その子たちが実になって結晶となるまで ~ 羽生結弦、語る フリー編 | ほりきりのブログ

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鉄道の旅とスポーツが好きです

 今回の遠征と旅は短いのに密度が濃かったのか自分もそこそこ消耗してしまい、かつ年末年始にもかかって時間も取られた。自分が見てきた試合と旅の話で10日近くかかってしまった。
 北京オリンピックまで1ヶ月を切った。遅ればせながら、全日本のときの羽生のインタビューの言葉を反芻して、気持ちを盛り上げていこうかと思います。
 スポニチさん、また頼りにしてまっせ。

 遠征出発前にSPまでは書いたので、フリー直後から。



【羽生結弦、語る フリー編】

 ――フリーを振り返って

 「疲れました。あの、ただ4A込みで、えー、通す練習、まあ完全な通しではないですけど、えー、昨年同様の練習がある程度まで、まあ自分の中では6割程度、60%くらいので達成度で練習はできてこられてはいたので、なんとかもったかなっていうような印象です。ただ、やっぱり、ループとは比べものにならないくらい、体力の消耗はありました」

 お疲れさまでした。
 6割の練習でここまでこられたのか。そこはやっぱり体にしみついたプログラムなのかな。2年目の熟成した天と地とでよかった。
 しかし、そんなに疲れるのか。そんなにきついジャンプが1点差…ごにょごにょ…


――初めて4回転アクセルに挑戦した

 「まあ今日の朝の練習で、まあ自分の中では、回せることを期待はしていなくて。とにかく、本番が一番大事なので。本番に回しきれるようにって思って練習はしていました。ただ、あまりにも跳べなさすぎて。若干、失望してて。あの、本番いくまでにかなり精神がグジャグジャになってたんですけど。まあ、そういうとこも含めて、やっぱり4回転半、まだ自分自身が成功しきれてないジャンプを本番で使用するっていうのは、うーん、そういうことも含めて難しいんだなっていうのを、改めて感じさせてもらえたなって思います」

 私は当日の練習には間にあわなくて、どういう練習をしていたのかはわからないんだけど、本番のために力を貯めるというのもあるんだね。
 練習で完璧にできてないジャンプをそれでも入れるというのは大変。でもいつ決まるかのところまではきてるんだろうから。それが本番かもしれないし。


 ――今回の4回転半の出来は

 「まあ、頑張ったなって感じです。あの、初日のあのアクセルを、皆さん初日で見ていて、『あ、羽生、めちゃくちゃアクセル上手になったじゃん』って思われたと思うんですけど。あれができるようになったのが、ほんとまだ、ここ2週間くらいなんですね。それまではずっと、ぶっ飛ばして跳んでて、軸がつくれなくて、回転ももっともっと足りなくて。何回も何回も体を打ちつけて、ほんとに死ににいくようなジャンプをずっーとしてたんですけど。なんか、やっとああいうふうになり始めて。でも、それが毎日できるわけじゃないんですね。だから、みなさんが、みなさんの中で『これは跳べるんじゃないか』みたいな感じで思っていただけたと思うんですけど、正直結構まだいっぱいいっぱいです、あそこまででも。軸をつくるっていうことが、どれだけ大変なのかっていうことと、で、その軸をつくりきれる自信ができて、それからその100%で回しきるっていうことをやっていかないとダメなので。まあ、試合の中であれだけできたら、まだ今の自分にとっては、妥協できるところにいるんじゃないかなとは思います。悔しいですけどね」

 これがびっくり。あのふわっと跳んでギュルルっと回る4Aができるようになったのが2週間前?
 ぶっ飛ばして跳ぶ。表現が的確だな。そう、国別の練習でみんなが見たのがそれだ。あの勢いで何度も何度も跳んで転倒していたら、そりゃあ世界が終わりそうだ。
 それがああいうジャンプになった2週間前のきっかけというのが興味あるわ。
 最初の練習のときに今日は軸を作るだけで回しきってないというようなことを言っていた。それを一度にすることがまだできてないということかな。
 それでもあの練習のときの、報知の高木さんが4A着氷!と叫んだ(つぶやきどころじゃないよね)ジャンプが一番いい感じだったのかな。あの文字見て、私マジで泣けたからね。
 悔しいと言いながらも、あれだけできたら、というジャンプが試合でできて、抜けずに転ばずに降りれて、本当によかった。


