昨日買ってきたワールドフィギュアスケート100号の感想を。
このインタビューはRE_PRAY佐賀公演直後のものだという。だからまずRE_PRAYツアーについて。
物語を考えるのが好き。だからプログラムをストーリーの中に組み込んで表現したい。GIFTにせよRE_PRAYにせよ、映画とかでなくオペラやミュージカルに近い形式だと思うわ。歌の代わりにスケートのプログラムが入る。
言葉(セリフ)もダンスも専門ではないと言いながら、勉強しなきゃいけないと言いながら、それをスケートに落とし込んで表現するにあたって、フィギュアスケートのプロであるという絶対的な強みとプライドが全部をまとめきっているように思える。
しかし、GIFTで全部出し切って空っぽになったというのに、いつどこで箱が空いてると言われたら、そこに向けて次を作ってしまうって。創造力の泉かよ。
羽生さんが創り出す物語が、みなそれぞれの人生からくる物語だというのなら、私にとっては人生の中で羽生さんを応援してきた部分の物語だ。少なくともRE_PRAYはまんまそうだったわ。それでいいよね。
長く応援してきたことといえば。
この本が長く続くフィギュアスケートの老舗雑誌であること。そのここまでの99の表紙も載せられていたのを懐かしく見た。途中からは羽生さんを追いかけてきた歴史でもある。
この本を買ったとSNSで発信する人が、なぜか53と100を並べて撮影している意味が、中を見てわかった。そうか、そういうことされちゃね。私もやろ。
今までの競技人生を振り返ったときに心に刻まれている場面というのが。
9歳の無敵の小ゆづ。これは北京オリンピックの際にさんざん聞いた。
ニースのロミジュリ。そうでしょそうでしょ。これについては糸井さんとの対談の方にも出てくる。
そしてヘルシンキのホプレガ。
そっかあ。あのとき風になったとか水の中にザブンとか言ってたのを聞いて、ひょえええ、それがゾーンというものか?と驚いたものなんだけど。羽生さんにとってもあのときの演技・感覚は特別だったんだなあとしみじみする。
そして野村萬斎さんが出てきた。たぶん羽生さんにとっては師匠なんじゃないかと察する。
萬斎さんが伝統の狂言の他に、それを踏まえた上に新しい形の能狂言に挑戦していることを、異質であり、だからこそ野村萬斎であると讃えている。職業野村萬斎ってやつだよね。
羽生結弦も異質であると言う。そう、競技時代から私もずっと思ってきた。日本のフィギュアスケートの流れの中で、突出した、異質な、突然変異であると。
「型」という言葉も出てきた。それこそ萬斎さんからの教えではないか。型がしっかりとあるからこその型破り。型がなければ形なし。
型とは絶対的な基本的な技術のことよね。それがあってこその芸術だったよね。あなたが言ったんだよね。
どんなにすばらしい物語をベースにしても、すごい映像技術や舞台セットを駆使しても、そこに揺るがない美しいスケートがなければ成立しない芸術だ。
今まさに型破りで芸術を作り上げているんだと、それを見せてもらえているんだと思う。
改めて、萬斎師匠の教えは偉大だね。
ところで中の写真が全部すんばらしいんですけど。
ジャケット着ててもシャツ姿でもめっちゃすてき。髪型も完璧。
そして革靴でそんなに華麗に踊ったりポーズをとったりするなんて。
衣装じゃなくて革靴で床の上でポーズとってる写真が、フィギュアスケート専門誌の冒頭を大量に飾ってるのがそもそもおかしい。
100号は特別で、羽生結弦は別格なんだねえ。
この中のニースのロミジュリについて、糸井さんとの対談でもっとくわしく出てくるので、そちらに続く。