend)?
HIPHOPっての教(おせ)えてよ もう一度(Refrain)


オッサンそういうの疎いのよ 妙に
サタデー・ナイトはディスコでフィーバー

 

チキドン (チキドン)
チキドン (チキドン)
チキドン

 

EDMたぁ何だよ、親友(Dear Friend)?
“いざ”言う時に勃たないヤツかい?
“サブスクリプション”まるで分かんねぇ
“ナガオカ針”しか記憶にねぇよ

 

チキドン (チキドン)
チキドン (チキドン)
チキドン

 

可愛い姐ちゃんに惚れちゃったんだよ
ヨシ子さん 好きさ
「くよくよするな」ってディランが歌ってた
Everybody say, Ah…Ah…Ah…Ah

 

真夏の太陽 スゲェ High!!
情熱の恋に燃えて 礼(らい)!!
青春はお洒落でスゲェ High!!
ニッポンの男達(メンズ)よ Are you happy?

 

R&Bって何だよ、兄ちゃん(Dear Friend)?
HIPHOPっての教(おせ)えてよ もう一度(Refrain)
オッサンそういうの疎いのよ 妙に
なんやかんや言うても演歌は良いな

 

チキドン (チキドン)
チキドン (チキドン)
チキドン
エロ本 (エロ本)
エロ本 (エロ本)
エロ本

 

イイ歳こいて捨てられたんだよ
ヨシ子さん ノー・リターン
「ブラックスター」でボウイさんが別れを告げた
Everybody say, Ah…Ah…Ah…Ah

 

真夏の太陽 スゲェ High!!
最近はエロが足んねぇ Why?
笑ってもっとベイビー Smile!!
ニッポンの男達(メンズ)よ ヤッちゃえ ほい

 

フンガ フンガ フンガ (Hey)
フンガ フンガ フンガ
フンガ フンガ 上鴨そば (Hey)
フンガ フンガ 上鴨そば

(Nan Nan Nan Nan…)

 

真夏の太陽 スゲェ High!!
情熱の恋に燃えて 礼(らい)!!
青春はお洒落でスゲェ High!!

ニッポンの男達(メンズ)よ Are you happy?

 

 

『ヨシ子さん』の歌詞を、ご紹介させて頂いたが、

桑田は、『ヨシ子さん』の歌詞の中で、

「R&B」「HIPHOP」「EDM」「サブスクリプション」…などといった、最先端の音楽用語を登場させ、

「オッサンだから、そういう最先端の音楽には、着いて行けない」と、自虐的に述べる一方、

「サタデー・ナイト・フィーバー」「ナガオカ針」「演歌」…など、所謂「昭和の音楽」は良かったと、述べている。

だが、そうは言いながらも、『ヨシ子さん』という楽曲のアレンジは、

「インドとラテンとペルシャと東南アジアが混ざった、無国籍な匂いがする、平成のロバート・ジョンソンとも言うべき楽曲」

と、桑田自身が語っている通り、非常に挑戦的で前衛的な物であり、

「最新の音楽に、自分なりのやり方で挑戦する」

という、気概が感じられる。

ともかく、非常にインパクトが有る楽曲である事は間違い無い。

 

 

 

なお、『ヨシ子さん』の歌詞には、この年(2016年)1月10日に亡くなったデヴィッド・ボウイや、

この年(2016年)に「ノーベル文学賞」を受賞する事となるボブ・ディランも登場し、

「何でも有り」の、『ヨシ子さん』の世界観に、彩を添えている。

いずれも、桑田佳祐がリスペクトして止まない、偉大なミュージシャンである。

 

<そもそも、『ヨシ子さん』とは何か…?~「昭和の爆笑王」林家三平のギャグから引用!?>

 

 

 

 

では、そもそも『ヨシ子さん』とは、一体、何なのかという話なのだが、

「昭和の爆笑王」と称された落語家、初代・林家三平のギャグから、引用されたものだったという。

林家三平は、型破りな落語家であり、例えば、落語のネタを披露している最中、ネタが飛んでしまったりすると、

「どーも、すみません」

と言って、頭を掻いて謝ってしまう仕草が大ウケし、以後、それは林家三平の定番の「持ちネタ」となって行った。

そして、林家三平「昭和の爆笑王」と称されるほど、大人気の落語家となって行ったが、

その林家三平の持ちネタの一つだったのが、「ヨシコさん」である。

林家三平は、落語に詰まってしまうと、

「どーも、すみません」「(※頭にゲンコツを当てて)こうやったら、笑って下さい」「ゆうべ寝ないで考えたんですから…」「このネタの、何処が面白いのかと言いますと…」

などと言って、本来の落語のネタよりも、合間合間のギャグで、客席を大爆笑させていたが、

何の脈絡も無く、いきなり「ヨシコさん…」などと言って、歌い始める事が有った。

桑田佳祐は、「林家三平師匠が、いきなり、ヨシコさん…と言って、歌い始めるのが、凄くインパクトが有った」と語っており、

それが『ヨシ子さん』の由来になったと、後に語っている。

というわけで、桑田佳祐『ヨシ子さん』の元ネタになったのは、「昭和の爆笑王」林家三平のギャグであった。

 

