『自分の力ではどうにもならないことは、心配するな』by ユダヤのことわざ。
天災はもう、
自分の力ではどうにもできないんだろうか?
詩青の念力でいっちょ止めてみるか。(無理だろw
ってことで、引き続き
詩青妄想(!?)劇場。
詩青が信じる世界観です。
詩青妄想(!?)劇場。
詩青が信じる世界観です。
昔の人たちは天災が起きるたび、よく言ったもんだ。
「神の怒りに触れた」と。
宗教の存在が、自分と神の存在を切り分けたんだけど、
このセリフはまさしく!だよね。
本当は、怒っていたのは、人間(神)だったのに。
…というエピソードが世界各地にあるそうです。
(これもそのうち科学的に証明され、当たり前になるだろう部分ね)
だからと言って、人は感情の生き物だからね、
感情をゼロにすることは難しい。
地球上の天災がゼロにならないのと同じくらいに。
感情を抑え込むことには意味がないと私は思う。
抑えれば抑えるほど、感情は爆発するもの。
≪在るもの≫を≪無いもの≫としようとすれば、
その反動で怒りとして表に出てきてしまう。
もちろん≪無いもの≫を≪在る≫とされるのも、
同じだけどね。
もちろん≪無いもの≫を≪在る≫とされるのも、
同じだけどね。
(超ヒモ理論、だっけか?)
その感情が≪在る≫のか≪無い≫のかは、
自分の心の奥底が知っている。
じゃあその感情をどうするか、
これって大事なポイントだと、私は思うんだ。
『やっぱり天災は止めたい、と思う。
まだまだ生きていたいから』
天災で死ぬこと前提みたいな書き方ですが、
そういうわけではありませんのでw
てか、天災とか、いきなり死ぬってショックじゃない!?
事故とかもそうだけどさぁ。
亡くなった人は、
一瞬のことだから、案外よく分かってない。
なので成仏まで時間がかかるんだけど。
何がショックかって、残された人じゃん?
悲しい想いを持つのも、残された人なんだよ。
「じゃあ天災受ける側になりますか?」
って聞かれたら、それも嫌なんだよ
結局は自分で、
¨どっちがいい¨って、決めてんだよね。
なんだかんだ、文句言ったってさ。
※まだまだ続く、
天災を止める方法<3>は次の記事にて♪
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
無料で確認
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