心には「扉」がある。
それを開かなければ、言葉は相手に届かない。
満員の最終電車。
ドアの前に若者たちが座り込み、騒いでいる。
乗客の一人が、にこやかに「ちょっとごめんね。降りるよ!」と声をかけた。
びっくりしたように見上げ、身を寄せる若者たち。
降りしな客は「おやすみ!」と。
彼らはほおを赤らめ、立ち上がった。
その光景を目にして思った。
もし客が、不機嫌な顔つきで「邪魔だ。どけよ!」と告げたとしたら……。
ひと悶着起きたかもしれない。
理由はどうあれ「不機嫌は怠惰の一種」とは、ゲーテの指摘である。
正論といえども“伝え方”には、やはり配慮が欠かせないのではないだろうか。
法華経に「言辞は柔軟にして、衆の心を悦可せしめたまう」
(言葉柔らかに人々の心を喜ばせる)と。
わかりやすい言葉で、自在に、相手の心が喜ぶ会話。
それは“この人を大切にしたい”との慈愛の発露であろう。
そして、いつしか相手が話に納得させられる。
心の「扉」を開く鍵は、快活な誠意と勇気だ。
そのとき言葉は心に届き、相手は動くのだと思う。