
渋谷めぐみの演奏サポーターは玄人肌のおじさんが多いなか、普段から優しくて柔らかい空気を醸す唯一の存在(である事が多い)。そして最若手

しっかりエッジの効いたアコギと時にハーモニカを交えながら、出し惜しみなく彼が青春をぶつけてきた歌を歌い上げた。MCなどで見せる素顔はいたって淡々としてるのだが、ほぼ90分に及ぶステージは大熱唱。全9曲の全てが力が入っていて、熱かった。
それもそのはず。最後のMCで明かしたのだが、この日のライブがソロアーティストとしての陽の、一つのピリオド。今後定職につき、当面、音楽はサポート中心にシフトするという。最後のという意識があったからこその熱唱だったのだろう。
28歳。夢を追い、アルバイトで生計をたてながら音楽を続けるのか悩んだのだろうか。親の心配、将来の結婚や家庭、才能の可能性、何より自分自身の覚悟。音楽にズッポリ浸かって生きていくことは素晴らしいけど、それはいくつかの事を犠牲にする。寂しいけど現実だ。
ただ、そうした現実生活の中の苦難や達成感、働く人々の何気ない日常会話や感覚を知ってこそ、生まれてくる音楽がきっとある。陽自身もそれが楽しみだと言っていた。
社会知らずで音楽やってる若い歌手の曲は往々にして、学校での青春モノばかりになりがち。隣のクラスのだれそれに告白し、胸がドキドキみたいな世界は、いい加減つまらない曲が多い。ちょっと難しくいえば、幅広い層の鑑賞に耐えうる普遍性に欠け、名曲足りうる条件を満たせていない。詞を書いたら、一度引いて第三者が聞いても共感を得られる言葉か、喜怒哀楽を呼び覚ませるか、音にのせた時に効果的か、など色々な視点から推敲が必要だと思う。
まあ、何かが降りてきている時は、衝動に突き動かされスラッと書いたモノがベストだったりするから面白いのだけどね。ただそうして出てくるモノも、全て自分の中から出てくる訳だ。器が小さいと、小さい詩しか出てこない。普段から感受性を磨き、喜怒哀楽を楽しみ、幅広い体験や悟り、知識を積み重ね、人とぶつかり、想像力を逞しくすることが、とても重要なんだろうね。閑話休題
陽さんのこの日の選曲は、自身の音楽を辿るものでもあった。高校卒業のすぐ後に初めて作った曲という「いつもと同じように」、放課後を題材にした「オレンジデイズ」、2人組男性デュオ時代の定番曲、ソロでやってきて大切な存在になった曲などを、精一杯歌ってた。
中でも「線香花火」「アロマ」「かり」「絆」は良かった。
ツーマンということで、渋谷めぐみの曲もカバーした。アコースティックなアルペジオで始まったので、何の曲か分からずにいたら、歌い出したらなんと、あのノリノリ系の「東京」。それを、まるで井上陽水のようなどフォーク調で熱唱とはびっくり。しっかりオリジナルな感じにしていたのが凄い。
最後は曲名定かでないが、「家へ帰ろう」という歌詞。斉藤和義の「歩いて帰ろう」や木山の「HOME」にどこか通じる郷愁感。「帰る」という言葉には、人それぞれの安息への憧れがあるのだろうか。陽の心象が何となく伝わってきた。昨夜集まった長く陽を応援してきたファンの人達には、くるものがあったろう。
多くの人が認めてる陽さん、これからもガンバレ

長くなったので渋谷めぐみは次項で