仙台でがんばれるということ ~ 羽生結弦、語る 一夜明け編 | ほりきりのブログ

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鉄道の旅とスポーツが好きです

 全日本のフリーで圧倒的な優勝を飾ったあと、いちや明けてもインタビューはあるようです。(このタイトル、よあけ編かと思ってしまった。日本フィギュアの夜明けぜよ~)
 たくさんありますが、ひとっつずつ向きあっていきましょう。



【羽生結弦、語る 一夜明け編】

 ――五輪3連覇を決意したのはいつだったか


 「3連覇を決意したのは、このジャージーを選考委員会が終わって、代表に選んでいただいて、ジャージーをいただいて、で、記者会見に行くっていうところですかね。やっぱその、ジャージーに腕を通した時に『ああ、これがオリンピックだな』って。でも、自分はやっぱり2連覇っていうものを既に持っていて、それを失うことは確かに怖いんですよ。負ける確率の方が間違いなく平昌オリンピックより高いと思いますし、今のところは。ただ、このユニホームを着た時に、これは勝ちにいくんだな、勝ちにいかなきゃいけないんだなって、なんか、あらためて思わせていただいたように思います」

 オリンピックのジャージをサッと羽織る。その袖に腕を通した瞬間にパチッとスイッチがはいる。記者会見に向かう廊下を歩きながら勝ちにいくと覚悟を決める。
 映画みたいなんですけど~ その絵が見えるようなんですけど~ だから二次元クラッシャーだって…


  ――大谷翔平の活躍はどう見ているか

 「正直、フィギュアスケートの全盛期って23歳だったり、24歳ぐらいが全盛期みたいな感じで思われていたんですけど。やっぱり野球とか見ると、もっと何ですかね、30歳代の、30代前半の方が本当に脂が乗っていていい時期だったっていう話を聞いたりだとか。実際に自分の同年代でいいですかね、完全に、完全に同年代の選手がああやって今まで史上、一番多分いい出来の状態を保っているところを見たり、また手術後で本当に大変だったり、前人未到のことを自分で切り開いてやってるところを見たり、本当に僕自身、勇気づけられて、僕もまだ見ぬ世界かもしれないですけど、4回転半というものにある意味、一人で挑み続けているので、本当に勇気をもらっています」

 羽生は野球が大好きだからきっと大谷のことも追ってるよね。(手術したことも知ってくれてる)
 野球はいわゆる全盛期の年齢がスケートよりも高い。スケートが全員シニアにあがる19歳は野球では高校出てプロ入りする年齢だけど、高卒はまず2~3年はファームは常識だからな。23歳くらいでようやく1軍に定着して、今の大谷の27歳がやっとトップにくる感じ。スケートとはずいぶん感覚が違う。イチローのように長く一線で活躍できる人もいる。羽生はよーく知ってるだろうな。
 大谷は私もずっと身近で見てきた。(ファイターズのボランティアをしていた頃にもろにチームの柱だった)大谷を語りだすと長くなるので抑えるとして。彼は札幌にいるときから野球の常識をぶち壊し続けていたが、昨年の活躍はそれが大きく実を結んだんだろうな。オリンピックで活躍する同期たちをしり目に僕はまだ世界で活躍できてないからと言っていたのが、ようやく世界に(正確には全米に)オオタニの名を知らしめることができたんだ。
 羽生と大谷は同学年で宮城と岩手だ。たぶんお互い意識して刺激を与えあっていると思う。
 前代未聞の二刀流。誰も跳んだことのないジャンプ。やっぱ東北最強ということで。


 ――自分で描いていた4回転半成功へのスケジュールは

 「正直、平昌の後、次のシーズンで降りられると思ってました。ふふふふっ。それぐらいアクセルには自信がありましたし、4回転半というものが、そんなに大変なものだっていうふうに自覚はしてなかったです。ただ、やっぱり怪我があったりとか、いろんなことがあって、なかなか4回転半に集中できない時があったんですけど。集中してやればやるほど、怪我が常につきまとう。そして、集中してやればやるほど、4回転以降回ることがどれだけ大変かということを、なんかあらためて痛感した、この4年間だったんじゃないかなというふうには思っていて。まあ実際、今、4回転半回しにいっていますけれども、こうやって軸が取れるようになったのも本当にここ最近の話なので、本当大変だったなって思ってます」

