「好きな物は好き!!」…サザンオールスターズとベイスターズと法政大学(東京六大学野球)と | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

現在、当ブログで、私はサザンオールスターズの歴史について描いているが、

私は、サザンを好きになったのは、中学生の頃、『涙のキッス』が大ヒットしていた頃だった。

 

 

私が描くサザン史は、現在、1990(平成2)年まで進んでおり、

もうすぐ、『涙のキッス』が流行った1992(平成4)年の事について、詳しく描く予定であるが、

私は、世代的には、サザンがデビューした頃の事は、リアルタイムでは体験していないし、『涙のキッス』がヒットしていた頃、サザンは既にベテランの域に達していた。

 

<「サザンが好き」と言うと、変わり者扱いされた!?中高生時代>

 

 

中学生ぐらいになると、段々と流行りの音楽に興味を持ち始め、その時のヒット曲を聴いたりする人は多いと思われるが、

私も、御多分に漏れず、音楽に興味を持つようになった。

そして、私は「冬彦さんブーム」を巻き起こした、TBSドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌であった、

サザンオールスターズ『涙のキッス』を聴き、一遍にサザンが気に入ってしまった。

それこそ、『涙のキッス』は、何百回、何千回聴いたかわからないぐらい、聴き込んでいた。

「サザンって、凄い!!」

私は、サザンに惚れ込み、そこから、少しずつサザンの過去の曲も、聴くようになった。

 

 

私は、昔のサザンの曲を聴くようになって、ますますサザンにハマって行った。

しかし、前述の通り、サザンというのは、私達の世代からは、少し年上の人達が聴くもの、というイメージが強かった。

従って、私が「サザンが好き」だと言うと、同級生達は「へー、変わってるね」という反応が多かったように思われる。

それよりも、もう少し年代が近い人達の曲を聴けば良いのに、というような反応も有った。

そんな時、私は「何で、サザンの良さがわからないんだろう…」と思い、戸惑ってしまった。

 

<高校時代…「小室ファミリー」の全盛期、ミスチル(Mr.Children)も大ブレイク…しかし、相変わらずサザンを追い掛ける私>

 

 

 

私の高校時代は、小室哲哉と、小室哲哉プロデュースの、所謂「小室ファミリー」が全盛期であり、

「小室ファミリー」の、ダンサブルな楽曲が、大ヒットを連発し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

そして、ミスチルことMr.Childrenも大ブレイクを果たし、ミスチルは当時の10代の少年少女のハートを鷲掴みにしていた。

勿論、私も小室ファミリーの曲や、ミスチルの曲は「良いな」と思って聴いてはいたが、

それよりも、やはり一番好きだったのは、相変わらずサザンだった。

 

高校時代も、サザンが好きだというと、「ふーん、そうなんだ…。何か変わってるね」と言われたり、

もっと酷い時は、「何で、サザンなんか聴いてるの?」などと言ってくる人も居た。

私は、「自分が、どんな音楽を聴こうと、勝手だろう」と思ったが、そんな事を言って来る人には反発しつつも、あまり反論はしなかった。

反論するのが面倒だという事も有ったが、当時は、まだ子供だったので、どのように反論すれば良いか、その語彙が無かったという言い方も出来るのではないだろうか。

 

 

ちなみに、私が高校時代を過ごした、1990年代中盤というのは、日本の音楽史上、最もCDが売れていた時代であり、カラオケが大ブームになった時代でもある。

前述の、小室ファミリーの楽曲も、カラオケで、多くの人達が歌いやすいような曲作りをされていたようであるが、

とにかく、当時は新譜のCDを競うように買っては、新しい曲を覚えて、それをカラオケで披露する、という事が一つのステータスになっていた。

勿論、私も友達とカラオケにはよく行ったが、あんまりサザンばかり歌うのも気が引けるので、一生懸命、サザン以外の曲を覚えて、それを歌ったりもしていた。

今思えば、私も空気を読んでいたという事かもしれないが、

「何で、自分が好きな物を、思いっきり好きと言ってはいけないのか?大好きなサザンの曲を、思いっきり歌ってはいけないのか?」

というような疑問が、少しずつ胸の内に湧き上がって来ていた。

 

 

そもそも、私は「流行ってるから、みんなが聴いてるから、自分も聴く」というような、主体性の無い姿勢は、まっぴら御免という性格であり、

自分で、「これが好き!!」という趣味を、自分なりに極めて行くのが、非常に好きである。

しかし、10代の頃は、どうにも、周りの同級生達は、「流行ってるから」という理由だけで、聴く音楽を選んでいるようにしか思えなかった。

流行っている物というのは、それだけ優れた要素が有るのは確かかもしれないが、それを主体的に選択するのではなく、

「みんなが好きだから、自分も」とか、何となく流されるのだけは嫌だと、私は思うようになった。

(※誤解の無いように一応言っておくと、私は小室ファミリーもミスチルも、素晴らしいと思っている。ただ、サザンの方がもっと好きだったという事である)

 

<大洋ファンを公言⇒「変わり者扱い」され、隠れ横浜ファンとなった私>

 

 

ところで、当ブログで再三書いている事ではあるが、私は幼少の頃は巨人ファンだったものの、

小学校の高学年の頃、突如、大洋ホエールズが好きになり、巨人ファンから大洋ファンに「転向」してしまったのだが、

中学生の頃、私は、自分が大洋ファンである事を公言していた。

しかし、当時の大洋は非常に弱く(というか、大洋というのは、元々、伝統的に弱い球団である)、

同級生には「何で、大洋なんて応援してるの?」「大洋なんて、弱いじゃん」という反応が返って来た。

 

