最期の時 | horoskooppi tuki

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星のエールをおくります

今週は、「本心/平野啓一郎著」を読み、

劇団四季及び原作「ゴースト&レディ」を見たり読んだり。

その内容から“最期の時”について考えた。

死を迎える時、誰かに見守られたいと自分は思うだろうか。

 

もし将来、「本心/平野啓一郎著」で描かれるような自由死が認められる社会になったら、

希望する誰かに見守られて最期を迎えたい。

自分のタイミングで、感謝の気持ちと別れを告げて死にたいと思う。

自由死というのは作品内の言葉で、今でいう尊厳死のような感じ。

かかりつけ医と本人が対話を重ね、認可がおりれば合法化された死を選択できるというもの。

この制度が出来たなら、どれほど安心して生きていけるだろうかと思う。

私は苦しいこと、痛いことは嫌、できるなら避けたい。

自然死ではなく、自由死の権利を得られるなら、

苦しくとも辛くとも頑張れるような気がする。(実際は分からないけれど)

 

「ゴースト&レディ」のフローは、一人では死なせない!と言い、

最期を迎える負傷兵に寄り添い続ける。

家族から離れ、遠い戦地で死を迎える兵士だったら、

誰かに見守られることで死への恐怖が和らぐのかもしれない。

彼女にもグレイがいた。

絶望したら死ぬことができる、いよいよとなったら死ぬことができる権利を得ていた。

それがあったからこそ、彼女はどんな困難にも立ち向かっていくことができたのではないだろうか。

 

日本では「尊厳死」は認められていないので、今はどうあっても自然死を迎えるしかない。

自然死で、眠るように死んでいけたら最高だ。

その場合は、見守られているのか見守られてないのかわからないので、

一人でいいかなと思う。

苦しむ場合も個人的には見られたくない気もする。

私は病気の時は誰かが傍にいるのが苦痛で、放っておいて欲しいと思ってしまう。

辛い自分に精一杯で、傍にいてくれる人に気を使う余裕が一切ないためだ。

死ぬ時に、気を使う余裕もなにもないとは思うけれど、

死んだことがないのでこればかりはわからない。

 

今はこう考えているけれど、この先も同じかはわからない。

「本心/平野啓一郎著」、劇団四季及び原作「ゴースト&レディ」に触れて、

人は、他者と関わることで、影響を受け、考え方も生き方も変わっていくことを

改めて感じたから。