⬆️このお話についてご質問を頂いた。
「7ヶ月で歩いた理由を、次男が何歳のときに話したのか?」
多分,3歳か4歳のときだと思う。
わたしは疑問に思うと,そのまま本人に聞くようにしていたので、子どもたちは色々教えてくれた。
毎回,かなり興味深いものだった。
さて、
前回のお話の続き。
次男のその当時の大変さは「ADHDと自閉症スペクトラムの自分が見つけた未来」に書いている。
今の次男からはなかなか想像できないが、その多動っぷりは兄弟の中でもダントツだっ
好奇心も旺盛なので、いたずらのたぐいでもこれまた兄弟中でナンバー1!!
そして、喘息の発作も多く、病院に夜中に連れて行くということも一番多かった。
アトピーの治療で土佐清水にわざわざ泊まりがけで行ったときも、看護師さんから「暴れん坊」という称号を頂いた。
いつも、楽しげにニコニコしながら、とんでもないことをする。
あっという間に消える。
命に関わる事故にあう‥
そういう意味では一番肝を冷やした。
ちなみに、事故に関しては、毎回命を取られてもしょうがないという感じのことなのに、奇跡的にかすり傷だった。
次第にわたしは次男には将来大きな役割があるのではないかと思うようになった。
しかし、日常はかなり過酷で、喘息の発作のときは水も飲めなくなり、大好きなチューペットで少しでも水分を摂ってほしかったが、それどころではなくチアノーゼを起こして、夜中に病院に連れて行くこともあった。
そのときは、本当に忘れることができない辛い経験だった。
広島に引っ越したばかりで、妊娠8ヶ月くらい。
ケータイ電話を持っている夫とは全く連絡が取れず、外はどしゃ降りの雨、
ちなみに,夫とは夜でも意味不明に連絡を取れないことはよくあった。
次男は喘息の発作で肩で大きく息を必死でしている。
くちびるの色はなくなり、苦しすぎて声も出さない。
上の子どもたちは寝ているが、ケントはまだ4歳。
その幼い子どもたちを置いて、わたしは地図を片手に夜間救急の病院に向かって車を走らせた。
次男の苦しみを思うと胸は張り裂けそうだった。
誰も頼れなかった。
もちろん、祈りながらだったが、だいぶパニっている。
病院に行き着けるかどうかも分からない。
その当時はカーナビもつけていなかったし、わたしは方向音痴、初めての土地‥
雨はバケツをひっくり返したみたいに降っている。
家にいる子どもたちはちゃんと寝ているのか?
本当は不安で声を上げて泣きたかった。
だけど、泣いている場合ではない。
とにかく病院に無事に着くことを願って雨の中を車を走らせた‥‥
続く
次回,zoomお話会は、
4月18日(木曜日)です。
丁度,新学期が始まっていますので、ご質問のある方はぜひご参加くださいね。
聞くだけって方ももちろん❣️
無料です。
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