 

「ほら、また始まった…」

私は、少々ウンザリしてしまった。

大体、人がどの球団を応援しようと、それこそ、人の勝手ではないか。

それなのに、やれ「あんな弱いチームを応援する人の気が知れない」だの、「変わってる」だの、

変わり者扱いする人の、何と多い事か。

今なら、そのように、いくらでも反論しようと思えば出来るのかもしれないが、

先程も書いた通り、10代の中学生の子供時分には、そもそも、そんなに語彙も無く、人生経験も無かったので、

私は言い返す事も出来ず、その内、本当に面倒臭くなってしまった。

 

 

高校生の頃、球団名は大洋ホエールズから横浜ベイスターズに変わっていたが、

私は、自分が野球好きである事は公言していたものの、また色々と言われるのが嫌で、自分が横浜ファンであるという事は、遂に公言しなかった。

言わば、「隠れ横浜ファン」として過ごしていたのだが、大体、自分が好きな球団を、何故、コソコソ隠さなければならないのかと、その事にも私はウンザリしていた。

今思えば、自分が変わり者扱いされる事が嫌で、それが面倒だったからかもしれない。

ともかく、自分が好きな物を、思いっきり好きといえない状況というのは、精神衛生上、良くないものである。

それでも、私は高校時代は、横浜スタジアムに、ベイスターズの試合を見るために何度も行ったし、「月刊ベイスターズ」で、同好の士を見付けたりしていた。

段々と、「自分が、ベイスターズを好きで何が悪い!?」という気持ちになっていた。

 

<東京六大学への進学を目指す!!…誰が何と言おうと東京六大学に入り、東京六大学野球を応援すると決意した私>

 

 

高校時代は、その後の私の人生を大きく左右する出来事も有った。

当時、私は某大学の付属高校に通っていたのであるが、高校2年生の終わり頃、そのままエスカレーター式で、その大学に進学するのか、

それとも、外部の大学を受験するのか、決めなければならない。

しかし、私は初めから、その大学に進むつもりは、全く無かった。

私は、「絶対に、東京六大学に行く!!」と、固く決めていたのである。

 

しかし、大学受験というのは、なかなか大変な事であるし、

現に、私の同級生達も、大半が、そのままエスカレーター式で大学に進む事を選択していた(その方が、圧倒的に楽だった)。

しかし、私はその大学へ進む事を蹴って、外部受験を選択した。

「お前、せっかくそのまま大学に行けるのに…」「何で、わざわざ大変な道を選ぶの?」

と言ってくる人も居たが、もう私の人生を、誰かに合わせるのは、まっぴら御免であり、

大袈裟に言えば、「人が何と言おうと、自分の人生は、自分で決める!!」と、この時、私は決意していた。

 

 

では、何故、そんなに東京六大学への進学にこだわったのかと言えば、

これも、再三、当ブログに書いてきた事ではあるが、当時、私は既に東京六大学野球が大好きであり、

「絶対に、東京六大学に入って、東京六大学野球を、母校として応援したい」

と、熱望していたからである。

つまり、私は大学に入ってから、東京六大学野球が好きになったのではなく、最初から、東京六大学野球を応援するために、東京六大学に入りたいと思っていたのであった。

当時、私の第一志望は早稲田で、最低でも明治か法政には入りたいと思っていたが、その結果、縁有って、私は法政大学に入る事になった。

もし、高校2年の時に、周りに流されていたら、私は法政に入る事も無かったし、全く違った人生を歩んでだろうし、今、こんなブログも書いていなかったであろう。

ともかく、私はこの時、「周りが何と言おうと、自分の行きたい道を進む」という事の大切さを学んだ。

人生、人の顔色を伺っていても、何も良い事は無い。やはり、自分が信じた道を進むべきである。自分で選択した道を進んだ方が、その後、どのような結果になろうと、自分が納得出来るのではないだろうか。

 

<サザンもベイスターズも東京六大学野球も法政大学も大好き!!それは「好きな物は好き」だから>

 

 

 

 

法政大学に入った後、私は、複数の大学の学生達によって結成されている、横浜ベイスターズの応援サークルに入り、

そこで、生まれて初めて、思いっきりベイスターズを応援する事が出来た。

「自分が好きなチームを、思いっきり応援出来る」という事が、こんなに楽しいとは思わなかったが、

お陰様で、楽しい学生生活を送る事が出来たし、当ブログにしばしば登場して頂いている、Aさん(奧さんは、日ハムファンのBさん)とも、このサークルで知り合う事が出来て、未だに付き合いが続いている。

 

また、今はインターネットが発達し、SNSも有るので、同好の士を見付ける事は、昔よりも難しくなくなった。

そして、ブログでも、自分が好きな事を、思いっきり発信する事が出来る。

つくづく、良い時代になったものである。

 

 

東京六大学野球については、プロ野球や高校野球に比べると、ファンの数は少なく、ちょっとマニアックかもしれないが、

それでも、「好きな物は好き!!」と、私は胸を張って言いたい気持ちである。

そう、自分が好きな物は、誰が何と言おうと、その事が好きであるという気持ちには、誇りを持って行きたい。

もし、かつての私のように、好きな物を好きと言えなくて、悩んでいるような方が居るとすれば、

そんな事は気にせず、「好きな物は好き!!」という気持ちを大切にして欲しいと、私は思う。

 

最後に、受験生の頃は第一志望ではなかった法政大学は、勿論、今では大好きであり、

サザンとベイスターズと法政大学は、私の人生の根幹を成すものであると、私は思っている次第である。