我が町にもようやく春がきました。
桜が咲き誇ってます!
東京から1ヶ月、仙台から3週間、札幌からも1週間遅れて、ようやく春です。
水仙が咲いてもツツジが咲いても、やっぱ桜が咲かないとね。
春ちゃ~~~ん、うちの町にも春を呼んでくれてありがとうね。
さて、いろんなところでスーパースラムを達成したスケーターたちを取り上げた動画が紹介されていて、私も見てきた。
女子がキムヨナと、ザギトワ。
ペアがトランコフと、サフチェンコと、スイハン。
ダンスがテサモエ。
男子が羽生結弦。
ベストオブベストなスケーター、9人。
今のフィギュアスケート界にたった9人だ。
それぞれのタイトルを取っていく過程が次々と出てくる。
その過程が様々で興味深い。
私はゆるい古参オタだから、この人たち全部見てきた。こうして栄光の軌跡を見せられると、その姿がプレイバックする。
あんなときがあった、こんなのを見た。動画を見ながら湧き上がる記憶を、ちょっと長く語ります。
ザギトワは狙いすましたように各大会の金メダルを1個ずつ取っていく。
すごい効率がいいけど、それで終わってしまったのが女子の選手生命の短さを思わされる。
キムヨナは長く活躍した方なのかも。
オリンピックも取って、他のタイトルもすべて取って、なおもう一度ワールドを取ったのは自国のオリンピックの枠を取ってくる使命だったんだよね。
トランコフとサフチェンコはペアのパートナーとではなく、一人でだ。それはパートナーを変えながらも長く競技を続けてきたから。
トランコフってジュニアのときは別の人と組んでたんだね。タチアナさん(今の奥さん)と巡り合ってからの躍進がすごかった。運命の人だったんだね。パートナーとの相性って重要なんだなあ。
サフチェンコはペアを組んでオリンピックを目指すために国籍を変えてまで挑み続けた。
ソルコビーとが長かったはずだよね。私がさいたまで優勝したのを見たのはサフソルだったはず。
その後パートナーが引退したのかな。若いパートナーを見つけて続けたのは、オリンピック金メダルへの執念だよね。
そんなふうにペアは相手が変わることも多い。特に国策で組み換えが行われるという中国の中にあって不動のペアがスイハンだった。
四大陸の金メダル数がすごいんだね。中国は四大陸に本気出してくるからな。そしてファイナルが遅めだったのはどうしても怪我が多くなる(特にスイちゃん)ペア競技で、なかなか序盤からGPフル参戦できなかったんじゃなかったかなあ。
国の威信をかけたトゥーランドットで平昌で僅差でサフマソに敗れ、国の威信をかけた自国開催の北京で最終種目で金メダルを取るって、すごいプレッシャーだったよね。
ダンスで唯一がテサモエ。若い頃から活躍してベテランになって復帰してきた、ずーっといっしょのカップル。
スーパースラマーの中でオリンピックの金ふたつは羽生とテサモエだけ。それも間のソチが銀だからな。連覇じゃなくてもむしろすごすぎる実績だ。
そして男子が羽生結弦。男子はこの人だけだ。ヤグディンプルシェンコの時代にはジュニアファイナルがなかったそうなので。
ジュニア総なめにして最短でシニアにあがって、ソチシーズンに三冠。19歳で5つ揃えてしまったのに、あと残っていたのは四大陸だけだった。この忘れ物があったことも、平昌後も現役を続けるモチベーションのひとつになったかもしれない。
様々な理由(怪我とか病気とか五輪直前すぎて出してもらえないとか)で出場することもできないことが続いた中で、たぶん最後のチャンスが、コロナとのせめぎあいの直前に開催されたことは、今思い起こしても奇跡のようだ。
そしてこのスケーターたちを思い起こすに、みんなカリスマだったな。
テレビで見ても動画で見てもすごいものはすごいんだけど、現地で、どんなに天井席のすみっこで見ても、生で見てすごい人はもうオーラが違うんだ。
思い起こしてみよう。
キムヨナは生で見たことがない。当時はどうしても真央ちゃんとの対決が表に出過ぎて、そりゃあ自国の選手を応援するのは当たり前なわけで、ライバルとしての認識しかなかった。きっと生で見たら認識変わったのかな。
トランコフも見られてない。どっかでショーで見れたことがあるかもだけど、試合の真剣勝負ではないから。私が一生懸命初めての遠征をした14年さいたまにヴォロトラは来てくれなかったんだもん。
では私が生でそのオーラを浴びた人たち。
14年さいたまに来てくれたのはサフソルだった。フリーはたまアリ500レベルから見下ろしていた。くるみ割り人形で鳥肌がたってもう大変。その後誰が滑ろうが曲だけで反応する鳥肌スイッチができてしまった。
