前のブログの1つの回答が、この倉沢桃子か、と思っています。そんな桃ちゃんのワンマンを見に渋谷センター街を奥へ奥へと進み、渋谷Songlinesへ。
今、上質の本当のフォークを唄える若手女性アーティストといえば、この倉沢桃子と矢野絢子の2人ではないかと勝手に考えてるのだが、他に誰かいますかね。千佐都ちゃんも大きな可能性秘めてるが、何処まで人生かけられるかだな。
で、吉田拓郎を彷彿させる力強さがある矢野さんに対し、桃子さんの繊細で小さな幸せを救い上げる音楽はグレープ(さだまさし)か紙ふうせんか。彼女は、静かなアルペジオと歌声で一瞬にして場の空気を張り詰める。小さい体から想像もつかない存在感が溢れている。
フォークの定義は曖昧だよね。自分なりに定義すると、心の声を飾らず、ストレートに伝えるメッセージ性や、生活に根差すリアルさ、商業主義に堕落してない気高さ、アコースティックであくまで歌をメインにしていることなどかな。
エレキではダメ。歌詞が単なる抽象的な恋愛話とかは論外。コーラスもいらない。ジャカジャカ、のせてくれなくても良い。それでいて、心を揺さぶってくれる。そんなフォークは貴重だ。
倉沢桃子は、そんな条件を満たすだけでなく、さらに高いクオリティの音楽で、聞くものを喜ばせてくれる。
この夜のワンマンは2時間超。たっぷりと彼女らしい音楽世界で会場を包んでくれた。この日?リリースしたばかりのニューアルバム「記憶」に収録されている「家族写真」などの比較的新しい楽曲から、「人間」「オレンジ」などの名曲まで全部で20曲ぐらい歌ったのだろうか。
ライブを見て、倉沢桃子が少し変わったなあ、と感じた。肩の力が抜け、リラックスしてるのだ。
去年よく聞いた「人間」という曲では人間らしく生きるとはどういうことか、哲学的なテーマを突き詰めていて、周囲への鋭い観察眼とそれを表現する直接的な言葉選びが絶妙だった。他の作品も突き詰めた心を直にさらけ出し、聞くものにも緊張感をもたらすような凄みがあった。
新アルバム「記憶」に収録された近作では、お正月に実家に帰った時に接した一族の姿がたくさん出てくる。「変わりながら変わらない」家族たち。数世代にわたる長い時間軸の中で、綿々と続く何かが、これらの曲のテーマだ。
1人で生きていると不安になるが、自分の存在を家族の歴史の中に位置付ければ、決して孤独ではない。親がいて、祖父母がいて、今の自分がいる。そう思うと、今、目の前にいる「あなた」(それが他人であっても)がいるから自分がいて、自分がいるからあなたがいることの確かさを感じる。そんな事を彼女の歌を聞いていると、素直に受け入れられる気もしてくるじゃないか…。
「孤独だわ」と突き放さずに、「昨日の僕も僕だ。明日の僕も僕だから」と歌う桃子さんに、ライブ会場の空気も和んでくる。
歌詞に「優しいだけが優しさじゃない」「強いだけが強さじゃない」と出てくる曲がある。その境地に、今の倉沢桃子がある。だからこそ、ライブでより素に近い彼女と触れ合えるようになった気がするのだろう。難しいことはいらなかったのだ、と。
ラストの一曲は最近の定番になりつつある「オリオン座流星群」。倉沢桃子が最後に選ぶくらいだから、どれ程重たい曲なのだろう、と構えて聞くと、肩透かしをくう。至って普通の、若い男女の幸せな風景が綴られる。そこにささやかな幸せがある。それでいいのだ、と彼女自身が感じているのがよく分かる。
すっと歌い終えて、すっとライブも終わる。あれっ、と思ってる間に拍手も鳴り止み、アンコールもない。なんか、彼女らしい。いいたいことは、酒を酌み交わしながら聞こうじゃないか、みたいな親しさを、最近のライブ後に段々感じるようになってきた。そんなアーティストの変化を感じられるのもライブならではの楽しみなんだよね。