日光は寒い !! | 放浪の旅日記

放浪の旅日記

足の向くまま、気の向くまま出歩いた記録です。

12月の日光山内は空いていた。

先ずは共通拝観券を買って輪王寺へ。...この大きな堂宇は三仏堂といって3体の仏像が2組祀られています。

三仏堂


1組は日光三社権現本地仏といって千手観音菩薩・阿弥陀如来・馬頭観音菩薩でこれがメインの三尊のようだ。

大きな金色の仏像は見事だ。

三仏堂の脇にロケットの様なものは何か?

輪王寺 スペーサー

「相輪とう(とうは木へんに棠と書く)」という供養塔であると看板に書いてあった。

高さ15mの青銅製で、比叡山延暦寺の宝塔を模して構築したそうだ。一応重文である。延暦寺の宝塔がどういうものかは知らない...が。

塔内には千部の経典が収納されていて、天下泰平・国土安穏を祈願しているとのこと。

ここ日光山内には輪王寺の堂塔が点在している。

東照宮と掘られた石標を進み、石の鳥居をくぐれば東照宮の境内。左手には三猿で有名な神厩舎が建ち、更に進めば陽明門となる。
しかし、陽明門の手前を左に進むと突当りに「鳴竜」でお馴染みの「本地堂」がある。これはご朱印などを見ると輪王寺になっている。だが、実際には経蔵共に東照宮/輪王寺間で帰属について係争中とのこと。名称も輪王寺の案内は薬師堂である。

更に二荒山神社の前には常行堂、その奥には家光公の廟霊である大猷院があり、これらは輪王寺の堂宇である。

この二社一寺は神仏習合の日光山として一体のものだったらしい。明治の神仏分離令によって、東照宮と二荒山神社は神社に、輪王寺は寺に分離されて現在の形になっている。

共通拝観券を購入していたので、本地堂に入ってみた。昭和42年に再建されたとの事なので古さを感じさせない。

次に見たのがお馴染みの国宝陽明門だが、豪華絢爛の装飾を施し幅7m、奥行4.5m、高さ11.1mの唐破風の大屋根を載せた姿はいつ見ても雄大さを感じる。
幾重にも斗栱を組み重ね、大屋根を張り出させているが、単独で建てられていたら不安定さを感じたであろう。
陽明門

陽明門逆柱 スペーサーこの門をくぐった左手の柱の彫刻の模様(グリ紋)が他の柱と逆に彫られていることも有名な話だ。
しかし、建物は完成した瞬間から崩壊が始まる。1か所だけを形を違えるなどして、建物はまだ未完成であると見なすことで、建物が長持ちするよう願ったという説に納得する。

この様な逆柱は拝殿と本殿にも施されていると言う。
貝殻を磨り潰して作った胡粉という白い顔料で塗られた柱も、みんが触るので塗装が剥げている。

国宝をベタベタ触れる事もある意味凄い。

この日はちょっとしたイベントあって、関係者に取材してみた。
何でも、毎年宇都宮の菓子店「岡埜」のご主人がケーキを奉納した後、障害者施設にプレゼントしていると聞いた。

巫女 スペーサー台に載せた大きなケーキを石段の下から神職等と共に運び上げていた。30kg程あるそうだ。
中央に来年の干支であるトラを載せたもので、日持ちがするようチョコレートを主体に作られているとのこと。

巫女さんたちも携帯片手に集まってきた。
何とも親しみを感ずる光景であった。





東照宮を出て二荒山神社に参拝の後、大猷院に向かった。
大猷院

東照宮が家光公の廟所であるのに対し、大猷院は家光公の廟所である。
家光公は先祖である家康公の為に東照宮を造替し、家康公を思い側に大猷院を建立した。

家光公を祀る奥の院へは6つの門を通って行くそうだが、今回その内の5つの門を拝観した。
大猷院門
上段左から仁王門,二天文,夜叉門
下段 唐門,皇嘉門


山内を降りてきたら神橋に出た。
神橋

日光の表玄関と言われる神橋を最後にというのもおかしな話だが、行きがかり上仕方が無い。

神橋2 スペーサー造営当初は渡ることなどできなかったが、今は300円払えば渡れる。…という事で300円払った。

何ていうことはない。橋である。だが、重要文化財と聞くとそれなりの重みは感ずるもんだ。

橋のたもとにある授与所のお姉さんと話をしていたら、中宮祠の話題になった。
行って見たい気になったが、生憎ノーマルタイヤで来てしまった。

既に降雪のある奥日光はノーマルでは無謀だ。 で、お姉さんにダメだよねって聞くと。
中宮祠に聞いてあげるといって電話をしてくれた。

結果、陽のある内に降りてくれば、いろは坂は大丈夫という回答だったので奥日光へ走らせた。

 ※ 後編はこちら