炭鉱鉄道いにしえの記憶と、スイーツで未来をつくる三笠・秋の空知旅2 | ほりきりのブログ

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鉄道の旅とスポーツが好きです

 三笠の旅はもう少し続きます。
 三笠市立博物館には建物を出てから野外博物館のいうゾーンがあって、全長1.2㎞にわたって展開している。
 何があるのかわからなかったが、天気もいいし行ってみよう。


 錦橋という橋を渡って始まる。

 下は幾春別川。

 橋を渡るって、何かの入り口っぽい感じがひしひしとする。

 入ると案内板。鳥瞰の地図の端っこにプテラノドンがいるところが三笠だね。かわいい。
 そんな遠くまで行けないよ。まあ行けるところまで行こう。


 サイクリングロードと銘うっているけど、こんなにたくさん落ち葉があってそれが昨日までの雨で濡れてたら自転車なんて危ないよ。スニーカーで歩いてても滑るもん。
 しかしこれ、異界への入り口のようではないですか。どこに連れてかれるんだい。


 横には色づく木々の向こうに川。さっき桂沢湖から下りてくるときちらちら川が見えててムズムズしていたので、近くまで来れてそれだけでうれしい。


 すると突然こんなまるで遺跡が。コンクリートの残骸のまわりに草が生い茂ってる。ちょっといきなりラピュタはいってきたぞ。

 森林鉄道跡とある。
 この先は炭鉱跡。ここで掘られた石炭を森林鉄道で運んで、幾春別駅から幌内線、岩見沢から函館本線に乗っかって運ばれて行ったのだな。函館本線は小樽まで行くから船に乗せたかも。かつてはどこまでも線路がつながっていた。
 この取り残されたコンクリートはその鉄道の大事ななんかの基礎だったんだろうな。

 開けたところから絶景をのぞむ。おおなんかすげえ。むき出しの岩の層に紅葉が映えるわ~

 幾春別層。なに、ブラタモリ?


「幾春別層は、約5000万年前の新生代古第三紀始新世と呼ばれる時代にできた地層です。主に川の底に砂や泥が積もった地層で、砂岩層、泥岩層、石炭層からなります。幾春別炭鉱は、この幾春別層から産出する石炭を採掘していました。幾春別炭鉱は、明治19(1886)年に開坑し、当初は官営でしたが明治21(1888)年北有社、明治22(1889)年に北海道炭鉱鉄道会社といった民間会社へ引き継がれ、昭和32(1957)年に廃鉱となりました。」

 うーん、さっぱりわからないけど、これが5000万年前!の古い地層で、ここだからこそ石炭が取れたのね。

 しばらく歩くとなにやら古い建物の跡が。


 炭鉱の跡だ。パズーだ、パズーがいそう。やっぱラピュタじゃないか。

 旧幾春別炭鉱錦立坑櫓
「大正9(1920)年12月にカン性したとされています。現存する立坑櫓では道内で最も古いものです。この立坑は、櫓の高さが約10メートル、地下約215メートルの深エアがあります。櫓の鉄骨には「SEITETSUSHO YAWATA」と記されており、九州にある八幡製鉄所で製造されたものが使用されています。
 立坑櫓には、北海道炭鉱鉄道会社(北炭)の社章を見ることができます。一説では、このマークは、北海道開拓使(北方開拓のために置かれた官庁)からの払い下げを受けた北炭が、開拓使の旗の赤い星と幌内鉄道をイメージした青いエンをえがいたものと言われています。」

 こんなお勉強解説はわけわからないけど、せっかくこうして目の当たりにできるのだから、北海道の歴史を学ぶことはいいことだろう。

 隣にはレンガ造りの建物。

 炭鉱の控え所や事務所みたいな役割だったのかもしれない。


 それらをのぞむところにまたコンクリートが転がっている。上に苔がむしてるよ。まるでラピュタの心臓部で石はめて操作する所みたい。
 まるでここは遺跡だ。


 さらに歩くと「旧錦抗坑口」という炭坑への入り口がある。


「この付近の石炭層(幾春別層)はほぼ垂直に立っており、南と北の方向にのびるように分布しています。坑口から垂直に約197メートル下った深部には、炭層に添っていくつもの坑道が延びていました。
 錦坑坑口は地下で錦立坑とつながっており、石炭はここから現在の博物館のところにあった選炭場へトロッコで運び出され、石炭とズリ(不要な石)に選り分けられていました。」


 のぞきこめる。レンガ造りのアーチ。入り口は今はコンクリートでがっちり閉じられている。
 周囲には硫黄っぽい匂いがたちこめている。ここ火山じゃないよね。やっぱ炭鉱と関係あるのかな。

