夏目漱石『それから』 | ホーストダンスのブログ

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久しぶりに夏目漱石の小説を読みました。最近、長男が『坊ちゃん』、『吾輩は猫である』を読んだことで、私も興味がわき、漱石の作品のなかで未読のこの作品を手にとりました。
『三四郎』、『門』の両作品と並んで三部作とされているようです。

久しぶりに漱石の作品を読んでみた感想ですが、まずはその日本語の流麗さに感心します。また、少し難解な言葉を使いながら明治末期の青年の心理を巧みに描写していく筆力にも感嘆します。
あらすじは多くの方がご存知のとおり、親と兄の経済的援助により定職にもつかずブラブラしている30近い独身の文学青年が、かつて仲を取り持った親友夫妻と再会し、その夫婦に様々な援助を与えるうちにその奥さんに対する愛情が再燃し、破滅へと向かっていく、というものです。
明治時代の上陸階級にはこの主人公のように、経済面で何の心配もないため、高学歴でありながら働きもせずブラブラしている青年がかなりいたそうで、「高等遊民」などと呼ばれていたようです。このような人種は現代にも存在しますし、私も学生時代は似たような生活をしていたものです。また、主人公は当時としては珍しく30まで独身生活を楽しんでいますが、私も結婚したのは32歳と決して早くはなかったこともあり、この主人公にかつての自分の姿を投影しながら読んでいました。
特に、主人公が、自分が結婚する気が起こらないのは、自分が都会人だからであり、「都会は人間の展覧会」で次から次へと色々な女性と巡り合っていくのだから一人の女性とだけ暮らしていくことなどできない、といた趣旨のことを呟く場面では思わず首肯したものです。10数年前の自分だったら、しつこく結婚しろという両親に対する言い訳として使っていたかもしれません。ただ、今の私からすれば、このような考え方というのは、人間の生活の本質を全く理解していないまさに「青二才の書生」の戯言だと思います。当然、漱石自身もそのようなことは百も承知のうえで、当時の「高等遊民」の実態を描くために、作品中で主人公にこのような独白をさせたのでしょう。
いずれにしても、この作品に登場する主人公の精神状態は、今の大学生、若い社会人も一度は通過するのではないかと思います。大学生、独身の社会人、そして今の私のように結婚して子どもを持った中年と読者が置かれているそれぞれの人生ステージに応じた味わい方のできる作品としてお勧めします。
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