サザンオールスターズと野球界の40年⑲~1996年『愛の言霊』とメークドラマとオリックス日本一~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

サザンオールスターズは、1995(平成7)年、2年振りにバンド活動を再開し、

ヒット曲を連発し、更にベストアルバム『Happy!』をリリース、

そして、サザン史上最大となる野外ライブ「ホタル・カリフォルニア」を大成功させるなど、サザンは精力的に活動した。

 

 

1996(平成8)年、サザンオールスターズは、名曲『愛の言霊~Spiritual Message』をリリースするなど、

またもや大活躍の1年を過ごす事となったが、その1996(平成8)年のサザンと、

「CDメガヒット時代」を迎えた音楽界、そして、長嶋巨人「メークドラマ」と、オリックスブルーウェーブの日本一に沸いた1年を、描いてみる事としたい。

 

<1996(平成8)年…「CDメガヒット時代」の真っ只中、デビュー18周年を迎えるサザン>

 

 

前年(1995年)、CDシングルで28曲もミリオンセラーが誕生し、音楽界は「CDメガヒット時代」に沸き立っていた。

そんな中、サザンも大ヒット曲を連発し、ヒットチャートで健闘していたが、1996(平成8)年2月、サザンオールスターズ原由子が音楽雑誌「WHAT's IN?」の表紙を飾った時、当時の「CDメガヒット時代」の主役達の名前が、ズラリと並べられていた。

サザンは、「CDメガヒット時代」の真っ只中で、第一線のアーティストとして、デビュー18周年を迎えていた。

 

<1996(平成8)年5月20日…サザン37枚目のシングル『愛の言霊~Spiritual Message』リリース!!~日本テレビのドラマ『透明人間』(主演:香取慎吾)の主題歌に起用され、ミリオンセラーの大ヒット!!>

 

 

1996(平成8)年5月20日、サザンオールスターズは、通算37枚目のシングル『愛の言霊~Spiritual Message』をリリースした。

『愛の言霊~Spiritual Message』は、1990年代のサザンを代表する名曲であり、オリコン最高1位、年間7位、ミリオンセラーを超える大ヒットを記録したが、サザンにとっては、前作『あなただけを~Summer Heart break』に続く、2曲連続のミリオンセラーである。

 

 

なお、『愛の言霊~Spiritual Message』は、当時、人気絶頂だったSMAPの、香取慎吾が主演した、

日本テレビのドラマ『透明人間』の主題歌に起用されたが、その事も、大ヒットの要因となった事は間違いないが、

『愛の言霊~Spiritual Message』を聴くと、『透明人間』を思い出す人も多いのではないだろうか。

 

<『愛の言霊~Spiritual Message』の、深遠なる歌詞の世界…「文学的」「哲学的」な、桑田佳祐の詞が冴え渡る>

 

 

『愛の言霊~Spiritual Message』は、

桑田佳祐が書いた詞が、とにかく素晴らしい。

「文学的」「哲学的」であり、凡百のアーティストが束になっても敵わないような、凄味が有る。

私は、『愛の言霊~Spiritual Message』の詞を読んで、

改めて、「桑田佳祐という人は、天才だ!!」と思ったものであるが、

その歌詞については、別の機会にでも、改めてご紹介させて頂く事としたい。

 

<『愛の言霊~Spiritual Message』のカップリング『恋のジャック・ナイフ』が、「キリンラガービール」の主題歌に~ロン毛に茶髪でイメチェン(?)した、1996(平成8)年の桑田佳祐~サザンのメンバー全員が四十路に突入>

 

 

『愛の言霊~Spiritual Message』のカップリング曲『恋のジャック・ナイフ』は、

「キリンラガービール」のCMソングに起用され、サザンのメンバー達が、自ら出演し、話題になった。

そして、1996(平成8)年の桑田佳祐は、ロン毛に茶髪でイメチェン(?)をしていたが、

桑田は、デビュー当時以来、10数年振りのロン毛を披露した。

なお、この年(1996年)、桑田佳祐、原由子をはじめ、サザンのメンバー達は全員、四十路に突入したが、

40代を迎えても、桑田とサザンは、ますますパワー全開であった。

 

<『胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ』(アルバム『Yong Love』の収録曲)が、「キャデラック」のCMソングに~歌詞の中に「キャデラック」も登場>

 

 

 

この年(1996年)のサザンは、4年振りとなるオリジナル・アルバム『Yonug Love』の制作に励んでいたが、

そんな中、『Young Love』の収録曲『胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ』が、「キャデラック」という車のCMソングに起用され、桑田佳祐が自らCMに出演した。

なお、『胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ』は、歌詞の中に「キャデラック」が登場しているが、曲の中に「商品名」がそのまま登場するというのは、桑田とサザンの曲では初めての事であった。