 ――五輪でも挑戦は続けるのか

 「正直言っちゃうと、NHK杯前に、これよりももっと悪い出来でしたけど、やっと立てるようになったのがNHK前で。で、立てたなと思ったら次の次の日あたりに捻挫して。で、捻挫したらストレスとかいろいろ溜まって、食道炎になって熱が出てみたいなのがいろいろあって。1カ月全然、何もできなかったんですけど。その時点で、辞めちゃおうかなと思ったんですよ。ここまで来られたし。形になったし。こけなくなったしなって思って。だから、あの、この全日本に来るまでも、まあNHK杯よりもうまくなってしまってしまいましたけど、なんて言えばいいんですかね。正直、これで良いんじゃないかなと思ったんですよね、自分の中で。これで辞めても良いかなって」

 ああああ、羽生さああああん。あなたは体が弱いから、心身に負荷がかかり過ぎると病気になっちゃうのね。熱もつらかったろうけど、食道炎て。お腹痛くて、気持ち悪くて、食べられなくて、苦しかったよね。そういうのは全部こっちよこせって、いつも言ってるでしょうが神さま~~
 NHK杯を怪我でお休みしたのが11月の頭かな。2ヶ月弱の期間の中で1ヶ月何もできずに寝込んでいたなんて~~
 でも捻挫についても治療はいろいろ努力していただろうけど、1ヶ月寝込んだのって一番の治療じゃない?焦ってリハビリ強行することができなかったから、少しでもよくなったんじゃ。どんなにつらいことも、ものは考えようよ。ポジティブポジティブ!
 あれ、待てよ。1ヶ月何もできず、体調回復して、練習再開できたのって1ヶ月もないよね。で、違うアクセルの跳び方をつかんだのが2週間前?またアクセル跳べるようになってすぐじゃないの?寝ながら研究してたんでしょ。違う跳び方を模索してたんでしょ。
 怪我する前はぶっ飛ばしながら跳んでやっと立てるようになった。1ヶ月病気でブランクがあったら、もっといい跳び方をするようになった。
 辞めていいなんて本当に思ってる人はこんなことしないよ。転んでもただでは起きないとはあなたのことだ。

 「あの、すごくみなさんに『羽生さんにしかできないですよ』とか『羽生ならできるよ』と言ってもらえるのは、すごくうれしいんですけど、自分の中ですごく限界を感じたんですよね。だからもう、これでいいじゃんと思ったんですけど。すごい悩んで悩んで苦しんで。もうちょっとだけ、せっかくここまで来たんだったら、やっぱ『降りたい』って言っている自分がいるんで。まあ、めちゃくちゃみなさんに迷惑かけるかもしれないですけど、もうちょっとだけ頑張ります」
 
 内村も言ってたね。「人にはできない。羽生くんにしかできない」って。(番組見てたな)
 羽生の夢はもうみんなの夢になってしまっていて、みんながむやみに期待をかけることが負担になりゃしないかとはいつも考えていた。
 実際限界を感じたり、悩んだりして苦しんでたんだ。羽生を苦しませたくて応援してるんじゃないって、そこは胸がきゅーーっとなる。
 でも、やっぱ降りたい、っていうのが本当の本音なんだね。
 悩んでも苦しんでもグジャグジャになっても、4年がんばってここまできたんだから「降りたい」よね。
 その本音があるのなら、どこまでもとことん応援する。それはむしろうれしい。全然迷惑なんかじゃないからねーー!


 ――2週間前までぶっ飛ばしていて、ここまで来るのにきっかけがあったのか
 
 「練習方法がちょっとずつ確立されてきて、自分の中で。で、何か、このためにはこの練習するべきなんだなとか、このためにはこの練習をすべきなんだなっていうのが、いろいろできてきて。やっと、その子たちがちょっとずつ実になってきたって感じですね。やっぱり、分かったといって、ぱっとやってそれができるわけではないので。やっぱり3Aとはまったく違いますし。もっともっと積み重ねていかないといけないなって、これからも思っています」

 こっちのためにやるべきこと。そっちのためにやるべきこと。それが「その子」かーーい!
 4Aを作り上げるために必要なさまざまな要素たちが(その子たちが)ひとつずつ羽生のそばにやってきて、味方になって、みんなで4Aを作り上げていくの?
 このくだりを見て、ココ組がこのあいだ滑ってくれた小田さんの「生まれ来る子供たちのために」が出てきちゃった。(私はオフコースオタ)
 ”ひとりまたひとり 友は集まるだろう
  ひとりまたひとり ひとりまたひとり”
 4Aをお友だちにできてきているよ。もうすぐだよ。