スイハンを初めて見たのは確か15年国別の代々木だったはず。アクロバティックなテクニックの印象がすごかったのに、いつのまにかペアなのにダンスのような音楽表現と雰囲気を出すペアになっていた。
19年さいたまではショートもフリーも叩きのめされて手が痙攣して止まらなかった。
ザギトワは19年さいたま。最後に残したワールドのタイトルを文字通りもぎ取っていった感がある迫力だったなあ。
テサモエは16年に復帰したときのNHK杯で真駒内に来てくれて、テサモエパパシゼ対決という夢のような試合を見た。でも一番すごかったのは平昌後のFaOIで金メダルプロのムーランルージュを見たとき。圧倒された。
羽生結弦は、説明いらないね。いつもいつ見ても圧倒される。
でも改めて感じたオーラということで言えば、最後の全日本でたまアリのショートサイドにいて向こう側から選手が出てくるのが見えるんだけど、天地さまの羽生だけ異様に大きく見えた。宇野や鍵山が小さいのはともかく山本とか背が高かったはずなのに、ひとりだけ巨人のように見えた。オーラで膨らんで見えたんじゃない?と娘に言われたけど。(二人ともH×Hの大ファン)
こうして思い返してみても、みんなカリスマであっても、羽生さんのそれは桁が違うと感じる。なんたって巨人のように見えたんだからな。(ファントムの巨大広告とは違うぞ)
あ、あれえ。私の記憶ってたまアリばっかり… 私が行けた大きな大会ってたまアリなんだ。
そうか、やっぱりあそこはフィギュアスケートの聖地であるのだな。アイスショーで帰れて感慨深いわ。もう一度あの光景が作れてよかった。
こうやってカリスマなスーパーなスケーターたちを並べて見るにつけ、あのとき四大陸のタイトル取っといてよかったと心から思う。
最後の最後にあのタイトルを取らなければ、この並びの中に入れなかった。オリンピック連覇の実績があっても、それとこれとは別なのだから。
でも私が羽生さんが最後の6冠めを取るまでこの称号の名称を知らなかったように(普通にただのグランドスラムと思ってた。ジュニアまで入れて考えてなかった)、羽生結弦がこの栄誉を手にしたことで「スーパースラム」という名称が広く認知されたような気がするよ。
このベストオブベストの9人がタイトルを取っていく経過が年齢とともに表示されるのも興味深い。
女子は早い。ザギトワは16歳で全部取って、あとはほぼ引退状態だもの。ヨナも19歳で全部取ってる。
対してカップル競技の息の長さよ。コンプリートが一番遅かったのがサフチェンコで、みんなが揃っていてもいつまでもたっても最後のオリンピックがこない。サフコ~まだか~で34歳!すごいわ、この年齢でオリンピック金メダル。ここまで続けるのも本当にもぎ取るのもすごい。
羽生さんは25歳。19歳で5冠揃えてからが本領発揮の王道だったね。絶対王者だぞ。
そしてこの動画は最後はそれぞれのスケーターの”今”で締めくくられる。最後の試合と現在の様子が画面で並んで紹介される。
これほどの実績を持つ人たちだから氷を降りても活躍してるみたい。
ザギトワはますます美貌に磨きがかかってテレビのお仕事のようだ。
キムヨナはもっとオフィシャルな仕事もしてるっぽいな。
スイハンはキャスターみたいのしてる。ハンくんは引退でもスイちゃんはまだ続けるのかな。
サフコ姐さんはコーチみたい。
テッサはあの美しさだからモデルとかかな。モエくんはコーチのようだね。
トランコフさんは… ますます胡散臭い…
そしてただ一人、ばりばりプロスケーター。最新の羽生結弦はRE_PRAYでの演技映像。うわー、どれもかっこいい。
最後に出てくる羽生が、こうして今も最前線でプロの世界を切り拓いてる。すごいことだわ。
すごくおもしろい動画でした。
このすばらしいスケーターたちの記憶のあれこれ。全部すごいや。
フィギュアスケートの、一番すばらしい時代の歴史を一気に見た気がします。
そしてその中で圧倒的にカリスマなのが羽生結弦であると、並べて見て最後を見て、つくづく思ってしまった。
羽生結弦選手は、競技としてはすでに歴史です。誰も追随できない圧倒的な歴史。
そしてプロスケーターとしてさらに未来を拓いている。どこまで届くのかいまだ想像もつかない。
私たちはこれまでずっと、さらにこれからも、歴史の目撃者なのだ。
こんなにうれしい、誇らしいことはない。
ずっと見届けていきたいです。(長生きしないと)