南海キャンディーズは、一時、「山ちゃん」こと山里亮太と、「しずちゃん」こと山崎静代が、
ほぼ修復不可能と思われたほど、関係が悪化し、コンビとしては、事実上、解散状態に追い込まれていた。
しかし、しずちゃんのボクシング挑戦と、山里が日本テレビ「スッキリ」の「天の声」への抜擢をキッカケに、売れっ子になったのを機に、南海キャンディーズに、「和解」の兆候が見え始めていた。
今回は、山里亮太と山崎静代(以下、しずちゃん)の「歴史的和解」と、南海キャンディーズがコンビとして「再生」し、再び活動を始めた経緯、そして、しずちゃんの紹介により、山里と蒼井優が出会った頃の事について、描いてみる事としたい。
(※今回も、昨年(2018年)末に南海キャンディーズが出演した「しくじり先生」を元に、その経緯を描く事とする)
<山里亮太の大活躍と、しずちゃんのボクシング引退…そして、南海キャンディーズ「再生」への道>
2009(平成21)年、山里亮太は、日本テレビ「スッキリ」の「天の声」に抜擢され、好評を博したのを機に、
一気にテレビ出演の量が激増し、以後、「超売れっ子」の階段を駆け上がって行った。
山里は、所謂「非モテ」のキャラで、「ブサイク芸人」などとも言われたが、
山里が売れた最大の理由は、その頭の回転の速さと、どんな場面でも当意即妙なやり取りが出来るという、芸人やタレントとしての、ポテンシャルの高さである事は間違い無い。
また、2010(平成22)年には、現在まで続く、TBSラジオの「山里亮太の不毛な議論」というレギュラー番組も始まった。
この番組では、山里は、自らの劣等感やコンプレックス、そして、人に対する妬みや嫉みなども、包み隠さず話したが、
その本音トークが、多くのリスナー達から、圧倒的な支持を集めた。
そして、後にこの番組が、山里としずちゃんの「和解」において、重要な役割を果たす事となった。
そして、山里が漸く、芸能界で「売れっ子」になった事も有り、
山里にも精神的な余裕が出て来て、この頃には、山里のしずちゃんに対する態度も和らいで行ったという。
後に、南海キャンディーズが出演した「しくりじり先生」で、しずちゃんが明かした所によると、
それまでは、南海キャンディーズの2人が楽屋に居ても、山里はしずちゃんに「雑談すら許さない状態にしていた」との事だが、山里が売れた事により、「山ちゃんに余裕ができたから、優しくなった」との事である。
一方、しずちゃんの方は、本気でボクシングに挑戦し、ロンドンオリンピック出場を目指していたものの、それは叶わなかった。
しかし、その後も、しずちゃんのボクシング挑戦は続き、なおも、しずちゃんのボクシング挑戦は、マスコミの大きな注目を集めた。
そして、南海キャンディーズは、コンビとしての表立った活動こそ無かったものの、山里もしずちゃんも、それぞれ、自分の居場所で輝く事が出来るようになったため、2人に、徐々に心境の変化が表れるようになって行った。
2015(平成27)年10月19日、しずちゃんは「ボクシング引退」を発表した。
しずちゃんは、ボクシング引退を発表する記者会見の席上で、涙ながらに、
「ボクシングに挑戦していなかったら、今の私は無かった」と語り、ボクシングに挑戦して本当に良かったと話していたが、
それと同時に、「これからは、コンビとして、また活動して行きたい」と、久し振りに、公の場で南海キャンディーズとしての活動に触れた。
この頃には、しずちゃんも、長年、共演NGにしていた山里への感情が和らぎ、また南海キャンディーズとして活動を再開したいという気持ちに傾いていたようである。
あとは、山里が、しずちゃんの気持ちをどのように受け止めるかにかかっていたと言って良い。
<2015(平成27)年12月16日…TBSラジオ「山里亮太の不毛な議論」で、遂に山里としずちゃんが「歴史的和解」!!…南海キャンディーズが、再びコンビとして歩み始める>
2015(平成27)年12月16日、山里のラジオでのレギュラー番組である、TBSラジオ「山里亮太の不毛な議論」に、
しずちゃんが、中継での出演という形で、ゲストで登場した。
そこで、山里としずちゃんの2人は、初めて、長時間にわたり、本音で語り合った。
結成時の思い出や、2人とも相手に対し、心を閉ざしてしまった事など、お互いの思いを、赤裸々に話した。
そして、この日を境に、山里としずちゃんの2人は、遂に「歴史的和解」を果たした。
南海キャンディーズは、再び、コンビとして活動する事を決め、翌年(2016年)の「M-1グランプリ」に挑戦する事となった。
「M-1グランプリ」は、南海キャンディーズが世に出るキッカケとなった番組であり、山里としずちゃんは、再びコンビとしての原点に帰る事を決めたのである。
<2016(平成28)年、南海キャンディーズが「M-1グランプリ」に出場!!…準決勝敗退に終わるも、コンビとしての絆を取り戻す>
