今日は、『伊藤園おーいお茶』の新俳句大賞の発表の日でした。
ペットボトルに掲載されている、あの俳句の受賞者が決まる日です。
実は私、この新俳句大賞で、とってもとっても苦い思い出があります・・・。
数年前。
ある日娘が、とても素敵な俳句を創作しました。
それは、まだ低学年だった娘の瑞々しい感性が光るような、かつ、子供らしい、素晴らしい春の俳句でした。
私は感動して「これ、すごくいいよ!おーいお茶に応募しようよ!」と娘に提案しました。娘は「私、国語ニガテだし、いいよ、どうせダメだと思うから・・・」と乗り気ではありませんでしたが、私は娘を説得して応募することになりました。
それからまもなくして、世の中にコロナウィルスが流行し始めました。
私と子供たちは、地方の親戚の家に、数か月滞在することになりました。学校は休校だったし、私は不安で鬱っぽくなっていたので・・・。夫は仕事があるので、残ることになりました。
親戚の家で過ごしながら、私は時々「そういえば、俳句はどうなったかな。」と気になっていましたが、発表は秋と聞いていたので、結果を楽しみに待つことにしました。
親戚の家から自宅に戻ったのは10月。自宅には山のような郵便物がたまっていました。夫が自宅にいましたので、転送届は出していませんでした。一つずつDMやチラシを確認しては捨てる作業をしている時、緑色の大きめの封筒が目に入りました。
それは、おーいお茶の事務局からの封筒でした。封は開いています。中の手紙を読んでみると、なんとそれは、娘の俳句が最終選考に残りました、という通知でした。
そして、文章を最後まで読んで、私は涙があふれてきました。
「〇月〇日までに、この俳句を作った時の心境などを書いて返送してください。」というような内容が書いてありました。その締め切りの日は、とっくに過ぎていました・・・。
すぐに事務局に電話しましたが、もうすでに最終審査は終わっているとのこと。なすすべなく、私は膝から崩れました。
その夜、夫が帰宅して、問いただしました。
あんな大事な通知、どうして親戚の家に送ってくれなかったの!?どうして教えてくれなかったの!?と。
すると、夫は、息子のLINEに写真で送っていたよ、と言いました。息子のLINEを遡って確認してみると、確かに写真が送られて来ていました。その時息子は、何のことかわからずに、私に言わなかったそうです。
どうして私にメールしてくれなかったの。。。
どうして息子は私に言わなかったの。。。
でも。怒りの矛先を、夫にも息子にも向けてはいけない。俳句を応募したのを知っていたのは、私だけ。私がちゃんと確認すればよかったこと。でも、まさかそんな通知がくるとは思ってなかったし、そんなシステムも知らなかったよ。でも、悪いのは私・・・。
「国語ニガテだから」といつも口癖のように言っていた娘に、自信をつけさせてあげたかった。大きな賞をとった娘の笑顔を見たかった。もしかしたら娘の人生や価値観を変えるような転機が、もう少しでつかめるところまできてたのに、私のせいで大きなチャンスを失ってしまった。
娘には正直に全部話しました。そして、何度も何度も謝りました。がっかりしながらも「仕方ないよね」と気を遣うまだ低学年の娘。ごめん、ごめんね、と何度も言ったけど、自分を殴り殺したくなって涙がとまらなくなって・・・。
結局、娘はその時は、何の賞ももらえませんでした。佳作もスルー。残ったのは、最終選考の通知だけ。返送欄が白紙のまま・・・。
それから、毎年娘と応募しています。どうしても、リベンジさせたくて、二人でいろんな俳句を応募しています。だけど、今年もダメでした。
毎年やってくる、おーいお茶新俳句大賞授賞式の日。
後悔で泣きたい気持ちになる日。
いつか・・・。
いつか・・・。
追記:最終選考に残った娘の俳句は、筆で色紙に書いて、額に入れてリビングに飾りました。