 あのときロシアで怪我をしなければ、万全の体調でさいたまワールドにのぞめていたなら、優勝はできたかもしれないけど、4Aは跳べてなかったかもしれない。その後のこれまでの苦労を見てみればきっと怪我がなくてもそんな簡単なことではなかったんだろうな。
 私も4A跳んで優勝して自国のワールドで花道飾って引退するんだろうと思っていた。きっと本人もそのつもりだったと思う。でもそんな簡単なもんじゃないで~と神さまは言うんだね。
 4年かけていろんな方法でがんばってきて、次のオリンピックが見えてきてしまったこの時期にようやく軸が取れるようになったっていうのは、導かれてるよねやっぱり。
 そして「本当に大変だったな」と苦労を過去形で語る。もう道筋は見えてきているのだね。ワクワクする。


 ――4回転半は一日何本までと決めているのか

 「あ~、そうですね、具体的な本数で決めてるわけではないです。ただ、そのときの体調次第によっては、まあ4回転半じゃなくていいぞっていう日も、もちろんありますし。ただ、その4回転半のために、じゃあトリプルアクセルどういうふうに練習していくかっていうことだったりとか。そういった面で、じゃあトリプルアクセルは今日は何本にしようとか、あとは4回転半じゃなくても、4回転ジャンプで同じような感覚を何かつかめるものがあるんだったら、じゃあ4回転ジャンプをトリプルアクセルの後に何回挟んでいこうとか、そういったことは考えてますね」

 これって普通コーチが決めて指示する内容だよね。それを毎日自分で考えてやっている。カナダに行けずコーチたちと離ればなれだからしかたないんだけど、たぶんこのジャンプは誰にも教えられない。アクセルの理論を一番持っているのは羽生なんだろうな。そして他の人に気兼ねすることなく存分に使えるひとりのリンク。今この時期にここで練習していることは必然だったのかもしれないと思うと、コロナ禍までが4Aに味方しているように思えてくる。
 仙台に、たとえ夜間限定でも、羽生が思い切り使えるリンクがあって本当によかった。これも彼が10年アイリンを援助し続けてきたからこそだ。すごい巡りあわせだな。


――羽生選手が思う言葉の力は

 「はい。え~、僕自身ずっとここまで競技をやってきて、有言実行が絶対したいなっていうふうに思ってきました。だから、まあ、ある意味、自分の言葉が鎖だったり、プレッシャーだったりはするんですよね。それがあるからこそ、僕は絶対にそれを達成したいってずっと思い続けられるわけであって。諦めないでやれるのは、そういう言葉たちのおかげなのかなっていうふうに思っています」

 有言実行は不言実行よりはるかに難しい。不言実行は言わなきゃわからないんだから実行できなくても何を言われることもない。有言実行は怖いよね。
 自分の言葉が鎖。すごい表現だな。的確でかっこいいな。
 でもだからこそ、諦めないでやれるっていうのは、言葉たちの(言葉も友だち)おかげと言えるのは、きっと羽生ならではなんだろう。かっこいいわ。


 ――言葉にすることで自分が勇気づけられる面もあるのか

 「僕の場合、勇気づけられるとかっていうことよりも、整理ができるっていう方が近いです。自分の気持ちだったりとか、自分が考えているプランだったりとか。また、自分が今どういう感覚でジャンプをしたのかとか、そういったことを声に出すことによって、何か整理されて、いい結果が出てくることが多いです」
 
 インタビューで応答することで思考を整理できるというのは昔から言っていた。そういうふうにインタビューを利用する人はなかなかいないだろう。だからメディアに対していつも感謝をしているよね。
 そういうスタンスで会見に臨むから人を魅了する言葉たちが出てきて、会見落ちまでが発生するわけよ。
 でも私もその発想が少しだけ理解できるかも。今こうして羽生の言葉に向かい合って自分の言葉で感想を絞り出すことが、羽生の思考を整理して理解する手立てになっているような気がするのだ。羽生といっしょにするのはおこがましいけどね。


 ――どうしてジャージーを着た時に3連覇へ切り替わったのか

 「そうですね。やっぱり、まあ昨日の会見というか、囲みでも話させていただきましたけど、やっぱ悔しかったんですよね。その、『q』くらいまでの、『q』判定ぐらいまでのところにいって、やっぱ跳べなかったっていう。何かそこで終わらせてしまうことへの怖さだったりとか。また、やっぱり、その、自分が跳べるって言ってくださる方への何か、裏切りみたいな感じに思ってしまったんですよね。それが、じゃあ果たして自分がやらなきゃいけないことなのかって言われたらわかんないんですけど。でも、やらなきゃいけないかどうかわかんないですけど、でも、それができるって言ってくださる方がいらっしゃるんだったら、やっぱ僕は諦めずにやらないと、それはみなさんへの裏切りになってしまうなっていうふうに思えたので。まあ全日本に行くにあたって、ここでやめられないなって。北京オリンピックまで覚悟を持ってやるつもりでやんなきゃいけないなっていうふうに思いました。で、また何か、その、オリンピックってやっぱり、発表会じゃないんですよ、やっぱ勝たなきゃいけない場所なんですよ。僕にとっては。やっぱり2連覇してることもあるので。2連覇は絶対失いたくないし、だからこそ、また強く決意を持って、絶対に勝ちたいなって思いました」

