6年前に次男が言ったこと。
「一緒にしなくて良いと思うんです。
一緒にするから複雑になります。
楽しかったこと、悲しかったこと、両方あります。
だから、裏切られたとかそういうときに楽しかったことや嬉しかったことを消さなくて良いんです。
楽しかったって覚えておけば良いと思います。
楽しかったことは存在していたんです。
楽しかったことを悲しみで覆い隠さないでください。
楽しかった。
悲しかった。
それぞれちゃんとあったんです。
ですから、悲しいできごとによって全てを悲しい思い出にしないでください。
楽しかったことを否定しないでください。
楽しかったなぁ。
悲しかったなぁ。
それだけで良いんです。
そういうふうに生きていると、色んなことが乗り越え易くなります。
裏切られてもだまされても、幸せでいることはできるんです」
友だちの誕生日に投げなしの1万円でしゃぶしゃぶをご馳走してきた次男は、しゃぶしゃぶがとってもおいしかったらしく満足そうだった。
それにしても、次男はなんで急にそんな話をするのか‥‥
強いて言えば「お帰り」と言った私の声に多少、元気がなかったのだろう。
「何かありましたか?」
「悲しいんじゃなくて、悔しかった❗」
それだけ聞いて、そんな話をしてくれた。
悲しい出来事で、楽しかったことを覆い隠さないでと言っていたことが心に残った。
以前「諦念」について話してくれたときも、どんなに悲しいことがあっても、それとは別に幸せはやってくるってことを何度も言っていた。
この「諦念」はたくさんの方に読んで頂いた。
心に深く染み入る言葉だった。
次男は淡々と語っていたけれど、優しさが満ちていた。
‥‥‥
コラムを読み返して,
次男の言葉を聞いてわたしがそうなったのか,
元々そうなのかよく分からないが、どんなにひどいことをされても,わたしはその人との良い思い出は純粋に「楽しかった」って思い出すことができる。
その人との楽しかったことは否定しない。
これを書きながら,やっぱり次男があのときに言ってくれたことの影響なのかもって思った。
その後だって、だまされたし,裏切られた。
それでも、その人たちとの良い思い出は、良い思い出として思い出す。
「あー 楽しかったなぁ」って思う。
次男はきっと,わたしに必要なことをたくさん伝えてくれていた。
どうして,わたしに必要なことが分かるのか、
分からないが、感じたら,それを言葉にしてくれているのだろう。
YouTubeを聞いていて、
右脳で感じ取って
左脳で言語化する
って言っていて、あらためて,そうだよなぁって思った。
メッセージを感じ取ることはできるけど,文章にするとき,ちょっと面倒な感じがある。
もどかしいって言った方が良いかもしれないが‥
とにかく別々の作業なんだな。
でも,次男はそのままさら〜って言葉にする。
すごいなぁって思う。
最初に戻るけど、
一緒にしないで、
分けて考えると
確かに、生き易い
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