昨日,母はようやく退院ができた。
なんでもなかったのだから,早く退院してほしかったし,母も「帰りたい」と言っていたが、病院のソーシャルワーカーがお休みなので,月曜日まで待たなくてはならなかった。
なんだか、病院のソーシャルワーカーと施設が話して退院の日を決めるってことらしい。
その結果,火曜日の朝、退院ということになった。
具体が悪いわけではないし,歩けるのに,病院では車椅子。
トイレに行けるのに,オムツを履かせる。
オムツを履かせられても,母は、トイレに行っていた。
あー もうなんだか病院にいるだけで,なんでもないと分かっても,病人になる。
一刻も早く退院することが本人と家族の希望だったが‥
なんでもなかったことに感謝しつつも、施設に入るってそういうことなんだとあらためて思った。
大事をとってのことだったと思っている。
それでも,結局,母は,金曜日に入院して火曜日に退院だったので、5日間病院にいたことになる。
これをきっかけに歩けなくなったり、せん妄の恐れもある。
入院によるリスクもたくさんある。
なんたって92歳。
だから、一刻も早く退院してほしかった。
施設に戻っても車椅子だった母に、「一緒に歩こう」と言って,施設の中をしばらく歩いた。
筋力衰えているからしんどかったと思う。
でも,このまま車椅子が楽だと歩くことをやめれば、
そのまま歩けなくなる。
母に聞いた。
「車椅子の方が楽だと思う。
でも車椅子になって歩けなくなったら,わたしはお母さんを食事や温泉に連れて行くことはできない。
今まで通り,食事に行ったり,温泉に行きたいなら、
歩いてほしい。
だけど,どっちにするかはお母さんが決めることだから、どっちにする?」
「絶対にみんなとご飯を食べに行きたいから歩く」
「それじゃー 車椅子はもういらないね。
部屋まで歩いて行こう」
そして,二人で歩いて部屋に行った。
もちろん,車椅子は転倒しないように大事をとって使っているし、車椅子になってもバリアフリーのところで外食もできる。
それでも,わたしはまだまだ母と歩いてご飯を食べたり,温泉に行きたい。
母が「もう 無理」と言う,その日までそうしたい。
だから、たったの一日でも退院が伸びたことは嫌だった。
わたしのわがままだって分かっているけど、その一日を待つことが嫌だった。
でも,嬉しいこともあって、母は「施設が自分の家になったから,ここに帰れて嬉しい」と言っていたし,施設の職員さんたちも母が帰ってきたことをとても喜んでくださった。
自分の部屋が分からなくなる母のために、ワンニャンの絵の下に母の名前が書いてあるラミネート加工されたものが大きく貼ってあった。
「ここがお母さんの部屋」と、嬉しそうに教えてくれた。
「大切にされているんだなぁ」って嬉しかった。
母は、どこに行っても愛される。
92歳でも、
認知症でも、
母は、母のままだな(^_−)−☆