 あのー、オリンピック3連覇について聞かれているんですが…「q」って、話が4Aになってるよ。羽生にとってオリンピックはそのまま4Aにつながるんだな。
 しかし「裏切り」という言葉は聞き捨てならんぞ。もしも羽生が跳びきれなくても裏切りだなんて思わないぞ。ここまで必死にがんばってきた過程を知っているんだからね。羽生ファンを見くびるな、だよ。
 私たちがかけてしまう期待、見てしまう夢が、羽生をしばるものになってはほしくない。いつもそう感じてはいるんだけど、でもやっぱり夢見てしまうんだよね。その期待や夢が、羽生がギリギリでもうひと踏ん張りするための力になってほしいなとは思っている。
 で、全日本で完成しなかった4Aを諦めるわけにはいかないから、だからオリンピックへ。道、つながったあ。
 それがジャージ着たら勝ちたいってなるのが、やっぱ勝負師だ。
 だけど「オリンピックって発表会じゃない」っていうのはすごい言葉だ。参加することに意味がある、とか、オリンピックを楽しむ、とか言ってる人を一蹴する。しびれるう~
 あと言っとくけど、万が一北京で勝たなくても2連覇はなくならないから。バンクーバーで銀だったからってプルさまのトリノの金が消えたわけではないでしょう。誰かが言ってたよ。3連覇したら2連覇が消えるんだってさ。名言だね。


 ――今のままでは勝てないと言っていた、どうしたら勝てるか

 「まあ、単純にあれに4回転半をしっかりGOEプラスでつけられる構成にしたいです。はっきり言って、4回転半とルッツとか、ループとかっていう構成は現実的ではないと思うんです。で、また、こっから1カ月ちょっとしかない状況の中で、やれることは多分アクセルぐらいだと思ってるので。しっかりアクセルも練習してきて。あとはショートに関しても、まだ完璧なところではないので、まったく。サルコーくらいですかね、良かったなと思えるのは。だから、それ以外、もっと点数につながりきるかどうかわかんないですけど、ただ、詰めて詰めて練習したいなって思ってます」

 今の構成は変えないということ。あくまでも4Aをちゃんと跳んで加点まで取るということ。
 ぶっちゃけね、ルッツ跳んでもループ跳んでも勝たせてもらえなかったじゃないですか。要はISUは同じ選手に勝たせたくないのよ。それはこの3年でよーくわかってしまった。
 だったら一気にその空気を変えるのは誰もやったことのないジャンプしかない。上がどうこう思っていたって世界中が沸き立ってそういう空気になるよ。点数の問題じゃない。だから、勝つために4Aが必要なんだと思う。
 4A決めたら引退していいよ、と言っていた。金メダルより4A跳んでほしいと思ってた。でもそうじゃない。4Aがあるからこそ金メダルにつながるんだ。


 ――体の衰えを感じていると言っていたが、どんどんうまくなっているように見える

 「あの、なんか、そうですね24歳、5歳ぐらいのときですかね。あの、すごく成長が止まったなって思った時期と、あのフリーが通せなくなったなっていう時期と結構あったんですよ。でも、おっしゃるように僕多分、今、一番うまいです、間違いなく。それは多分トレーニング方法が自分で確立できるようになった。自分でプランニングできるようになった。そして、羽生結弦にとってのフィギュアスケートのトレーニングがどういうものかっていうことが確立されて、それを実行できるようになったのが一番大きいんじゃないかなと思います」

 平昌でSEIMEIで金取ったのが23歳。24、5歳といったら、オリジンとオトナルのときだ。成長が止まったわけじゃない。4Tー3Aとか、4Tー1ー3Fとか、新しいコンボやシークエンスを跳んだ。4種5クワド跳びきった。たまアリを吹っ飛ばす勢いの感動の演技をした。どこが成長してないって?絶対王者にそんなふうに思わせてしまうISUとジャッジの罪は深いぞ。
 フリーが通せなくなったっていうのは、あの超過酷スケジュールも関係してるとか。気持ちの問題もあるかも。あんな状態でもどうしてもカナダに戻らないといけない。今のように仙台で練習できる基盤やひとりで調整できるシステムが確立されていれば、もっと楽に試合ができたね。
 あの頃の羽生が成長していないとか衰えがあるとかでは断じてない!
 自分でプランニングしてトレーニングシステムを確立したって、完全に自分自身でコーチングできるようになったんで仙台でひとりでもできる。すごすぎる。でもこれはコロナでカナダに行けなくなってやむにやまれずこうなったんだよね。どんなことも自分にいいように持っていける。このポジティブさこそが羽生の大きな力だと思う。


