『論語』の中で…

弟子の冉求が師匠の孔子に

自らの真情を吐露する。

「先生の教えを喜んでいないのではなく

 私の力が足りないのです」と。

孔子は…

「力が足りない者というのは

 中途でやめてしまうものだ。

 今…

 あなたは力が足りないのではなく

 自ら力を限定してしまっているにすぎない」 と励ました。

“自分にはできない”――

そう決めて、自身の弱さを肯定することは、往々にしてあることだ。

やろうとしない自分への弁解。

反対に、悩み苦しんで、努力を惜しまない。

この“たゆみない実践”の先に、自分の本当の力も出てくる。

そのために、温かい激励が必要になってくる。

だからこそ、自分の周囲で、励ましのドラマが渦巻くように

自分自身が周囲の人を激励していきたい。

そして…。

また、自分自身が落ち込んでいるいる時には

きっと…。

周囲の人から勇気を貰うことができるはず。

課題や目標に力強く挑戦していける――

ここに…

人生蘇生の“激励の心”があると思う。

自分の周囲の励ましに応えゆく自分自身であれば

限界の壁など一切ない。

限りない勇気の心で、勝利の道を進みたい。


空気はすっかり秋。

ギラギラした夏の太陽が去り

ほっとしている自分がいる…

しかし…

作家・井上靖氏は年を重ねるごとに

あの夏の太陽を指す「烈日」という言葉が好きになったそうだ。

それは、自身の人生を振り返っての思いと重なっている。

氏は

「失意の日も、得意の日も

 それから長い歳月が経つと

 すっかり消えてしまい

 真剣に烈しく生きた時の思いだけが

 いかに小さくても

 消えないで残っているようであります」

(『四季の雁書』)と。

烈しく何事かをなそうとした気持ちだけが

生きた証しとして命に刻まれたという

烈しく生きる――

それは…

浮き沈みの派手な生活や

感情の起伏に左右された人生のことではない。

むしろ

静かに、忍耐と不屈の炎を胸に燃やして

まじめに、真っすぐに、信じる道を歩き通すことなのだと思う。

“烈しく生きる道”を持てる人は幸福である。

その情熱が…

悩みを燃やし

後悔を燃やし

見栄など焼き切って

人生の希望を照らし出していくのではないだろうか?

日々を懸命に生きれば

必ず“壁”にぶつかる。

その時、その壁とどう向き合うのか?

それによって…

人生が決まってしまうといっても過言ではない

独創的な作品が高く評価されている作曲家の野村誠氏は

あるインタビューに

 「壁を探すのが最初の作業」

と答えている。

また

『クリエーター50人が語る創造の原点』の本には

“壁にぶつからないと何も創れない”

“どうやっても越えられない壁に出あえればチャンス”

とある。

「壁を探す」という行動には

自分の可能性を追求し続けるなかでの

強く、謙虚な姿勢であると思う。

自分は今…

必死に壁を探しているか?

やすやすと乗り越えられるような“起伏”に満足して

本当の“壁”には目をつぶっているのでは?

――そんな思いにかられる。

「壁を探す」行動は

団体や組織にも当てはまる。

メンバーがそれぞれ別の壁を見ていたり

あるいは壁を見失っているようでは

団結は見せかけだけの“形式”となってしまう。

そこに勝利はない。

『必死の一念』と『執念の行動』こそが

一切の壁を打ち破るのではないだろうか。

壁を見つけるのも「必死」なら

破るのも「必死」。

その繰り返しにしか

真の成長はないんではないだろうか。