トルストイ『光あるうち光の中を歩め』 | ホーストダンスのブログ

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トルストイの『光あるうち光の中を歩め』を読みました。ロシア人作家トルストイの作品ですが、この作品は古代ローマ時代が舞台となっており、登場人物は富豪の息子とその奴隷の息子です。作品の大半は二人がそれぞれの人生観を語り合う会話が占めており、時代背景とあいまって昔話風な雰囲気が漂っています。
富豪の家に生まれた少年と奴隷の子として生まれた少年が立場の違いを越えて仲良く成長しながら、かたや富豪の息子は世俗に紛れ放蕩生活に耽るようになり、奴隷の息子はキリスト教徒としての生活に入っていき、二人の生き方は大きく隔たっていきます。その後、富豪の息子は人生の節目で二度奴隷の息子と会い、キリスト教徒としての生活に魅力を感じ、キリスト教徒たちの集団に身を投じようとしますが、その度に、キリスト教徒たちの生活が欺瞞に満ちたものであること、世俗的生活にも大きな意義があることを説く医師の言葉によって世俗的生活に戻っていきます。しかし、富豪の息子が老年期に差し掛かった時期、奴隷の息子と三度目の出会いを果たします。その時も、過去二度にわたって彼を世俗的生活に引き戻した医師がキリスト教の欺瞞を解きますが、この時は富豪の息子は医師の言葉に耳を貸さず、キリスト教徒としての生活に入っていきます。そして人生最後の20年間をキリスト教徒として過ごし、肉体的生命の終わりを認識することすらなく最期を迎えます。

作品では、キリスト教的生活を送ることを説くトルストイの考え方が奴隷の息子の言葉を通じてわかりやすく示されていますが、一方で、キリスト教的生活の欺瞞と世俗的生活の意義を説く医師の話が非常に説得力を持っています。トルストイにしてみれば、その医師の考え方を否定することでキリスト教の教えに従って生きることの意義を強調したのだと思いますが、まさに世俗的生活にどっぷり浸かっている私にとっては、医師の語る話の方に共感するところが多く、奴隷の息子が説くキリスト教的生活というのは現実離れしていると感じました。
いずれにしても、全編を通じてトルストイが他の作品を通じて主張している「人間の幸福がどこにあるのか」ということが奴隷の息子の言葉で簡潔に示されており、トルストイの作品をこれから読む人にとっては入門書になるでしょうし、トルストイの作品を幾つか読んできた人にとっては総括の本という位置づけになると思います。