<視聴者にも絶大なインパクトを与えた『ヨシ子さん』…サザンや桑田佳祐のバック・ダンサーを務める佐藤郁実が、ぶっ飛んだメイクで登場>

 

 

 

 

さて、そんな桑田佳祐の新曲『ヨシ子さん』であるが、

『ヨシ子さん』は、タモリが司会を務める「ミュージックステーション」をはじめ、数々の音楽番組で披露され、視聴者に絶大なインパクトを残した。

桑田は、当代一の人気グループ、AKB48と「Mステ」で共演した際に、『ヨシ子さん』の見所を語っていたが、「AKB48」のメンバー達も、興味津々な様子(?)であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、サザンや桑田佳祐の楽曲で、バックダンサーを務めている、佐藤郁実という人が居るが、

佐藤郁実は、桑田佳祐と同郷の茅ヶ崎出身のダンサーであり、

2009(平成22)年の「桑田佳祐の音楽寅さん」の第2期以来、サザンや桑田と数多く共演している。

以後、サザンや桑田のライブでは欠かせない人であるが、彼女はバックダンサーのリーダー的存在であり、

桑田が、自分や他のダンサーの「セクハラ」(?)をしそうになると、舞台上で桑田に厳重注意を与える(?)という役割も任されている。

佐藤郁実は、ご覧の通りの美人であり、

「何か、この人、見た事有るな」

という方も、多いのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

その美人ダンサー・佐藤郁実が、『ヨシ子さん』のMV、そして音楽番組やライブでは、顔を白塗りにして、目の周りに真っ黒な縁取りをして、芸者のような鬘を被るという、何とも異様で、ぶっ飛んだ衣装で登場し、視聴者の度肝を抜いた。

そして、『ヨシ子さん』が歌われる時、様々な格好をした、沢山のバックダンサーが登場し、桑田の周りで踊っていたが、

それは、何とも強烈なインパクトが有った。

そして、「売れ線」は完全に無視した楽曲と思われた『ヨシ子さん』は、その異様なインパクトがウケて、大ヒットしてしまうのである。

 

 

 

そして、「Mステ」で桑田佳祐と共演した、AKB48のエース・指原莉乃も、

桑田佳祐の『ヨシ子さん』の異様な迫力に、釘付けになっていた(?)が、

「Mステ」のエンディングで、桑田佳祐はドサクサに紛れ(?)、指原莉乃の肩を抱くというパフォーマンス(?)をしていたが、今回は異様な格好をしていた佐藤郁実も、ツッコミには現れなかった。

 

<「SKE48」の柴田亜弥と、柴田亜弥の弟で、法政野球部で活躍した柴田圭輝~「柴田姉弟」の絆>

 

 

 

ところで、この頃、法政野球部のファンであれば、誰もが知っている、ある「有名姉弟」が活躍していた。

それは、「SKE48」のメンバーとして活躍していた柴田亜弥と、

柴田亜弥の弟で、法政野球部で活躍していた柴田圭輝という「柴田姉弟」である。

姉・柴田亜弥は1993(平成5)年4月1日生まれ、

弟・柴田圭輝は1994(平成6)年7月11日生まれという、

1歳違いの「柴田姉弟」は、愛知県・名古屋市の出身である。

柴田阿弥は、当時17歳だった2010(平成22)年から、「SKE48」のメンバーとして活躍し、

柴田圭輝は、名門・東邦高校を経て、2013(平成25)年に法政大学に入学し、法政野球部に入った。

 

 

 

その柴田圭輝は、高校時代は捕手だったが、法政時代に内野手に転向し、

柴田は3年生の時の2015(平成27)年から、法政のレギュラーを獲得した。

この頃から、「柴田って、SKE48の柴田亜弥の弟らしいぞ」という事が、法政野球部ファンの間でも、そろそろ話題になっており、

柴田亜弥も、「弟が、法政野球部で頑張っている」という事を、SNSなどで、度々、話題にするようになっていた。

 

 

 

 

