徳川家康にとって

「過ぎたるもの(分不相応)」と…

敵将・武田信玄の側近から、羨望されたものが二つあった。

それは、何か?
 ①唐の頭  (=唐牛の毛で飾った兜)
 ②本多平八(=本多平八郎忠勝)
である。


本多忠勝は…

家康軍団で「最強」と謳われた武将。

重装備で防備に気を使うより

機敏に動き、攻めて勝利を開こうと

軽い鎧を好んだ。

戦場に臨むこと五十余度。
常に先陣を切りながら、傷一つ負わなかったという。

自軍が全滅の危機に瀕した時のこと。
乾坤一擲の敵中突破を図り

家康の本隊を無事に帰還させた。

「死中にあっても活路を開く!」
「あくまで攻める」

戦地に身を置き続けた無双の勇士の精神であった。


この話を聞くにつけて…

自分の生活、人生も仕事も同じような気がした。


「攻撃することが勝利の要件」
「いかなることにおいても『守り』『受け身』に回ってしまえば弱い」

どこまでも…

攻撃精神で前へ前へと進むことが大切だと思う。


とは言っても…

相手に攻撃精神をぶつけるのではなく

自分の心に自分自身に攻撃精神を

燃え滾らしてるか否かが大切なのだと思う。

この心を忘れるならば…

自分の人生が

「生きる屍」になってしまいそうで

怖い気さえする。



漢字の「聞」「聴」は、きく側の態度によって使い分ける。


自分からきく場合は後者

自分に音声が入ってくる場合は前者。


だから「きこえる」は「聴こえる」とは書かない。


昨今は、「聴く」という行為が減っている感がある。
話を聴かない、聴こうともしない人も少なくない。


また…

親密な間柄の人に限って

「もう分かっているから聴く必要はない」
と決めつけてしまいがちだ。

ただ…

「聞く」ことだけに留まって

「聴こうとしない」から、実践ができない。


「聴」の字は、本来の字義とは別に字形から
「『十四の心に耳を向ける』と読むことができるらしい。


聴く作業は、相手の心を素直に受け止めること。
それは人間社会、会社にあって不可欠である。

コミュニケーション能力の高い人は

この「聴く」ということに長けている。


相手を尊敬し

心から耳を傾ける『対話』こそ

現代社会において

一人ひとりが我が身にあてて実践していくべきことでは、ないだろうか?


「聴」の旧字は「聽」と書き
耳、壬、<徳のしたごころの上に「一」を加えた文字>(徳)の旁で構成される。

これは…。
真っすぐ立つ人(壬)の上に

大きな耳を加えて

耳の聡明さを示し

「聡明の徳」をいうらしい。


「聴く人」は、他者に共感する「聡明な人」なのでは、ないだろうか?


かつてアメリカで、ある人物を描いた、こんな一文が感動を広げた。

「小学校を中退した。

 田舎の雑貨屋を営んだ。

 破産した。 借金を返すのに15年かかった。

 妻をめとった。 不幸な結婚だった。

 上院に立候補。 2回落選。

 下院に立候補。2回落選……」。


この人は、皆さん、誰だとおもいますか?

そう、なんと誰もが知っている

アメリカ第16代大統領のリンカーンなんです。


「奴隷解放の父」と仰がれる大統領の人生は

実は失敗続き。

しかし…

「私は歩くのは遅いが、決して後戻りはしない」

と信念を貫き、偉業を成した。


私たちの人生の舞台でも…

絶体絶命の難局を

劇のごとく力強く勝ち越えた人は、数知れない。


私も少なからず、大小問わず、難局はあった。

その時の血涙の苦闘を、こう述懐する。


「がむしゃらだった日々が、一番充実していた」

「あの時、なにか自分の壁が破れ、境涯が開けた」


人生、さまざまな起伏があると思う。

今、悩みの真っただ中にある人もいるかもしれない。

だが…

最も苦労した人が、最も幸福を勝ち取れる。

それが仏法で言うところの

「変毒為薬」であり「煩悩即菩提」なのではないだろうか?


「人は誰もが勝利者になるために生まれてきた」と

確信し、何があっても前へ!

と決めた、その人は…

きっと…

無限の力を引き出す

勇気が湧いてくるのでは、ないだろうか。