 ―2年前のGPファイナルで理想の羽生結弦は9歳と話していた。それは変わらないか。そういう無邪気な自信がないと4回転半に立ち向かえないのか

 「あの頃の自分の強いところは、勝てるところです。だから、そうですね。4回転半に対して、じゃあ、あの頃の自分の気持ちのアプローチが効くかと言われたら、そうではないかなっていう。あの頃の何やっても勝てるみたいな自信が、あの、なんて言えばいいんだろう。勝つことに関しては、一番必要なんじゃないかなと思うんですよね。ただ、そういう風な自信を持てるっていうのは、やっぱ、あの時なりに凄く練習していたからなんですよね。誰よりも練習しているって思いましたし。誰よりもうまいって思いながら、練習できましたし。そういうのが、オリンピックってもっともっと必要になる場所なので。もちろん、アクセルも含めてしっかり練習していきたいなと思っています。で、やっぱりあの時の自分が一番強いなっていうか。一番…強いって言い方がさっきの話とちょっとごっちゃになってアレですけど。技術的には今が間違いなく一番強いです。ただ、精神的にはあの頃が一番強くて、輝いているなって思えるので。あの時の自分を大切にしたいなとは思っています」

 これ聞いたの誰さ。ちょっと言い回しが意地悪だね。子供の頃の無邪気な自信がないと立ち向かえないのかって?なにその上から目線。この巨大な壁に立ち向かっている孤高のアスリートに対して「立ち向かえないのか」はないわ。
 それに対しての答えが、強さは勝てるところだと。誰よりも練習して誰よりもうまいと思えるものが正しく勝てたからだよ。今それができていないから(させてもらえないから)その正しく勝てたときの正しい自信を今こそ必要としてるんじゃないかな。
 で、技術的には今が間違いなく一番強い。こう言いきるのってすごいと最初に聞いたときから思っていた。すでにオリンピック2連覇を成し遂げた27歳がこういうんだよ。ピークアウトじゃない、今がピークなんだ。(まだ先に続くのかもしれない)それなら勝てなきゃだめだよね。勝てるはずだよ。


 ―4回転半のアプローチがちょっと違うというのは

 「自信があれば跳べるものじゃないんですよね。ふふふ。やっぱり無邪気にがむしゃらにやって跳べるジャンプじゃないなっていうことを、この4年間ずっとぶち当たりながら考えてきたことなので。だから、どれだけ緻密に計算できるか。どれだけ緻密に戦略を立てて計算をして、その4回転半という成功をつかみ取れるかが大事だと思っているので。その点に関しては、今の方が間違いなくうまいです」

 がむしゃらにやっていくのは普通の優秀なアスリート。この人のすごいところは計算して戦略を立てる、それを自分でやる、たぶん嬉々としてやる、そこだよね。世界最高のSEIMEIのときだって計算だっていってたもん。基本理系なんだわ。研究もたくさんできるようになるといいねえ。
 でもその計算もぶち当たりながらやってきたから積み上げられたのだろうし。最前線で武功をあげる武人と本陣で緻密に戦略をたてる軍師がその身に共存しているわ。


 ――昨年は体重を増やしていた。今年は減らしているのか、体のアプローチは

 「いや、減らすつもりはなかったというか、増やすつもりもなかったというか。そうですね、なんか中途半端なところなんですけど。えっと、正直、自分の中ではもうちょっと減らせたかなと思って全日本に入りました。もうちょっと軽くてもいいんじゃないかな。ただ、去年の体重から比べてみたら、そうですね、全日本に関しては2キロぐらい。あ、2キロまでいかないかな。1キロくらいですかね、減ってますし。世界選手権と国別と比べて3キロ以上減っています。どっちがいいか分からないんですけどね。ただ、どれが正解かは分かっていないです」

 減らすつもりも増やすつもりもなかった、とな。
 春のワールドと国別のときにすごく身体が大きくなって、4Aのために肉体改造したのかなと思った。(事実ダルビッシュとか大谷とかメジャーにトライするために体を大きくする肉体改造をしてから渡米している)
 そうじゃなくて4Aのための練習をしてたら勝手に大きくなったのよね。そんで今度はダイエットしたわけじゃなくて、病気と(泣)トレーニングで勝手に絞れたということ?もうちょっと軽くてもいいの?あのぶっ飛ばす跳び方だと増えるのかもしれないな。そして跳び方変えてみたから今度は軽い方がいいのか?
 誰もやったことないんだから誰も正解を知らない。羽生だってわからない。本当に道なき道を歩いているんだな。