 

 

1992(平成4)年の『世に万葉の花が咲くなり』以来となる、サザン4年振りのオリジナル・アルバムのリリースに、

サザンファンは、期待を「胸いっぱい」に膨らませていたが、サザンはその期待に応え、『Young Love』という、本当に素晴らしいアルバムをリリースする事となるわけである。

 

<1996(平成18)年6月25日…サザンのデビュー18周年の日に、サザン38枚目のシングル『太陽は罪な奴』リリース!!>

 

 

1996(平成8)年6月25日、サザンオールスターズはデビュー18周年を迎えた日に、

通算38枚目のシングル『太陽は罪な奴』をリリースし、オリコン最高4位を記録した。

 

 

 

『太陽は罪な奴』は、「夏、空、太陽」という、サザンのパブリック・イメージを体現したような曲であり、

『恋のジャック・ナイフ』同様、『太陽は罪な奴』は、サザン本人が出演する、「キリンラガービール」のCMソングに起用された。

この年(1996年)も、やっぱり日本の夏の主役は、サザンオールスターズであった。

 

<1996(平成8)年7月20日…サザン4年振りのオリジナル・アルバム『Young Love』リリース!!~ダブル・ミリオン(249万枚)の大ヒット!!>

 

 

 

1996(平成8)年7月20日、サザンオールスターズは4年振りのオリジナル・アルバム『Young Love』をリリースしたが、

『Young Love』は、ダブル・ミリオン(249万枚)という大ヒットを記録した。

これは、サザンのオリジナル・アルバムとしては、史上最大のヒットとして、今もなお破られていない記録である。

 

 

『Young Love』は、桑田佳祐やサザンのメンバー達の音楽的ルーツとなった、1960~1970年代の洋楽のエッセンスを沢山盛り込み、何処か懐かしい匂いも有りつつ、それを現代的なサウンドに昇華させている、素晴らしい名盤であり、私も大好きなアルバムである。

スペースの都合上、今回は詳しくはご紹介出来ないが、別途、改めて『Young Love』の素晴らしさについては、お伝えさせて頂く事としたい。

 

<1996(平成8)年8月4日~10月12日…サザンのスタジアム・ツアー「ザ・ガールズ万座ビーチ」開催!!~17年振りに沖縄でのコンサートを開催し、沖縄をテーマにした『平和の琉歌』も披露>

 

 

 

1996(平成8)年8月4日~10月12日にかけて、サザンはスタジアム・ツアー「ザ・ガールズ万座ビーチ」を開催した。

「ザ・ガールズ万座ビーチ」は、1979(昭和54)年の「春五十番コンサート」以来、サザン史上17年振りとなる、沖縄でのコンサート開催(1996年10月2~3日)を記念し、それに因んで、ツアータイトルが決められたとの事である。

 

 

 

 

「ザ・ガールズ万座ビーチ」では、西武球場、ナゴヤ球場、甲子園球場、横浜スタジアムなど、

各地の大規模な会場で開催されたが、どの会場も超満員であり、改めてサザン人気の健在ぶりを見せ付けた。

私も、西武球場でのライブを見に行ったが、やはり生で見るサザンのコンサートの迫力は、格別であった。

 

 

なお、「ザ・ガールズ万座ビーチ」では、コンサート限定で、沖縄をテーマとした楽曲『平和の琉歌』が披露されたが、

この曲は、翌1997(平成9)年に、改めてリリースされている。

『平和の琉歌』は、戦争を経験した、沖縄という地の歴史と、沖縄の平和への願いが込められた、素晴らしい曲である。

 

<1996(平成8)年12月31日~1997(平成9)年1月1日…横浜アリーナで、サザンの年越しライブ「牛」が開催!!~サプライズゲストで、ウッチャンナンチャン・内村光良が登場!!~後年(2018年)の紅白歌合戦の、内村×サザンの共演の「伏線」に!?>

 

 

1996(平成8)年12月31日~1997(平成9)年1月1日、サザンは横浜アリーナで年越しライブ「牛」を開催した。

これは、勿論、翌1997(平成9)年の干支が丑年である事に因んだタイトルである(※というか、何の捻りも無く、そのまんまである)

 

 

 

この年越しライブでは、サプライズ演出が用意されていた。

それは、何と桑田佳祐からの依頼で、ウッチャンナンチャン内村光良が、

サプライズゲストとして、ステージに登場するというものである。

 

 

 

 

内村光良は、元々、サザンの大ファンだったが、桑田からの依頼は、思ってもいなかった事であった。

そして、桑田曰く、「忍者ハットリくん」にソックリだという、原由子に化けて、

内村は、「忍者ハットリくん」のお面を付けて、ステージに登場する事となった。

なお、この日のライブには、原由子の実家の原家の人達も、バックダンサー(?)として登場していたが、内村も、そこに紛れて登場する事となった。

 

