まずセットリスト書いておく。多分、清家千晶語り始めたら、僕は長くなるから(笑)
1)スミレ
2)electric sense
3)花唄~ハナウタ~
4)ユラー
5)The Water is Wide
6)この体。
7)すてきな夜
(最後の曲名が分からなかったのですが、珍しく清家さんがブログにアップしてくれました)
玉城さんの幕間MCの後、転換が終わり、照明が落とされた時、小さく多分Gの音が。前の方に座っていなかったら聞こない程度。最初は?だったがすぐ音をとったのだなとは思い付いた。しかし、千晶ちゃんの曲で無伴奏で始めるといったら、あれしかない。でも、それはいつもライブ最後の方を盛り上げる代表曲。そんな訳ないだろう、なんて心の中で打ち消したまさにその瞬間、


ということは終盤、どういう展開になるのだろう、と俄然ワクワクしてきた。これを最初にもってきても、フラボのホスト最後というこの日のステージを十分に楽しませてあげられます、という自信。曲順を決める際にいろいろ考えた結果なのだろうから。もうスミレ頼みの清家千晶ではないぞと?
ただスミレは大曲で、冒頭の無伴奏のアカペラ部分はかなり喉ができていないと難しい。いや、その前に珍しく(いや、フラボでは最初で最後?)幕間のMCをやった影響もあり(?)やはり、声が十分に出ていない感じ。スミレを聞きに来たファンもいるだろうだけに、ちょっともったいない。しかし、伴奏が入ったBメロぐらいからは、もう全開。いつもの熱唱モードだ。エンジンのかかり早

カラダに絡み付いてくるかのような力強く通る声、独特の「ファ」行の発音、踊るような体の動き。一気に清家千晶カラーにFABの空間が塗り替えられていく。迫力ある声にさっきまで欠伸したり、こっくりしていたお客さんたちも椅子に座り直し,やや前のめりに。スミレはやはり、すごい曲だ。
そして、そこからいつもと違う清家ワールドに。まずelectric senseの前奏が違う。最初、この曲だとは分からない重いドラム。アルバムや過去のライブで聞いた軽妙なイントロとちょっとテーストが違う。ただ、カラダにリアルな感触を探る「君の目、君の手、君のスターイル」という独特の詩の世界は歌いだせば心に引っかかりまくる。いいよね。
これで戻るかと思ったら、「花唄」がまた全然違う伴奏じゃないですか。アルバム「Silence」のストレートに叙情的に迫ってくる感じより、アルバム「Tokyo Escape Music」に収録されたcell version に近いが、この日サポートに入っていたウッドベースのアルペジオ(?)が引っ張る、一段とスローな曲足。いや、これは歌いづらいだろう、と思うほどだったが千晶ちゃんは何なく合わせて、心をざわつかす不安感を醸し出す。純真な女の子にこんな感じに迫られたら、男は困惑するよなあ。
ここでMC。「私、今まで心ってよくわからん、と思っていて、カラダから感じるリアルなことなら分かるとそういう歌を作って来た。でも年を重ねて、あ、私、この心知ってる、と思うことなどあり、私なりの心の形を曲にしてみました」(正確ではないですが)と新曲をもってきた。タイトルは心が揺れる様そのままに「ゆら~」(カタカナかな?)
かつて、東芝EMIから出したメジャー時代のアルバム「Silence」が若き清家千晶なりの感覚で歌っていた夢想的恋愛だとしたら(メジャーらしい配慮が垣間見える)、その後のインディーズ時代の代表作となるアルバム「Sensitive Doll」で彼女はより具体的に「体」の肉感をまさぐるような、ドキッとするほどのリアルさを追求した(Silenceの「この体。」にその片鱗は現れていたが)。
彼女が本当に天才的だなあと思うのは、歌っているとき、彼女が脳みその奥底から神経の末端まで、音楽を鳴り響かせ、音楽にカラダを投げ出せる感応力の著しい高さだ。それは、デビュー曲の「スミレ」の