 坑口から延びる小さな水路は幾春別川に流れていく。

 

 その先で石炭が見える場所があった。この黒く光ってるのが石炭です。

 ここまで炭鉱について目で見て学んで実際に石炭を見られるのはいいね。



 炭鉱がその役目を終えて、歴史の中に埋もれてしまっても、そのまわりの自然はかわらず美しい。きっと炭鉱の採掘が始まる140年前から美しい。



 お腹がすいてきた。お昼ご飯食べよう。
 道立の三笠高校にはパティシエコースがあるそうだ。調理のコースがある高校はあっても製菓専門は珍しいらしい。道内ではここだけだそうで、あちこちから生徒が集まってきているのだとか。そこが運営する「高校生レストラン」というのが隣接してるんだって。
 とても楽しみにして行った。ところがそれは営業日が決まっているそうで、この日はやっていなかったのだ。がっかり。

 でもテイクアウトのお店屋さんはやっていた。コッペパンがいろんな具があってその場で作ってくれる。あとジェラート。これがいいわ。今日は暖かいからテラスの席で食べよう。

 お店はすごく混んでいた。普通に町の人たちが買いに来てるみたいだ。地域に密着してる。


 コッペパンはパンがふわふわでおいしかった。私はキーマカレー風にした。小さく切った野菜もいっぱいはいっていておいしかったよ。

 でもなんといってもジェラートだ。パティシエコース、こっちが専門だ。
 私はメープルナッツクッキーって、私が好きに決まってるフレーバー。こちらは濃厚な風味でとてもおいしかった。
 ダブルで頼んだもうひとつがハニーミルク。これが最高。はちみつはほんのりやさしい甘さ。ミルク味たっぷりのアイスはふわっふわ。ジェラートがなんでここまでふわふわ。いやおいしいわ~ ハニーとミルクって、さくらちゃんのあったかはちみつみるくの冷たい版だもの、味は絶対大丈夫に決まってるじゃん。
 コーンはワッフルコーン。これが食べられるのにカップになんてできないわ。これ食べるの夢中で写真撮ってません。すいません…

 全道から甘くておいしいものを作ることを夢見る子供たちが三笠に集まってくる。ここで腕を磨いて自分の夢を実現し、たくさんの人に幸せを届けてくれるようになるんだね。
 炭鉱がなくなって人が激減してさびれていくばかりの町で、パティシエを夢見て集まった子供たちがスイーツで未来をつくっていくのだ。
 どんなところでも、子供たちは未来の希望だね。


 帰り道に今度は鉄道記念館へ。旧幌内線の廃線や駅の遺構や古い車両をいかしてここは鉄道もおしているのだ。
 しかしこの記念館、10月15日で営業を終了して冬ごもりにはいっていて中にはいれなかった。えー、今こんなに紅葉きれいなのに。観光客がくるトップシーズンなのにバカじゃないの。
 周囲の公園内は入れるけど、収蔵車両にはブルーシートがかけられてる。まじで冬ごもりだなあ。

 それでも知らずに来たであろう数人のおじさんおにいさんがカメラ持ってうろうろしていた。鉄男さんいらっしゃーい。

 私は鉄子だけど乗り鉄だから、車両には萌えないのよね。夫はテツではないけどSLを見たかったんだって。これはもう車庫に入っててとても大切にしまわれてしまって姿も見えない。残念でした。


 この鉄道記念館まで来る途中でクロフォード公園というのがあって、こちらも鉄道を展示した公園だ。こっちにも車両がたくさんある。

 このあからさまに国鉄の特急は昔の「おおぞら」。札幌釧路間の特急だ。

 実家が道東の夫はさんざん乗ったなじみの車両で懐かしそうにしていた。

 ここは旧幌内駅をそのまま再現してあって、駅の構内に車両が止まっていた。


 最後尾の車掌室。のぞくと中にはだるまストーブがあったりするけど、私はデッキから手を振って999のラストシーンの車掌さんごっこをしていた。バカだ。


 炭鉱とそれにつながる鉄道で生きてきた町でした。
 それらが失われてしまったあとも、こうして形を残して、昔の記憶をつないでいるのだな。

 
 ただ桂沢湖に紅葉狩りに来ただけだった。でも初めてきた三笠は、恐竜がいて、アンモナイトが山ほどあって、炭鉱の遺構があって、古い鉄道があって、おいしいジェラートがあった。盛りだくさんだったぞ。なめててすいません。すごく楽しかったです。

 穏やかな秋の日の、三笠の旅でした。

 さあ、今宵の宿へ向かいましょう。