2010年初倉沢桃子。
来て良かった。
心がキュッーとして、涙出そうになる。
昨夏から彼女を聞き始めて5回目のライブは、今までになく彼女が自分の家族へ向けた暖かい視線が滲んでいた。多分新曲の3曲(最後に歌った曲は昨年10月の誕生日のころの作だから僕が行ってないライブで歌ってるかもしれないが)を中心に構成されており、彼女が過ごした母方の実家での正月の光景(家族写真)や祖母の老い(おばあちゃんのうた?)、母への感謝(おかえり)がテーマだった。
それぞれの曲の前には、いつもMCが入る。その語りは実は次の曲の導入になっていて、合わせて彼女の心象や背景がビビッドに伝わってくる。まさに私小説だ。歌われてる内容がリアルだからこそ、重く心に響いてくる。
勿論、ヒット曲などはだいたい内容を抽象化して万人が自分を重ねやすいように作られてる。身辺日記のような歌詞の場合は、多くの人が共感できる何かがないと、1人よがりになってしまう。その共感の部分で普遍的なテーマが隠れてると説得力が増す。倉沢桃子の歌がまさにそれで、家族を見つめる視線に鋭い感性が光っている。
おばあちゃんがどんどん小さくなって、最期がいずれ訪れるだろうことを「いかないでと言うのは容易いが…」と疑問符をつけ、人間の人生に思いをはせる。
この日の冒頭で歌った「人間らしく」という定番の曲が大好きなのだが、人間らしくって何?と立ち返りながらも、現実を生きていく人々の姿をこの曲は活写する。それが静かなアコースティックギターのアルペジオにのせて、優しい声で歌われ、聞いているだけで救われるのだ。
彼女のライブは本当に静かだ。みんなじっと聞き入ってしまう。手拍子を求めるようなアップテンポの曲はない。ライブハウス側もよく分かっていて、彼女だけにスポットライトを当て、後は真っ暗にしてくれる。
そこに静かに彼女の優しい、そして凛とした声が響く。空間がはりつめ、それまで出ていた歌手が作った明るい、もしくはぬるい空気が一変する。瞬く間に広がる恐るべき緊張感。その存在感は、圧倒的だ。
だから、はまる。ふとした瞬間に無性に彼女を聴きたくなる。そしてこれからもFABやSonglineに彼女目当てに足を運ぶことだろう。