今日は次男の誕生日🎂



次男は予定日より早く生まれた。



実は,次男はお腹の中でドクターが心配するほど大きかった。



しかし,生まれてみれば,2970gとちょっと小さめだった。



それには理由があって,次男は子宮筋腫と共に成長し、

その子宮筋腫がどんどん大きくなったので,途中から次男は思うように大きくなれなかったようだ。



出産後直ぐに子宮筋腫は取り除かれたが,死ぬほど痛かった。



ドクターは妊娠初期から子宮筋腫があることは分かっており,それをわたしに説明したと思っていたようだが,わたしは一切聞いていない。



聞いていれば、さすがに気になっていたと思う。



知らなきゃ知らない方が良い。




3番目の子だし,育児はちょっと慣れて楽だろうと思っていたが,そんなわけにはいかず,困難を極めた。



次男のことで最初に抱えた問題は、



「寝ない」



次は、



「多動」



そして,



「アトピーと喘息」



「いたずら」‥



ほんとに大変過ぎた。



それなのに,口から出てくる言葉は天使のようだった。




いつからか覚えていないが,「この子は本当に大切に育てなければいけない」と思っていた。



子どもはどの子も大切に育てる。



だけど、うまく説明できないが、



特別だった。



もちろん、どの子も特別だが‥





5年前のコラム


‥‥‥



世田谷の講演の後、スタッフの方と一緒にご飯を食べていた。

 

そのときに、ケントへの質問かあった。

 

「家庭に愛はあった?」

 

すごい、直球の質問。

 

ケントの答えは

 

「愛はあった」

 

 

それから数日して、次男に同じ質問をしてみた。

 

「愛はあったんでしょうよ。
でなければ、とっくに崩壊していたでしょうから‥」

 

 

やっと、気付いた

 

 

 

 

 

 

 

 

私が同じ歳の頃、自分の家庭に愛があったなんて知らなかった。

 

親に愛されているなんて思っていなかった。

 

 

私を決して否定しない、優しい母に育てられていたのに、私は母の愛に気付いていなかった。

 

 

今日、母から電話があった。

 

「ゆーちゃんの声を聞きたかったから、電話をした」と言っていた。

 

 

私が、母の愛に気付けたのは、40代になってから‥

 

 

子育てをして、大分経った頃だった。

 

そんなに時間が経って、ようやく自分が親から愛されていたと分かったのだ。

 

遅過ぎるけど、気付けて良かった。

 

近過ぎて、愛されているのにそのことが分からない。

 

気付けない。

 

でも、心の奥の方では知っていた気がする。

 

自分が愛されていることを認められなかったのだろう。

 

大分前だけど、母が飴をくれた。

 

おいしかったのでお礼の電話をかけた。

 

しばらくすると、その飴がたくさん送られてきた。

 

「お母さんね。ゆーちゃんが喜んでくれたから、セブンイレブンに行って、その飴、全部買い占めてきちゃった」

 

電話で母は嬉しそうに話していた。

 

泣きそうになった。

 

 

愛はあった。

 

 

溢れるほどの愛が‥‥

 

 

気付けばいいだけだった。