 ――辞めちゃおうと思ってから、ここまで戻ってくるきっかけは

 「長くなりますけど、大丈夫ですか?短めに?まあ正直、自分の中でも結構焦っていて。早く跳ばないと体どんどん衰えていくのも分かりますし。ただ、うん、自分が設定した期限よりも明らかに遅れていっているので。何でこんなに跳べないんだろうっていう苦しさはあるんですけど。まあ、そういう意味での苦しさと、自分の中でなんか、こんなにやっているのにできないのに、やる必要あるのかなみたいな。なんか諦めみたいなものとか、だいぶ出たんですけど。やっぱり全日本に来る最後の日の練習で本気で締めて、『q』判定されるようなところで、4発くらいこけてて。で、その時にいろいろ考えた結果、この全日本では辞められないな。せっかくここまで来たんだったら、みんなの夢だから、みなさんが僕に懸けてくれている夢だから、みなさんのために、自分のためにももちろんあるんですけど、みなさんのためにも、かなえてあげたいなって思いました」

 本当に揺れまくっていたんだね。何度も諦めようとしたんだね。跳びたいと言ったのは平昌後の23歳だから。いわゆる男子のピーク年齢はどんどん過ぎていくし。でも普通の選手のピークや限界とは羽生はだいぶ違うように思うよ。年々衰えるどころか進化してるし。自分で言ったでしょう。確実にうまくなってるんでって。
 この大会前の最後の練習。世界が終わりそうな練習ね。そこであと一歩までいってて、でもできなくて。きっと全日本では決めきれないかもしれない。だからその先まで?道、つながっちゃったね。
 皆さんはよろしい、あなた自身のために夢をかなえてとずっと思ってきた。今もそう思うけど、でも羽生本人は違うのね。「自分」と「みなさん」のためにかなえてあげたい。(自分のことすら俯瞰で語るひとなので、かなえてあげたいになる)
 それならば、いっしょに夢を見ましょう。夢を懸けることが羽生の力になるのなら、全力で懸けるわ。


 ――死ににいくような練習とは、今はどれくらいの本数を跳んでいるのか

 「どれくらい跳んでいるんですかね。自分で考えたことないですけど。でも、1日に今、本数制限はしています。ただ、4回転半にトライするという本数制限をしているだけで、4回転半に行き着くためのトリプルアクセルだったり、シングルアクセルだったりっていう、まあ今回公式練習で何度かやってましたけど。ああいう練習をひたすら、何十本もやっています。あとはそうですね、えっと、何か、精神的にっていうことが強いですけど、誰も跳んだことないんですよ。で、誰もできる気がしないと言っているんですよ。それをできるようにするまでの過程って、ほんとにひたすら暗闇を歩いているだけなんですよ。だから、毎回、頭打って、脳しんとうで倒れて死んじゃうんじゃないかとかって思いながら練習はしていました、はい。(取材の順番を待っていた宇野に)昌磨、ごめんね」
 
 ブリアンは4Aの高さからの転倒をスクールバスに激突するようなと例えた。ヤグディンは命の危険を感じてやめたって。
 国別のときに見たぶっ飛ばしたジャンプで叩きつけられるさまは、見ていて本当に怖かった。あれを何十回、何百回やっているのだと思うとゾッとする。
 それを経て、もしかしたら寝ながら考えて、今のゆっくり跳んで正しく軸を作って回るジャンプに至る。これが正解なのかはまだわからないのかもしれないけど、NHK杯前よりもうまくなってしまったんだ。着実に前に進んでいるんだよ。
 誰もやったことがない。誰も教えられない。真っ暗闇の道をたったひとりで歩く。
 暗闇だからこそ見える光があるって言ったのは羽生だ。
 4Aという光は、必ずあるよ。
 (後輩に気遣って声をかける、やさしさと親しみも好きです)



 まだこの先のインタビューはまったく読んでないので順番にいきますが、このフリー直後はほぼほぼ4Aの話ですな。それほどの強烈なインパクトだったわけで。
 たったひとりでここまで積みあげてきた羽生結弦という人は、本当にこの世界にただひとりの、尊い存在であるなあとつくづく思うのでした。
 4Aをつくりあげるためのさまざまな「子」たちが、みんなで羽生のところに集まって力を結集して、その結晶のジャンプを跳ばせてくれることを願ってやみません。


 気持ちとジャンプは前向きに!
 羽生、がんばれ、がんばれ!