龍さんがいますねぇ
ケントが生まれたときのことを書いてみようと思う。
ケントは後々発達障害であることが分かったが、それまでどんなか感じの子どもだったかけっこう覚えている。
それは育児日記を3年間毎日書いていたことと,その後も「家庭の夕べ新聞」という家族の記録を残していたからだ。
そのときには,ケントが自閉症スペクトラムとか、ADHDだということは分からなかったが‥
実はこのところ、続けて赤ちゃんの夢を見ていて「なんでかなぁ」と思っていた。
それで,急にケントのことを生まれたときのことから書いたら、育てにくいお子さんを育てている方のお役に立てるかもしれないと思った。
以前書いたものに加筆しながら,しばらく書くことにした。
‥‥‥
ケントの出産予定日は11月の末だった。
ところが一向に生まれる気配がなく3日が経ち、12月1日になっていた。
その日は日曜日、つまり安息日だったのでわたしは教会に行った。
さすがにお腹が痛くなってきたので、いよいよ陣痛かと、教会から帰ると直ぐに産婦人科に入院した。
そのとき、すでに陣痛は5分おきになっていた。
しかし、その5分おきのまま、その先に進まない。
その日の夕飯のメニューはお寿司。
痛みの合間にしっかり食べた。
夜になっても陣痛の間隔は変わらない。
わたしは、持って行ったラベンダーのポプリの香りを嗅ぎながら、なんとか永遠に続く5分おきの陣痛に耐えていた。
多分5分おきの陣痛は8時間くらい続いた。
夜の10時を過ぎて、間隔が少し縮まってきたのと、夜中の出産はかなわないと思ったのか、ドクターはわたしのお腹を押して、半ば無理やり破水が起こって出産となった。
夫の立ち合いがあり、夫の大きな役割はへその緒を切ることだった。
あらかじめ、言われていたように、ゆっくりとへその緒を切った。
その後、夫は長男をその手に抱いた。
2390gで生まれた長女より1Kg多い3410gだった。
前回、ドクターの言うことを聞いて、低体重児だったので、ドクターに怒られても、今回は自分のペースで食べていたら、ちゃんと大きく生まれた。
そして、しばらくすると翌日の12月2日になった。
その日はわたしの誕生日。
わたしは35歳の誕生日を分娩台の上で迎えた。
この長男ケントの出産については、なんとケント自身がよく覚えていた。
長女も出産のときのことを少し覚えていたが、ケントはかなり克明に覚えていた。
それについては【ケントが話してくれたこと】の中で触れている。
そして、翌日、しっかりケントの顔を見たわたしは、なんだか大きな不安を抱いた。
続く
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