台風の朝の空模様。
短時間でどんどん変化して行くのがおもしろくて、目が離せなかった。
⬆️この話の中で、母がわたしが変わっているので悩んでいたことを書いた。
わたしはこのとき初めて母がわたしのことで悩み、心配していたことを知った。
そんなふうには見えなかったので、
と、言うかそんなふうに感じることはなかったので、
「へー そうだったんだ」って思った。
しかし、そのとき母は言った。
「どんなに悩んでいても、お父さんには絶対に相談しなかった。
そんなこと言ったら、もうひどいことになるって分かっていたから言うことはできなかった」
父は、暴力を振るう人ではなかったが、わたしはさんざん説教をされ、もっともっと否定されて、「普通にしろ」と言われていただろう。
それが分かっていた母は、わたしのことを一人で抱え込んでいた。
父だけでなく近所の人や友だちにも相談しなかったと言っていた。
それを聞いて、母はわたしを守ってくれていたのだと思った。
父は日曜日だけの休みだったし、普段の日の帰りは遅くて、わたしは寝ている時間だった。
なので、父に接する時間は限られていた。
それでも痛手を被っていたので、母が父にわたしのことを言おうものなら、こんなものでは済まなかった。
母に育ててもらったことは、本当にありがたいことだった。
でも、わたしは高齢になった母に接していて、認知症のせいもあると思うが、母は心配性だし、案外否定的に物事を捉える。
そして、わたしのことも心配していた。
ただ、先日のやり取りの中で、母は「わたしを否定しなかった」ということに関して深くうなづいた。
あんまり怒られた記憶もない。
それは、どうしてなのか、そのときに聞いてみた。
母は、即答した。
「ゆーちゃんは悪いことはしなかったもの」
つまり、怒られるようなことはしていない。
ただ、すごーく変わった子だったということだけ。
と、いうことらしい。
メルマガで「母の子育て」をわたし視点で書いているが、わたしが思っているよりはるかに母は、わたしの子育て悩み苦労していたのだと思った。
まぁ わたしもそれなりに子育てでは苦労してきたと思うが、ときどき思ったのは、「わたしのような子は育てたくない」だった。
育てにくいわたしと父との板挟みのストレスで母は、病気だらけだったのかもしれない。
それを思ったら、
「もっともっと親孝行しないとね」と、思った(*^^*)
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観ていた。
が近かったので、お料理番組をやっていた