 ――長らく仙台で調整してきた。故郷で過ごした感想。ケガのときは何が心の支えだったか

 「うーん。やっぱり今、埼玉にいたりとか、試合で遠征に行くことは多々ありますけども、やっぱ仙台の町並みって自分の中に常に残っている町並みで。もちろん都市開発があったりとかして、どんどん変わっていくところありますけども、やっぱりそこに懐かしさがあるだけでも、やっぱり心がホッとするというか。凄く温かい気持ちになれています。えーっと。まあ、ケガの時期とか大変なことももちろん、もちろん自分の人生の中には、大半がケガで苦しんだりとか。大半がリンクなくなって練習できなくなっているとか。本当にそういう苦しみがたくさんありましたけど。でも、うん。なんかこうやって今生きていて、みなさんの前でしゃべって、誰かの前で演技をして、どっかの誰かが自分の演技を見て何かを感じ取って下さっているっていう瞬間が本当に素敵だなって思えるので。そのことの幸せを常に感じていたらいいなって、なんか自分の中では思っています、今」

 このしんどい時期に仙台で練習できているのはよかったんだね。コロナがなければトロントにいただろうに。どちらがよかったのかはわからない。でも今仙台にいられて心が温かくなれるのならきっとよかったんだ。家族も支えてくれてるしね。ああ故郷にリンクがあってよかった~~
 コーチがいないことはつらいことだけど、仙台で練習できる環境があってよかった。特強で国の宝の選手がなんでトレセンのリンクを使えないのかとか言う人もいらっしゃるけど、私は絶対仙台がいいと思う。たぶん夜中の貸し切りもいろいろ配慮してくれてるんじゃないかな。羽生自身がリンクの最大のスポンサーだもん。
 羽生の競技人生に怪我は大きく影響してるかもだけど、シーズン全部棒にふるような怪我はしてないよね。なんだかんだいって一番大切な試合(オリンピックなりワールドなり)はシニアにあがった11年間すべてまっとうしているんだ。すごくがんばってきてるんだよ。
 どっかの誰かが自分の演技を見て何かを感じ取ってくださっているーー感じまくりなんだけど!感動の雨あられなんだけど!そのことで羽生が幸せを感じてくれるのなら、なんて幸せな循環だろう。


 ――今後も仙台で調整するのか

 「そうですね、仙台で頑張ります。たぶん。たぶん?(笑い)」


 ――取材が終了

 「すいません、ありがとうございました。またよろしくお願いします、みなさん」


 お疲れさまでした。仙台でがんばってください。ずっとずっと応援しています。



 いろいろ多岐に渡ったインタビューだった。何を振られても、きちんと自分の考えを述べることができる羽生すごい。
 平昌のあとのジャッジの不正は本当にこのひとの自信をそいでいったんだなとつらくなった。それでもがんばって続けてきた原動力が4Aなんだと思う。だから何を聞かれても最終的に4Aにつながる話になる。
 ひとりで練習するということは、自分でコーチングすることで、これまでもトロントにいても自分で研究して自分で考えてきたから今があるわけで、誰でもできることではないのだよ。それでも必要なときはリモートでつながって指示をもらうこともあるだろう。その点深夜練習は時差もばっちりでいいのかも。そしてチーム一丸であのショートを作り上げたと。離れていても本当に大事なところではつながってくれていればいい。
 そして自分なりのトレーニング方法を自分で確立して(すごい)それを実行できるのが、深夜の貸し切りリンクなんだろう。
 本当なら圧倒的なハンデを、自分のいいように変えていく。この前向きさを見習いたい。
 そしてそれを支えているのが仙台という土地なんだね。故郷と家族なんだね。よりよい練習環境を求めてカナダに渡って、ふたつの金メダルも取って、そして一周回って仙台に戻ってきた。コロナのせいなんだけど、きっと今の羽生の精神を温かくおだやかに支えてくれているのだと思う。よかったな。
 そして私は羽生に幸せを感じてほしいから、羽生の姿を見て言葉を聞いて演技を見て、感動したその気持ちが羽生に届くように、気を発していけたらと思います。
 
 インタビューはまだ続くようです。お疲れさま。こっちも続きます。


 気持ちとジャンプは前向きに!
 羽生、がんばれ、がんばれ!