 

 

 

そして、桑田が内村の事を紹介すると、会場は大盛り上がりとなり、大歓声が起こった。

実は、このサプライズは、サザンの中では桑田しか知らず、原由子や他のメンバーも、内村の登場にはビックリしていた。

 

 

 

 

 

 

その後、内村は何故か、カーテンコールまでサザンと一緒に行動し、

内村は、ちゃっかりサザンと共に歓声を浴びていたが、念願のサザンとの共演に、内村は実に嬉しそうな様子であった。

そして、桑田佳祐原由子らも、内村の登場にはかなり喜んでいた。

 

 

そして、後年、2018(平成30)年のNHK「第69回NHK紅白歌合戦」で、内村光良が司会で、内村とサザンは22年振りに「共演」を果たしたが、

思えば、この年(1996年)の年越しライブが、22年後の「紅白」の伏線になっていたという言い方も出来る。

誠に、ウッチャンとサザンの縁というのは、実に面白いもであると、私は思った。

 

<1996(平成8)年のヒット曲ランキング…高校時代の私の「思い出の曲」がズラリ>

 

 

 

 

1996(平成8)年のヒット曲ランキングは、ご覧の通りであるが、

前述のサザンの『愛の言霊~Spiritual Message』は勿論、印象深い名曲ばかりである。

当時、私は高校生だったのだが、これらの曲を聴くと、当時の事がありありと思い出される。

まさに、私にとっての「思い出の曲」ばかりである。

 

<ミスチル(Mr.Childeren)の『名もなき詩』が大ヒット!!~発売1週間でミリオンセラー突破>

 

 

 

 

この年(1996年)の、年間ヒットチャートの頂点に輝いたのが、

当時、人気絶頂のミスチル(Mr.Childeren)がリリースした、『名もなき詩』である。

『名もなき詩』は、発売1週間でミリオンセラーを突破し、最終的には230万枚を売り上げる、大ヒットとなった。

流石は、桑田佳祐「50年に1人の天才」と絶賛しただけあって、桜井和寿は本当に素晴らしい曲を書くものだと、私も感心していたものである。

 

<「小室ファミリー」の快進撃①…1995(平成7)年、trf『Overnighe Sensation~時代はあなたに委ねてる~』がレコード大賞受賞~1995(平成7)~1996(平成8)年にかけて、天下を取った小室哲哉>

 

 

1995(平成7)年、小室哲哉プロデュースのユニット、trfは、大ヒットを連発していたが、

trfはこの年(1995年)、『Overnighe Sensation~時代はあなたに委ねてる~』で日本レコード大賞を受賞した。

 

 

翌1996(平成8)年も、「小室ファミリー」の快進撃は続き、

1996(平成8)年4月15日には、「小室ファミリー」がオリコン1~5位を独占するという快挙を達成した。

まさに、小室哲哉はこの頃、天下無双の無敵状態であった。

 

<「小室ファミリー」の快進撃②…小室哲哉の「恋人」華原朋美が大ヒットを連発!!~現代のシンデレラ・ガール「朋ちゃん」の時代到来>

 

 

 

 

 

当時、「小室ファミリー」の象徴的存在だったのが、「朋ちゃん」こと華原朋美である。

小室哲哉は、無名のアイドルだった華原朋美「発掘」し、楽曲提供して音楽プロデュースする一方、

小室は華原朋美「恋人」として交際し、公私共に、2人は親密な関係にあった。

 

 

 

1996(平成8)年に大ヒットした、『I'm proud』という曲は、「朋ちゃん」の代表曲となったが、

まさに、この頃の彼女は、幸せの絶頂だったのではないだろうか。

しかし、その後、華原朋美は波乱の生涯を送る事となった。

 

<「小室ファミリー」の快進撃③…globeがデビューし、『DEPARTUES』が大ヒット!!>

 

 

1995(平成7)年8月、小室哲哉自身も参加するユニット、globeがデビューしたが、

1996(平成8)年1月1日にリリースした、globeの4枚目のシングル『DEPARTUES』が、230万枚という大ヒットを記録した。

globeは、KEIKO、マーク・パンサー、小室哲哉から成るユニットであり、大ヒットを連発して行く事となったが、

小室とKEIKOは、親密さを増して行き、それに心穏やかでなかったのが、あの「朋ちゃん」であった。

それはともかく、小室はダイヤの原石を次々に見付けて来ては、それをピカピカに磨き上げて、あっという間にトップ・アーティストに仕立て上げる、「現代の錬金術師」であった事は間違い無い。

