言葉の痛み | 宇都宮 彫耀

宇都宮 彫耀

日々の出来事や想いをブログに綴ります。

ずっと気にしている事がある。
それは死と言う言葉だ。
その言葉を見たり聞いたりすると
正直言って耐え難い気持ちになる。
心がズキズキと痛むんだ。
でも…ここであえてその文字を記す理由は、少しでも多くの人に知ってもらいたかったから。
思いやりのある人ならば、大切な人を失い喪に服している人に対して、そのワードを含む言葉を絶対に使ってはいけないと思う。
悪気があっての事でないのはわかる、それが普段通りの言葉の流れであっても、酷く相手を傷付けているかも知れない事に意識を向けてほしい。
なぜならその相手は、あなたの計り知れない程の悲しみに包まれているし、もちろん通常の心情ではないからだ。
少なくとも俺は言葉の痛みを知っている。
世の中にはその痛みを感じる事なく、自ら発信している人達も多くいるだろうね。
そこは人それぞれ、考え方も受け取り方も違うから何とも言えないけど。
常識とかマナーとか、そこも別にどうでもいい。
そんなのは社交辞令だろう。
本当に相手を思いやる気持ちがあれば、自然と言葉を選んでいるし、相手にもあなたの気持ちは優しく伝わるのだから。

保険関係で必要になる診断書や戸籍謄本、文面に記されているその2文字は、目から入ってきて心の奥まで深く突き刺さる。
その度にフラッシュバックか起こるのか、目の前にあの瞬間が鮮明に甦ってくる。
これは心の痛みと言うより、心臓が破裂しそうなくらいの動悸が起こり、精神的な辛さに加えて身体的な苦しさも伴う。
震えてきて思わずうずくまってしまうくらいだ。
現実を受け止めきれてないのか?
……自分でもよくわからない。

Xのおすすめのポストを見ていると、死別の文字がよく目に止まる。
大切な人を失い、悲しみに耐えられずに辛い思いを吐き出しているのはわかる。
でも、なぜわざわざ…
自分でそのハッシュタグを付けるのか全くもって理解出来ない。
同じような境遇にあっても、同情したり励ますような言葉は到底見つからない。
ご主人が旅立たれたある女性が、
『これからの人生、総大な暇潰し』
とのポストが目についた。
人生が暇潰し?
じゃあご主人の人生は、今ままで貴女の暇潰しに付き合う為の人生だったの?
遺された貴女のこれからの人生は、暇を潰して生きて行く事しか出来ないの?
いちいちタグなんか付けて、そんなクソみてぇな言葉並べてんじゃねぇよ!
って…
思ったんだ。
俺なら今後の人生で一生絶対に使わない言葉だ。
死と別れの文字なんて…
痛みなんかとっくに通り越して、ただただ苦しいだけだよ。
どれだけ悲しみと寂しさをポストしても、その言葉を毎回タグ付けで使えるのなら、一方的で悲劇的なアピールとしか思えない。
とてもじゃないけど、たとえ同じような境遇だったとしても、そんなネガティブな言葉には一切触れたくもない。
今この時この瞬間、1日1日を生きるために命がけで病気と闘ってる人達がいるのに…

見た目や行動だけではわからない事がある。
元気そうに見えれば、大丈夫だよと言われれば…なんだ、けっこう元気そうだし大丈夫そうだなと判断してしまう。
でもそんな時こそ、元気な振りをしている可能性が高いと思った方が間違いはない。
逆に悲観的なアピールばかりしてくる場合は、ある意味その人の傲慢さとも捉えられる。
誰かに何かを言ってもらいたいからだ。
当人もしくは深く関わった事で、辛く苦しんでる人に対して言ってはいけない事がいくつかあると思う。
また、こんな事もよく言われる。
「かける言葉が見つからない」と。
それは相手を思いやる心がないのと一緒だ。
命を賭けて懸命に頑張ってる人
「頑張ってよ」って…
それは走りながら足を骨折してしまった人に、骨が折れてもそのまま全力で走れよと言う事と一緒だ。
懸命に支え続け願い叶わなかった人に対して「自分なら耐えられない、普通そこまでは出来ない」って…
それは何も出来なかった時の言い訳を、最初から用意している事と一緒だ。
言葉自体は悪くない。
そして悪気あっての事でもない。
でも違うのよ。
命懸けの人はね、そうでない人からの言葉の受け取り方が全然違う。
だから同じ境遇の人達からの言葉が励みになるんだと思う。
たとえ親しい友人、または家族であってもそれは同じ事。
受け取る側の気持ちに、どれだけ自分が近付く事が出来るかが肝心なんだと知るべきだ。
伝えた言葉が逆効果になってしまうからね、視点を変えて言い換える事も学ぶべきだ。
また、話をしている途中で突然言葉を遮られ、話を最後まで聞かず自分の意見を話し始めたりする人もいると思う。
その度に話の腰が折れる事がよくある。
聞く時は聞く、話す時は話すでメリハリをつけて会話をしないと、いちいち話す言葉を切られてしまってストレスを感じてしまう。
否定的な言葉なら尚更だ。
まずは人の話を最後まで聞いてほしい。
相槌は好ましく、遮るのは好ましくない事を知ってほしい。

言葉にはチカラがある。
良い方と悪い方への両方に。
病気は医者しか治せない。
でも心の痛みは、人の言葉と周りの環境がその痛みを癒やしてくれる。
それは主にSNSにあると言い切ってもおかしくはない。
日本全国、不特定多数の人と人が言葉のやり取りをする場所なのだから。
現実的に周りを見渡してみれば、余程の繋がりと人脈がない限り、SNSの環境には到底敵わない。
だからくみも心の拠り所としていたんだ。
居心地がいいから依存性もあるけどね、でも別に依存してたっていいと思う。
そこには、自分の物指しでは測りきれない言葉の世界と繋がりがあると思うから。
現実的には、医師からの言葉でさえ槍のように投げ付けられていた。
くみがどれだけ泣いてきて、どんなに悔しい思いをしてきた事か。
人には、その人にしかない心があるはず。
そこまで踏み込める医師なんて、この国には存在しないだろうと思う。
だからくみは苦しんだ。
言葉の痛みにずっと耐え続けていた。

当事者じゃないからわからない、言葉を選んだり変えるとか面倒だと思うなら、あえて関わらない方がいいと思う。
避けて通ればいいだけの事だ。
心配でも何も言えないし何もしてあげれないと思うのなら、話を聞いてあげるだけで相手の人は少し楽になれる。
本当に優しい人は我慢してる事が多いから、たくさん傷付いてきたから人に優しくなれるんだ。

思いやりのない言葉はいらない。
一緒に泣いてくれたその涙だけが、あなたの本当の優しさなのだから。