心には「扉」がある。
それを開かなければ、言葉は相手に届かない。


満員の最終電車。
ドアの前に若者たちが座り込み、騒いでいる。
乗客の一人が、にこやかに「ちょっとごめんね。降りるよ!」と声をかけた。
びっくりしたように見上げ、身を寄せる若者たち。
降りしな客は「おやすみ!」と。
彼らはほおを赤らめ、立ち上がった。


その光景を目にして思った。
もし客が、不機嫌な顔つきで「邪魔だ。どけよ!」と告げたとしたら……。
ひと悶着起きたかもしれない。


理由はどうあれ「不機嫌は怠惰の一種」とは、ゲーテの指摘である。
正論といえども“伝え方”には、やはり配慮が欠かせないのではないだろうか。


法華経に「言辞は柔軟にして、衆の心を悦可せしめたまう」
(言葉柔らかに人々の心を喜ばせる)と。


わかりやすい言葉で、自在に、相手の心が喜ぶ会話。
それは“この人を大切にしたい”との慈愛の発露であろう。
そして、いつしか相手が話に納得させられる。


心の「扉」を開く鍵は、快活な誠意と勇気だ。
そのとき言葉は心に届き、相手は動くのだと思う。

心配には「過去系」と「未来系」の2種類がある。
「すんだことにくよくよする心配」と
「まだ起こってないことにドキドキする心配」。


現在は心配できない。
だから…
現在に全力投球すれば
要らない心配は要らなくなるのではないだろうか?


“ああすれば良かった”
“こうすれば良かった”と
後悔ばかりしていても仕方がない。


未来に対しても
“うまくいかなかったら、どうしよう”と
悲観や不安にとらわれ
立ち止まっていても何も始まらない。


勝利に向かって、目前の課題に全力を尽くしていく。
そのために必要な「希望」と「勇気」を忘れてはならない。


「善き人は、自分の身に何が起きるかということよりも
 自分のなすべきことをなすことに、より心を配る」
とトルストイも言っている。


たとえ…
状況がどうあれ、私は私自身のなすべきことを断じてなす!
この決意と行動が…
自分の人生を勝ち飾り、幸福の方向へと向かわせる
大切な何かでは、ないだろうか?

過去の出来事を変えることはできない。
だが、過去に経験したことの「意味」を変えることはできる。


例え、過去に辛く悲しい経験をしたとしても
今、この場所で、自分が勝ち飾っていくことで
過去のつらい経験も、今に至るための必然だった。
と意味を変えるのでは、ないだろうか。


「現当二世」とは
過去にとらわれず、未来の勝利を展望し、今を全力で生きよう
と決意し、実践していけば、必ず、未来は開けるとの意。


今の自分の境涯を高めていくことで
過去の因は悪因ではなくして善因となる。
過去さえも変えていくことができる。


過去、現在、未来にわたって人生を輝かせていけるか否か。
それは〝今の自分〟が決めるのではないだろうか?