小室哲哉のプロデュース力が、超一流だったというのは、全く疑いの余地の無いところである。

 

<1995(平成7)~1996(平成8)年…安室奈美恵の時代到来!!~「アムラー」と「コギャル」の教祖・安室ちゃんの誕生>

 

 

 

1995(平成7)年、当時18歳の安室奈美恵は、『TRY ME~私を信じて』『太陽のSEASON』を立て続けに大ヒットさせ、

それまで、あまり売れないアイドルだった安室奈美恵は、遂にブレイクを果たした(※この2曲では、安室はまだスーパー・モンキーズを後ろに従えて)。

 

 

 

安室奈美恵は、次の『Body Feels EXIT』から、小室哲哉プロデュースを受け、ソロとして活動する事となったが、

安室奈美恵は、小室プロデュースによる『Body Feels EXIT』も着実にヒットさせ、安室の快進撃はなおも続いた。

 

 

 

そして、同年(1995年)、安室奈美恵『Chase the Chance』で、遂にミリオンセラーを記録した。

つい1年前までとは環境が激変し、安室奈美恵は、あっという間に時代の寵児となっていた。

 

 

 

1996(平成8)年も、安室奈美恵『Don't wanna cry』、『SWEET 19 BLUES』など、引き続き小室プロデュースにより、大ヒットを連発した。

しかし、安室奈美恵は「小室ファミリー」というよりも、1人のアーティストとして、独特の存在感が有り、「小室ファミリー」の枠には収まらないような個性が有った。

 

 

なお、安室奈美恵『Don't wanna cry』で、史上最年少の18歳で、日本レコード大賞を受賞した。

小室哲哉にとっては、前年(1995年)のtrfに続き、「2連覇」となったが、安室は名実共に、音楽界の頂点にまで駆け上がった。

 

 

 

 

当時、可愛くて、顔が小さくて、歌が上手くてダンスも上手い「安室ちゃん」は、

10代の女の子達の、憧れの的となっていた。

そして、そんな安室奈美恵に憧れ、そのファッションを真似する、「アムラー」なる女の子達が、巷には大量に現れた。

 

 

 

また、この頃(1996年頃)は、ガングロにルーズソックスという、「コギャル」と称される女子中高生が、街を闊歩していた。

今思えば、何でこんなものが流行ったのかとも思うが、この子達は、私と同年代である。

それとはともかく、当時は10代の女の子達に大変元気が有り、新たな文化やムーブメントの担い手になっていたのは、間違い無い。

「小室サウンド」は、そんな時流に明らかに合っていた。

というより、「小室サウンド」こそが、新たな時代を作り出していたと言って良い。

 

<沖縄アクターズスクール出身のSPEEDがデビュー!!~歌って踊れる、スーパー小中学生グループ現る>

 

 

 

 

 

1996(平成8)年、安室奈美恵を生み出した、沖縄アクターズスクール出身の4人組、

SPEED(今井絵理子、島袋寛子、上原多香子、新垣仁絵)がデビューし、いきなり『Body&Soul』で大ヒットを飛ばした。

迫力の有る歌と、キレッキレのダンスを披露し、歌って踊れるSPEEDは、最年少の島袋寛子が12歳で、他の3人も中学生という、年端も行かない少女達であったが、そんな年齢は感じさせない、スーパー・グループであった。

こうして、SPEEDという新たなスターも誕生したのであった。

 

<奥田民生プロデュースのPUFFY『アジアの純真』が大ヒット!!自然体の2人組が大人気に>

 

 

 

 

1996(平成8)年、奥田民生がプロデュースした、PUFFY(大貫亜美、吉村由美)がデビューし、

Puffyのデビュー曲『アジアの純真』(作詞:井上陽水、作曲:奥田民生)がミリオンセラーの大ヒットとなった。

SPEEDとはまた異なった魅力が有り、全く自然体に見える、Puffyの2人組は、世間から好感を持って受け入れられたという事であろう。

 

<1996(平成8)年…長嶋巨人の「メークドラマ」と、オリックスの日本一>

 

 

1996(平成8)年、長嶋茂雄監督率いる巨人が、首位・広島東洋カープとの最大11.5ゲーム差を大逆転し、

長嶋巨人が劇的な大逆転優勝を果たし、長嶋監督が発した「メークドラマ」が、流行語となった。

 

 

しかし、日本シリーズでは、仰木彬監督率いるオリックスブルーウェーブが、巨人を4勝1敗と圧倒し、

オリックスが、阪急時代の1977(昭和52)年以来、19年振りの日本一の座に就いた。

巨人は、日本シリーズでは「ドラマ」どころか、見せ場を作れず、完敗に終わった。

 

(つづく)