そして、2016(平成28)年、遂に柴田阿弥が、弟・柴田圭輝を応援するため、遂に神宮球場に、法政の試合観戦に訪れた。

「法政の4番バッター・柴田圭輝の姉が、あのSKE48の柴田亜弥だった!!」

という事で、大いに話題になったが、法政の4番打者の姉が現役アイドルというのは、確かに、なかなか無い事である。

それはともかく、柴田亜弥は、法政のメンバーとして活躍する、弟・柴田圭輝の事を、誇らしげに応援していた。

なお、柴田圭輝が法政に在学していた時代(2013~2016年)、残念ながら、法政は1度も優勝していない。

2016(平成28)年、柴田阿弥は「SKE48」を卒業し、セント・フォースに所属するフリー・アナウンサーとなり、

同年(2016年)度で法政を卒業した柴田圭輝は、東邦ガスに入社し、社会人野球を続けている。

「柴田が居る間に、法政が優勝して欲しかったな…」

と、私はつくづく残念であった。

だが、「柴田姉弟」が、今もそれぞれの分野で活躍し、お互いに切磋琢磨しながら頑張っているというのは、実に嬉しい限りである。

 

<2016(平成28)年…広島東洋カープが25年振り優勝~2000(平成12)年の桑田佳祐『Give CARP A CHANCE』に込められた思いとは!?>

 

 

かつて、ジョン・レノンが歌った『Give Peace A Chance』という曲が有った。

これは、ジョン・レノンが「世界平和」への願いを込めて歌った曲であるが、

かつて、桑田佳祐が、この曲のパロディとして、ある曲を歌った事が有る。

それは、広島東洋カープをテーマにした楽曲である。

 

 

1991(平成3)年、山本浩二監督率いる広島東洋カープは、5年振り6度目の優勝を達成した。

この年(1991年)の広島の優勝メンバーは、投手陣では北別府学・川口和久・佐々岡真司・大野豊…らであり、野手陣は野村謙二郎・正田耕三・前田智徳・江藤智・小早川毅彦・西田真二・達川光男…などであったが、

この年(1991年)の優勝を最後に、広島は長い低迷期に突入してしまう。

それは、1993(平成5)年シーズンオフに「FA(フリー・エージェント)制」が導入され、他球団に比べて資金力が無かった広島は、主力選手を次々に他球団に引き抜かれ、どんどん弱体化して行ってしまったからである。

 

 

 

この「FA制度」を最大限に利用したのが、圧倒的な資金力を持つ、巨人だった。

巨人は、他球団から次々に主力選手を「FA」で搔き集め、1995(平成7)年に川口和久、2000(平成12)年に江藤智と、広島の主力選手も、次々に獲得して行った。

お金が無い広島は、主力選手が「金満球団」巨人に引き抜かれて行くのを、指を咥えて見ているしか無かった。

 

 

 

 

2000(平成12)年、長嶋巨人は、圧倒的な戦力を擁し、見事に「日本一」になったが、

同年(2000年)の「桑田佳祐の音楽寅さん」で、桑田佳祐は、ジョン・レノン『Give Peace A Chance』をもじって、

『Give CARP A Chance(カープにもチャンスを下さい)』というパロディ・ソングを歌い、

「お金で、他球団の選手を強奪する巨人」を、強烈に皮肉って見せた。

歌詞はご覧の通りであるが、巨人ファンの徳光和夫も登場し、

「そんな事は無いぞ!!」

と、必死に否定する役回りだったが、それが何とも滑稽に見えた。

 

 

 

 

その後も、広島からの主力選手の「流出」は止まらなかった。

2003(平成15)年、金本知憲が広島から阪神へ、

2008(平成20)年、新井貴浩が広島から阪神へ、

2014(平成26)年、大竹寛が広島から巨人へ、

皆それぞれ、「FA」で主力が次々に出て行ってしまった。

確かに、巨人も資金力で、他球団の主力を次々に引き抜いていたが、それは阪神も同じであり、

結局、広島にはお金が無いので、主力選手が「FA宣言」してしまうと、引き留める術(すべ)は無かったのである。

こうして、広島は1991(平成3)年を最後に、実に25年もの間、優勝から遠ざかっていた。

 

 

 

しかし、2014(平成26)年シーズンオフ、大きく「潮目」が変わる出来事が有った。

広島からメジャーリーグに移籍していた黒田博樹と、広島から阪神へ移籍していた新井貴浩が、

それぞれ8年振りに、広島に「復帰」する事が決まったのである。

こうして、黒田博樹・新井貴浩という、かつてのカープの投打の主力が、8年振りに広島に帰って来た。

 

 

 

そして、2016(平成28)年9月10日、

緒方孝市監督率いる広島東洋カープは、遂に25年振りの優勝を達成した。

しかも、かつて散々、煮え湯を飲まされて来た、巨人の本拠地・東京ドームの巨人-広島戦で、広島が6-4で巨人を破っての、広島優勝決定であった。

桑田佳祐が、2000(平成12)年に『Give CARP A Chance』を歌い、広島ファンの憤懣やる方ない思いを代弁してからも、16年の月日が流れていたが、その間、地道にチームを強化して来た広島が、遂に25年振りの優勝を成し遂げたのである。

それは、実に感動的な出来事であった。

 

(つづく)