この日はショッピングセンターでの屋外無料ライブ(屋根はありました)。観客には子どもも多く、ディズニーの「星に願いを」や、季節柄、和風ハープともいえる琴の名曲「桜」などを織り交ぜながら、30分程度の演奏を2時間おきに3回もしてくれた。
その音色が素敵で、子ども達も静かに聞いている。屋外にも関わらず、100人前後の人が足を止め、聞き入っていた。同じ場所で、アーティストのレコ発ライブや大道芸をよくやっているが、ここまで多くの人が立ち止まることは滅多にない。
道行く人々も、天気が良く、連休中日で気分がのんびりしていたことも足を止める要因だったと思うけど、一度聞き始めたら最後まで聞かずにいられない魅力が、彼女の調べにはあった。素人ながら、彼女がすごい実力の持ち主だとわかるのだ。軽やかに、重厚に、囁くように、情緒的に、と音の彩りが多彩で、表現力が見事なのだ。
それもそのはず。調べてみたら、日本の数少ないハープ奏者の中では、世界での活躍が嘱望されている若手の注目株という。当然のように芸大卒業しており、国際的なコンクールで受賞している。なんで、ここで演奏しているのだろう。聞けたのは大変ラッキーで良かったが色々考えてしまう。
音楽家って、なかなか食べていけない。だから、みんな色々アルバイトやレッスンで収入を得ていることが多い。クラシックの奏者に十分な生活ができる安定した給与を出している常設劇場は、日本にはほとんどない。
欧州では、給与の多寡は別にして、かなり多くの劇場が常設オーケストラを抱えている。「のだめカンタービレ」で玉木宏が努めたマルレのオケのようにね。オケという生活の核が定まるだけで、演奏技術の向上やリハーサルに注げる時間と情熱の量が格段に増えるだろう。自ずと、音楽家の底辺が広がるだけでなく、その水準も上がるというもの。
日本は裕福で、親の経済力で演奏家を幼少の頃から育て上げるシステムは世界でも有数だと思う。ただ、システムが機能するのは、ほんの一握りのソリストの輩出と、その他大勢を音大に入れるところまでだ。音大から先は、いかにも心もとない。
今後、日本の文化が成熟して、人間の根源的な救済に音楽の有効性が一般認識になれば(欧州では多分認められている)、そんな時代もくるかもしれない。ただ、現状は、事業仕訳の対象にされるレベルでしかなく、社会の共通認識になるには、多分最短でもあと20年はかかるだろう。
そうした中で音楽家は何ができるだろう。大量消費に迎合したコマーシャリズム音楽を、いくら量産しても社会は変わらない気がする。ヒップホップやエレクトロは刹那的な快楽を与えてくれるが、ボブ・マーレーやファン・ジルベルトのように多くの人の心は突き動かさない。
だから、フォークやロックやカントリーを見直すべき時期が来てるのではないか?なんてちょっと思ってる。それもメッセージ性の強いやつだ。クラシックは素晴らしいのだが、現代社会に一定のポジションを確立してしまい、革新性をはるか昔に置いてきてしまったと思う。現代社会の閉塞感を打破できる存在ではない。ジャズはオタク化、もしくはファッション化してないか。
もっと豪速球のストレートを