そこから、南海キャンディーズは1年がかりで、2016(平成28)年の「M-1グランプリ」出場を目指した。
南海キャンディーズは、共演NGだった「失われた5年間」を取り戻すかのように、泥臭く、漫才コンビとしての活動を行ない、
「M-1グランプリ」の決勝進出を目指して、必死に戦っていた。
こうして、南海キャンディーズは2016(平成28)年の「M-1グランプリ」に出場した。
これは、南海キャンディーズにとって、6年振りの「M-1グランプリ」出場であり、大きな話題を集めたが、
結果は、残念ながら決勝進出は成らず、南海キャンディーズは惜しくも準決勝敗退に終わった。
この結果に、しずちゃんは号泣したが、「それまで、お笑いに真剣に向き合っていなかった。芸もやっていないのに、芸人って言えるのかと、ずっと悩んでいた」しずちゃんにとって、初めて、お笑い芸人として真剣に向き合ったのが、この時の「M-1グランプリ」であった。
惜しくも準決勝敗退という結果には終わったが、南海キャンディーズにとって、この時の挑戦は、それ以上に価値有るものであった。
<2018(平成30)年2月16~17日…南海キャンディーズ、初の単独ライブ「他力本願」を開催!!>
2018(平成30)年2月16~17日、南海キャンディーズは、デビュー16年目にして、初めての単独ライブ「他力本願」を開催した。
この単独ライブは、大盛況となり、南海キャンディーズにとって、記念すべき出来事となったが、
何よりも、山里としずちゃんの2人は、本当に楽しそうな様子であり、2人が心から、このライブを楽しんでいる事が伝わって来るようであった。
ちなみに、この単独ライブの楽屋で、しずちゃんは山里に話しかけられたが、
その時の言葉は「犬ってかわいいよね」であったという。
それまで、南海キャンディーズは、楽屋で雑談すら出来ない雰囲気だったので、それだけに、山里との「雑談」は、しずちゃんの印象に強く残った。
そして、しずちゃんは「山ちゃんの横に居て、こんなに楽しかったのは初めてだった」と語っている。
<蒼井優、山田洋次監督の『東京家族』『家族はつらいよ』のシリーズに出演…「山田洋次ファミリー」の一員に>
蒼井優は、2013(平成25)年に、山田洋次監督の『東京家族』に出演した。
『東京家族』は、1953(昭和28)年に公開された、小津安二郎監督の名作映画『東京物語』のリメイク的な作品であり、山田洋次監督が、小津安二郎にオマージュを捧げた映画である。
蒼井優は、『東京物語』で、伝説の大女優・原節子が演じたのと同じ位置付けの役を演じた。
広島から訪ねて来た老夫婦を、東京に暮らす息子や娘達がもてなすが、皆、それぞれに生活が有り、やがて、老夫婦は居づらくなってしまう…というような内容であるが、蒼井優は、橋爪功・吉行和子演じる夫婦の次男・妻夫木聡の恋人という役であり、血の繋がりの無い老夫婦に、最も優しく接するという存在であったが、原節子同様、とても重要な役柄を、蒼井優は見事に演じ切っていた。
なお、『東京家族』が好評だったのを受けて、山田洋次監督は、『東京家族』と同じキャストで、
『家族はつらいよ』(2016年)、『家族はつらいよ2』(2017年)という映画を撮っている。
蒼井優は、すっかり「山田洋次ファミリー」の一員となったようである。
(※『東京家族』『家族はつらいよ』シリーズの主要な出演者は、橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優)
<山里亮太と蒼井優、しずちゃんの紹介により、遂に出会う!!…元々、山里の事を尊敬していた、蒼井優>
2018(平成30)年に入った頃の事と思われるが、
しずちゃんは、映画『フラガール』(2006年)での共演を機に、大親友となっていた蒼井優を、山里に紹介した。
今までの述べて来た通り、この頃には、山里としずちゃんの関係もすっかり改善し、南海キャンディーズは、コンビとして「再生」を果たしていた。
だからこそ、しずちゃんは大切な親友である蒼井優を、山里に紹介したのだと思われるが、実は、元々、蒼井優はお笑い芸人としての山里の事を、「とても面白い人」との事で、大変尊敬していたようである。
同年(2018年)の、フジテレビ「脱力タイムズ」という番組で、実は山里と蒼井優は「共演」を果たしていたが、その時も、蒼井優は山里の事を、「やっぱり、山里さんはとても面白い!!」と、絶賛していたとの証言も有る。
こうして、山里と蒼井優は遂に「出会い」を果たすが、当初は、山里としずちゃん、蒼井優の3人で会い、3人で食事をしたりする関係だったったが、やがて、山里と蒼井優は、2人で食事に行く機会も、徐々に増えて来た。
しかし、この頃は、まだ友達同士という関係だったようであるが、この2人が、約1年後、世間をアッと言わせる、「電撃結婚」をする事になろうとは、まだ誰も知る由も無かった。
(つづく)