WFS100号の中の、ニースのロミジュリに連携するような話が、ほぼ日刊イトイ新聞の連載第3回に登場する。
東日本大震災。いきなりきました。羽生結弦を語る上で避けて通れない。
でも地震があったときでなく、その後の苦労のことでなく、出てきた話は「被災者代表」を背負わされた少年の葛藤だった。
今まで何度も見たり聞いたりしてきた話ではある。
私は震災直後すぐには羽生選手には考えは至らなかった。ショー会場で練習させてもらっていたことはあとからエピソードとして聞いた。でも避難所にいたとGPシリーズかなにかの放送で聞いて、まさかのガチ被災者!とびっくりして、その後さらに応援にブーストがかかったのは事実だ。その前から応援はしてきたけど、一人のアスリートとして応援していたけど、被災者ならばなおいっそう応援せねばと思った。ならば私自身も羽生さんの重荷のひとかけらであったのだろうか。
それは前回の、ピュアな子供と違って物事に意味をつけてしまう、それを取り除くのが大変だと話していたところの、もっとも大きく重たい意味なのだろう。
何歳でした?と聞きながら、やさしく相槌をうってくれるような、糸井さんの反応。字面に見るだけだけど、すごくあたたかいな。
少年がひとりで背負うには重すぎる意味。
それを一気に払拭したのがニースだったという。
あれは日本時間のプライムタイムから深夜にかかる時間帯でライブで放送していた。すでにファイナル、全日本で熱烈応援をしていた母子は必死にテレビにかじりついていた。
お茶の間も大変だったけど、会場が異様だった。あの頃は羽生選手の応援のために海外に遠征するファンはそうはいなかっただろう。他の日本選手のファンはいただろうが。スタンドはほぼ地元フランスやヨーロッパ各地のスケートファンのはず。その会場が熱狂していた。転倒して悲鳴があがり、直後の3A-3Tで爆発する。
あの尋常じゃないエネルギーをダイレクトに受けて、それを重圧じゃなく背中を押してもらえたと思ったんだね。そこから、応援をエネルギーに変換して期待に応えていくようになったんだ。
(前回WFSの話題のときに引っ張り出した表紙。あのとき勇気だしてこれレジまで持っていって本当によかった)
そこまではよーく知っている。
でもあの大会の裏話は初めて読む気がする。怪我していたことは後で知ったけど、その足でもSPで4回転が跳べたことで有頂天になった。いや17歳だもん当然。
そこでお母さんの喝がはいるって。怪我してるのに跳べるまでにどれだけの方が支えてくれたのか、応援してくれたのか、それを当然だと考えるなって…
お母さま、すごすぎる。私ならがんばってる子供にそんなこと言えない。尊敬しかないわあ。
そこでぶーたれるのではなく、もっともだと思って感謝しながらフリーを滑る羽生少年もすごい。
この羽生さん本人にも、応援する人にも、あとから動画を見る人にも、あらゆる人にとってターニングポイントになる演技は、こうして生まれたのね。
(この経験て平昌でものすごく活きたのではなかろうか)
ところでここで(※)の中で説明されるニースのロミジュリの説明が秀逸すぎる。読んでてあの情景を思い出して感動してしまうわ。
背負ったものを下ろすんじゃなくて受け入れる。
応援の重みを感じたまま背負って向かっていく。背負っているから強くなれる。
この覚悟はすごいんだけど、それを、
「鉛筆の芯の先に羽生結弦がいて、それが文字を書いていくけど、鉛筆本体がなければ字が書けない」
という糸井さんの表現がすごすぎる。さすが稀代のコピーライター。
シャープペンじゃなくて鉛筆なんだよ。鉛筆はするする滑って書くんだよ。そして削るんだな。きっと研ぎ澄まされていくよね。
この経験があったからこういうふうになった、こうあるべきとつながっていく。羽生さんの競技人生でそういうふうに見えることは何度も何度もあった。だから神様が連載してるって言ってきたんだけど。
羽生さん自身がそう思えて、それが恵まれているのだと感謝して、どんな試練も良いように変換できることが、羽生さんの最大の強みなんだと思う。(それができない人はつぶれてしまうような案件があまりにも多い)
応援を力にしてくれる人だから、がんばって応援したいと思う。
私も芯をくるんで字を書く先っぽを支える、本体の木の一部でいたいと願います。