そして、彼女はその鋭い感応で、他人と何らかの関係が生じると様々な情報をキャッチしてしまうのだろう。だが、だいたい人が発する情報はとかく膨大で無秩序なもの。何が本物か本人だって、たいがい分かっちゃいない。だから彼女は人嫌い。だから、誇張や虚飾や卑下や揶揄などが複雑に入り混じる言葉でなく、作られた表情でもなく、自身で触れて実感できるカラダにこそリアルがあると歌ってきたのだと思う。だから、ひとごとはスルーして、自分ごとだけになりがち。それを人は自己中ともいうが(笑)
それが、対人で「この心、知ってる」だ。うーむ、大人になったのお。と一般人的には思う。でも、彼女を起点に考えるならば、清家千晶も鈍感力を身につけたとなるのではないか。あるいはパターン認識。それが大人になるという事だったりするのが、悲しい現実だが。
ただ今後、「心」を彼女の鋭い感受性で歌っていけたら、清家千晶の音楽世界はぐぐぐーっと広がる。
すごい可能性が開けたのではないか。「人の心」を見つめた曲を、これからたくさん作り、ライブなどで歌うようになったら、鬼に金棒ではないか。多分、彼女の個性が死ぬこともないだろうし。そしたら、ますます、彼女に傾倒しそうだ。
最も「心」の真実を曲にすることは、才能あるアーティストならやれていること。ハセガワミヤコさんの曲とか、そういう点で素晴らしい。だから清家千晶は、清家千晶らしく、「体」ありきで、そこに「心」を積み上げ世界を拡張していくことが大事で、凡に交わる必要はない。デビュー時に独特の個性でファンをつかんだのに、売れっ子プロデューサーや事務所などの助言に惑わされて、通俗に合わせた曲を歌ってつまらない歌手に成り下がる例がよくある。そんな事にはなって欲しくないね。
で、新曲「ゆらー」。
清家千晶らしくって、とってもいい。詩の感覚が独特で、すごい。それを劇的に歌える歌唱力も感動的で、この曲は今後の彼女のライブの定番になっていきそうだ。
新曲に続いて、またまた新境地。
イギリス民謡(スコットランド説も)の世界で歌い継がれている「The Water Is Wide」。
あのSheryl Crow, Enya, Charlotte Church,Celtic Womenなどなどがライブで歌っている。
先日「ありましの」さんも歌っていた。千晶ちゃんが英語の歌をカバーすることって稀だよなあ。少なくとも僕は一度も聞いた事無かった。本人も「新しい試み」と話していた。彼女の独特の歌い回しで紡がれるこの英語の曲は、郷愁感だけでなく、無常さえも感じさせてくれた。歌詞を暗記して、歌い込めば、もっと感動的になるだろう。歌詞にdeep as I can be(だったかな)とある。直訳すれば「(愛は)どこまでも深く」。清家千晶の世界観に通じていて、よい選曲だと思う。
そして「この体。」。すかっと歌ってくれて、聞き込んでいるファンとしても爽快。彼女の熱唱は、本当にカタルシスを感じる。楽器の演奏の音と、歌と、そして彼女の脳の中が混じり合い一体になっているような感じ。音の波間に漂う人魚姫のように、間奏時に彼女は音楽に合わせてゆらゆら踊るようにカラダを動かす。きっと、あの瞬間、彼女も最高に楽しんでいる。絶対。初めて彼女を見る人は、少しおかしい人に見えてしまうかもしれないが(笑)
そして、ラストの曲。初めて聞いたのだが、「カラダのうえを流れる液体のように」といった歌詞はまさに彼女独特のもの。そして、さびの盛り上がりも、彼女のソングライターとしての才能をまざまざと感じさせてくれる。それを、あれだけ圧倒的な歌唱力で歌われると、鳥肌がたつ。すごい。
これで、フラボのホスト役は最後。定期的に彼女が歌う場がなくなる。とすると、今後は彼女自身で積極的にライブの場を作って行かないといけないのだが…できるだろうか?あの性格で(笑)
いやいや、ぜひ、もっともっとライブの回数を増やして欲しい。そうでないと、禁断症状が出てしまう。もう僕は清家千晶の生声中毒になっていると思われ、CDだけじゃ満足できないから。