⬆️この投稿は反響があった。
つい自分も子どものことを心配してしまう。
親の心配性で嫌な思いをしてきた‥
「心配してくれてありがとう」という捉え方もあると思う。
しかし、
わたしは今回,プールで泳ぐことをとても楽しみにしていて,何度となくそのことを母に話していた。
でも,母は、覚えておくことができなかったのだろう。
わたしが楽しい時間を過ごしているとき,母にもテレビを観ながらのんびり楽しんでほしかった。
ところが,母は、わたしがいない間、
「どうしちゃったんだろう?
なんで帰ってこないんだろう?
何かあったんだろうか?」と心配し続けた。
そして,わたしが帰ってくるまで暗い憂鬱な気持ちで待っていた。
わたしは,泳ぐ機会はほとんどないのだが,
泳ぐこと,水の中にいることが大好きだ。
だから、温泉も好き。
わたしにとって至福の時間だった。
しかし、母は、ただただ悪い想像をして過ごした。
認知症だからではない。
認知症の前から母はそんなふうだ。
つまり,心配性は母の脳のくせ。
心配性になった背景はあるのだと思う。
わたしだって放っておくと,子どものことを心配することがある。
でも,
「心配は自分のためにも,子どものためにも良いことではない」と
はっきり自覚しているので,
気持ちを切り替えて
大丈夫にしているだけだ。
この限られた人生の中で,
心配して過ごすのか、
「大丈夫,なんとかなるさ」って思って過ごすのか‥
きっと大きな差が出てくると思う。
これは,もう生き方の問題だ。
人には選ぶ権利があるから,わたしは母に言った。
「心配したかったら、どうぞ心配してください。
だけど,それをわたしに言うことはやめてください」と
ガマンしないで,嫌なことは嫌だと伝えたい。
そうしなければ,伝わらないから‥
それで、母が悲しい思いや嫌な思いをするだろうことは分かっている。
それでも,「あなたのしていることは,わたしにとって嫌なことなんです」ということを伝えたい。
そんなふうだったけど、
母との楽しい旅行は今回も無事に終了(o^^o)
気分を変えて、鉄道が好きな方はどうぞ❣️